第306話 社交の時間②

「……にしても、どんな顔で立っていればいいか迷うな」


「まったくだ。これが王家主催の晩餐会だとは」


「ああ、これではまるで子女の見合い会のようだ」


 晩餐会の会場となっている大広間の端から辺りを見回し、ベヒトルスハイム侯爵、シュタウフェンベルク侯爵、ビッテンフェルト侯爵がため息交じりに話す。


 この晩餐会は戦勝を祝うためのものである一方で、戦死した前当主に代わって家を継いだ新当主たちの顔見せの場でもある。


 戦場となった王国南部の貴族はもちろん、決戦に参加した北部や中央部の貴族でも戦死者は少なくなかった。そのため、晩餐会の出席者のうち何割かは新顔だ。今のロードベルク王国の貴族家当主の平均年齢は、歪な若返り方をしている。


 前当主の未婚の弟や妹、成人済みの嫡子が残っていればまだマシな方。なかには、社交の場での形式的な挨拶を自分の口で言えれば上出来、というほどの幼子が後見人に手を引かれて立っていたりもする有り様だ。


 貴族閥をまとめる盟主の立場としては、王国貴族社会の否応なしの変化にため息をつかざるを得ない。


「何せ、南西部閥の盟主でさえあれだからな……これからどうなることやら」


「下手をすれば、ベトゥミア戦争そのものよりも、貴族社会の秩序の立て直しに難儀するかもしれん」


 つい先ほどベヒトルスハイム侯爵たちのもとへ挨拶に来たガルドウィン侯爵家の新当主も、まだ七歳だ。年のわりにはしっかりとした受け答えのできる少年だったが、だから何だという話だ。いくら後見人や補佐役がいても、盟主家の当主があれでは南西部閥が安定するまでしばらく時間を要するだろう。


「……あのガルドウィン侯爵が死んだとはな。未だに信じられん」


 どこか寂しげな声で、ベヒトルスハイム侯爵が呟く。


 ベヒトルスハイム侯爵とガルドウィン侯爵は年齢も近く、およそ二十年近くも派閥盟主として交流を持っていた。互いの立場もあって衝突することもあったが、「王国社会の安定」という共通の大きな理念のために、大局的には派閥の利害の調整などで協力する場面が多かった。


 長年の友を失った悲しみは、二人より一回り若いビッテンフェルト侯爵や、さらに一回り若いシュタウフェンベルク侯爵のものよりも大きい。


「彼は温厚で優しい男だった。派閥内の貴族たちにも、民にもな。その優しさが今回ばかりは仇になったが……避難する民のことを思って動いた結果、兵糧不足で落城するとは。ある意味では彼らしい」


「そうだな。自領の民からも容赦なく食料を徴集し、領都の一部を焼き払って籠城したどこかの貴族には遂げられない、慈悲深き最期と言えるだろう」


「その貴族というのは私のことか?」


「おっと、他の誰かのことに聞こえたかな?」


 シュタウフェンベルク侯爵とビッテンフェルト侯爵が睨み合う。どちらもやや冷徹な性格で知られる二人は、対立派閥の盟主同士で世代も違い、まだ交流を持って年月が浅いということもあり、分かりやすく仲が悪い。


 二人の間に挟まれたベヒトルスハイム侯爵は、その諍いに特に興味もなさそうに酒を口にする。


「……止めておくか」


「……ああ、今日はそんな場ではないし、今はそういう気分でもない」


 睨み合っていた北東部と南東部の盟主二人は、険悪な空気を解いて互いから視線を逸らした。


 今日の晩餐会は戦勝を祝う場であり、新当主たちの顔見せの場であり、勇敢に戦って死んだ英雄たちを偲ぶ場でもある。


・・・・・


「この度はご参列感謝します、パラディール侯爵閣下。今日まで会議以外であまりお構いもできず申し訳ない」


「いえ、国の立て直しに苦心しているのはランセル王国とて同じです。ブルクハルト伯爵のお忙しさは、同じく一国の軍務大臣職を預かる身として理解していますとも」


 晩餐会の会場のまた別の場所では、ラグナル・ブルクハルト伯爵がランセル王国からの客人であるオーギュスト・パラディール侯爵を歓待していた。


「今日は貴国にとって、ベトゥミア戦争を終えた一区切りとなるめでたき日です。ランセル王国の代表として参列できたことを光栄に思います……講和も無事に締結されたことですし、我々もようやく肩の荷が少しは降りますか」


 この式典と晩餐会に先駆けて、八月下旬にはアンリエッタ・ランセル女王の一行がリヒトハーゲンの王城に招かれ、両国の講和締結の席が設けられた。


 ベトゥミア戦争での助力の礼として、少しの減額がなされた九億レブロの賠償金をランセル王国側が五年かけて支払うことで両国の王が合意。官僚を交えたその他の実務的な話し合いも終え、アンリエッタ女王の一行は帰国していった。


 一方で、女王と共に帰らず今日まで残留していたのが、女王から軍事面の全権を委任されたパラディール侯爵だ。


 侯爵はつい先週まで、ロードベルク王国側の実務責任者であるブルクハルト伯爵と何度か会談の席を持ち、もう少し込み入った仕事――軍事面での取り決めについて話し合いを行っていた。具体的には、国境地帯に駐留させる両国の軍の規模、どちらかの国が軍事的な危機に陥った際の安全保障協定、何かの原因で衝突した場合の話し合いの手順などだ。


 国同士の付き合いである以上、絶対の友好は存在しない。互いに譲れない一線があり、いくら友好国の軍部トップ同士とはいえ、意見がぶつかる部分もある。そんな話し合いをようやく完了したからこそ、今日こうして笑っていられるのだ。


「そうですな……この数年は本当に激務の日々でした。できればもう、同じような経験はしたくないものです。ランセル王国の方も大変だったことでしょう」


「ええ。国土を侵略された貴国ほどではないかもしれませんが、国が割れるというのは悲惨なものでした。私も、同じ経験は勘弁願いたい」


「……お互いに苦労しましたな」


「……まったくです」


 同じような役職にいるから、互いの苦労も具体的に想像がつく。やっと戦時が終わって落ち着けることに、二人の軍務大臣は安堵のため息をついた。


・・・・・


「それにしても、アールクヴィスト子爵閣下の独立という話しは驚きましたな。陛下もまた良き方法を考えられた」


「おそらく実際に発案されたのはスケッギャソン内務大臣閣下あたりだろうが……これであの男は王国貴族ではなくなる。せいせいするわ」


 王国軍第一軍団長のカールグレーン男爵と話しながら、不機嫌な顔で酒をあおるのは、北東部閥の生粋の武闘派として知られるノルトリンゲン伯爵だ。


 典型的な保守派でもあるノルトリンゲン伯爵だが、仮にも伯爵家の当主。その思想と感情だけに任せて動いてはいけないと理解する程度の分別はある。一部の超保守的な下級貴族が暴走しないように抑えつつ、どうして自分があの男を庇わなければならないのかと苛立つ日々を送っていた。


 下手をすれば国内貴族社会に不和を巻き起こすノエイン・アールクヴィストを、栄誉と共に切り離すというのはいい案だ。理性ではそう思える。


「とはいえ、あのような男が一国の主になるとは。嘆かわしくもあるな」


「ははは、まあ良いではないですか。アールクヴィスト閣下の発案が王国を救ったのは疑いようもない事実です」


「……卿は何も思わぬのか? まるで男らしくない戦略で王国が辛勝を得たことを」


 問いかけられたカールグレーン男爵は、表情を変えずに頷く。


「はい。私は王家に仕える武人です。陛下の御王命に従い、国の敵を討つための存在です。戦い方の是非を考えるのは私の役目ではありません」


「ふんっ、愚直だな」


「ははは、お褒めに与り光栄です」


 嫌味を返したつもりか、はたまたこれも愚直であるが故か、男爵は涼しい顔で笑った。


「その調子だと、卿はブルクハルト閣下のように、いずれ軍務大臣になるのは難しそうだな」


「仰る通り、私は戦いしかできない男ですからな。ブルクハルト閣下のような政治の才はありません。生きて第一軍団長の職を退く日を迎えられたら、その後は教官にでもなって後進の育成に努めるくらいしかできますまい」


 保守派であるが故に古き良き戦士らしさを重んじるノルトリンゲン伯爵と、ただ純粋に戦いに生きるカールグレーン男爵。同じ武闘派であっても、いまいち話は合わない。


・・・・・


「……あの」


「は、はい?」


「あの、わ、私はキヴィレフト伯爵家当主のジュリアン・キヴィレフトと言います。ご挨拶をさせていただければと思い……どうぞ、以後お見知りおきを」


「ああ、これはご丁寧に。初めまして、私は――」


 ジュリアンはやや自信に欠けた表情で、自分よりも若い他の貴族家当主と挨拶を交わす。


 晩餐会の開催が決まってからこの日まで、ジュリアンはひたすら社交の場での無難な会話の術を学んだ。そのおかげで、ひとまずは貴族家当主らしく話せるようになった。


 当たり障りのない社交辞令の応酬をしながら、先ほど相手から名乗られた名を覚え、相手の顔と一致させて記憶に留めるように努める。


「いやあ、本日はお知り合いになることができて光栄でした。お、お互いに何かと大変な状況とは思いますが、頑張りましょう。何か当家であなた方のお力になれることがありましたら……」


「ああ、いえ、ありがとうございます。こちらこそ、当家がお力になれることがあれば……」


 相手からこの言葉を引き出せれば、挨拶は一応は成功と言える。ジュリアンは話を切り上げると、その場を移動してまた他の出席者に挨拶をする。


 そうして、まだ若い、あるいはまだ幼い貴族家当主を中心に挨拶回りを重ねていく。


 これはエルンスト・アレッサンドリ士爵の補佐を受けて人選を重ね、新たにキヴィレフト家の官僚として雇い入れた有能な家臣たちからの入れ知恵だ。


 先代当主が戦死して、まだ能力や経験に欠ける若い当主が立つことになった貴族家は、程度の差はあれ不安定な状況にある。そんな家にとって、大被害を受けたとはいえ王家から未だに重要視され、港湾都市を領都として擁するキヴィレフト伯爵家との繋がりは、大きな価値がある。


 その当主であるジュリアンから挨拶をすれば、ある程度の年齢の当主は喜んでそれに応じ、もっと幼い当主は、傍に立つ補佐役の耳打ちを受けてからジュリアンに挨拶を返してくる。


 先代までのキヴィレフト伯爵家当主は、家の権勢に胡坐をかいて他の貴族家を侮り、人脈の形成を怠ってきた。そのせいで、いざ自家が困窮したときに頼るべき伝手が少なすぎる現状がある。


 なのでジュリアンは、まず他家との繋がりを少しでも増やすところから始めていた。こうするように有能な家臣の助言を受けた。


 こうしておけば、今後自領にないものを手配したり、いざというときに借金をしたりするのが容易になる。不足気味の資金を一時的にでも充足させられれば、返済の方法は港を復興させて貿易で稼ぐなり、いざとなれば港の使用権で返すなり方法はいくらでもある。


「なかなか頑張ってるみたいですね、キヴィレフト閣下」


 まだ挨拶をしていない出席者を目で探していたジュリアンは、聞き覚えのある声に呼びかけられてそちらを振り返った。


「あに……アールクヴィスト閣下」


「あはは、閣下はよしてください。私はまだ子爵ですよ」


 もはや互いが兄弟であることを隠す意味はないが、ノエインは何かを試すように他人行儀の口調でジュリアンに接してくる。


「その後、ご領地の立て直しは順調ですか?」


「は、はい……まだまだ手探りですが、少しずつ道筋は見えてきました」


「それは何よりです。最初の段階を乗り切るのが最も困難でしょうから、そこを脱しつつあるのであれば一安心ですね」


「はい……あ、アールクヴィスト卿にいただいたご厚意のおかげと思っています。恥ずかしながら、あの後自領に帰ってから、いただいた百万レブロの重みを学びました」


 領主という立場に立って初めて、ジュリアンは本当の意味で金の重みを知った。昨年ノエインに保護を求めた際に、手持ちの金を全て安易に差し出した自身の浅はかさを思い知った。


 一度正式に自身のものになった金の中から、「宿代の釣り」などと無理やり理由をつけつつ、返さなくていい百万レブロを無償でジュリアンに渡してくれたノエインがいかに優しかったかも知った。


 アールクヴィスト領の規模を考えれば、百万レブロが尚のこと重い金だと今なら分かる。それを貸し付けるでもなく贈与するというのは、身内ということを考えても甘すぎると言っていい措置だ。


 その金のおかげでジュリアンは何人かの有能な部下を見出し、雇い入れ、残金を各方面への根回しに使いながら、一応の復興の道筋を立てることができている。


「……自分からそう言えるのならひとまず大丈夫だろう。これからが本当に大変だと思うけど、頑張って。それじゃあまた」


 最後は兄として激励してくれたらしいノエインは、ジュリアンの返事を聞かずに離れていく。


 ジュリアンはそんなノエインの背中に無言で頭を下げ、挨拶回りを再開した。

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