第305話 社交の時間①

 王歴二一九年、九月上旬の終わりから中旬の初めにかけて、王国各地の上級貴族家当主たちが続々と王都リヒトハーゲンに到着した。


 王都で各自の別邸や貴族向けの宿に入った貴族たちは、式典と晩餐会の日までに繋がりのある他派閥の貴族や宮廷貴族と会い、軽い茶会や食事会を通して情報交換を行う。そうすることで、本番の社交の前に大まかな話題を集めておくのだ。


 その過程で、ノエイン・アールクヴィストが大公位を与えられ、アールクヴィスト領が大公国として独立するという話も知れ渡った。やや過大にも思われるその褒賞の目的は、王国の貴族社会から異端児であるノエインを切り離すためだ……といった噂も、広まった。


 それもあって、九月中旬の終わりに開かれた式典では特に大きな混乱もなく、ノエインを含む戦争の功労者たちがそれぞれ国王オスカー・ロードベルク三世から褒賞を賜った。


 そして、その日の夕刻。戦勝祝いと、戦死者に代わって新たに貴族家当主となった者たちの顔見せを兼ねた晩餐会が開かれていた。


「この度の独立、誠におめでとうございます。いやあ、アールクヴィスト閣下のご活躍はベトゥミア戦争以前より聞き及んでおりましたが、あのようなまでお考えになられるとは。敬服いたしました」


「ありがとうございます。ですが私はまだ子爵の身ですので……どうかお気軽に『アールクヴィスト卿』とお呼びください」


 王城の大広間でワインの注がれた杯を手にノエインが談笑する相手は、南東部貴族のキューエル子爵だ。


 式典でノエインが受けたのは「独立に際して大公位を授与する」という宣言だ。国として独立するとなれば、準備も膨大になる。まだ当分は、ノエインは子爵のままだ。


「ははは、私としては、救国の英雄をそのようにお呼びするのは畏れ多いですな。北部貴族と合流し、王国側の作戦を聞いたときは本当に驚きました……まさに起死回生、普通に生きていては思いつかないような仰天の策です」


「あはは。ですが、キューエル卿も大層ご活躍されたと伺っています。巧みに敵の油断を生み、その隙をつく戦術で大きな戦果を挙げられたと。卿の武勇伝を聞いたときは、そんな手法があったのか、と驚かされましたよ。とても私には考えつかない戦術でした」


 キューエル子爵は南部に潜伏しながら遊撃戦を続けた貴族の中でも最大の戦果を挙げていた。ノエインや各軍の大将格の大貴族に続いて、特に大きな褒賞を与えられた功労者の一人だ。


「いえいえ、戦術という点でも私などアールクヴィスト卿の足元にも及びませんよ。卿はロードベルク王国西部軍の大将としても活躍されたそうではないですか。敵にも、ときには容赦のないご手腕を振るったのだとか。きっと私では真似できなかったでしょう」


「恐縮です。ですが、同じ立場であればキューエル卿もきっと同じ選択をなされたでしょう。あれほど巧みな戦術を容赦なく遂行されたのですから、きっと私よりも難なくご決断を下せたはずです」


 一見すると互いを褒め合っているように見えるが、実際にノエインたちがくり広げているのは、作り笑いを浮かべながらの「お前の方が性格が悪い」という言い合いだ。


 決して直接的な非難の言葉は使わずに、いかに相手の発想のひねくれ具合を指摘できるか試し合っている。その証拠に二人の間には、歓談にはふさわしくない、少しひりついた空気が漂う。他の貴族たちも、そんな二人から距離を置いている。


「……なあ、あれは放っておいていいものだろうか? あまりいい空気ではないようだが」


 他の貴族たちと同じようにノエインたちをやや遠巻きに見るヴィオウルフ・ロズブローク男爵は、同じくノエインの様子を眺めるノア・ヴィキャンデル男爵、トビアス・オッゴレン男爵に声をかけた。


「大丈夫だろう。ノエイン殿はこんなところで喧嘩を始めるほど血の気は多くないし、相手のキューエル子爵もひねくれ者で有名な方だ。あれは同族嫌悪のじゃれ合いのようなものさ」


「そうだそうだ。心配するほどのことじゃない。ロズブローク卿は少し真面目過ぎだ」


 心配そうな表情のヴィオウルフとは違い、ノアとトビアスはそう呟いて酒を口にする。


 ベトゥミア戦争において同じ西部軍で戦ったこともあり、またそれぞれノエインと友好関係を築いていることもあり、三人は今では友と呼んでいい関係にある。


「ところで、ロズブローク卿は褒賞で新たな領地を賜ったそうだな。おめでとう」


「ああ、ありがとう……褒賞は光栄なことだが、飛び地というのがな。それほど遠い位置にあるわけではないが、少し管理が大変だ」


 ノアからの祝いの言葉に答えつつ、ヴィオウルフは少し難しい顔をした。


 ヴィオウルフが新たに得た領地は、ロズブローク男爵領の本領から南東方向に、魔導馬車で二日ほど進んだ位置にある。運悪く領主一族を失った、並び合う二つの士爵領をひとつにまとめた飛び地だ。


「というか、戦の功績で言えばヴィキャンデル卿やオッゴレン卿も私と並び立つ奮戦をされたと思うのだが……卿らは金員だけだったのだろう?」


「ははは、我々は北部貴族だ。南部に飛び地をもらっても持て余すだけだし、今は戦後で何かと入用だからな。褒賞は金が一番だ。金なら何にでも代えられる」


 ヴィオウルフの問いかけに、今度はトビアスが答えた。


 そうして話す三人もまた、ノエインほどではないが、周囲の貴族たちの視線を集めている。


 ノエインが大公となって独立すれば、アールクヴィスト家と仲のいい三人は、親アールクヴィスト大公国派とでも呼ぶべき立ち位置になる。小さいとはいえ一国の主と直接的に友好関係を持つ存在になるのだ。王国の貴族社会で、今より一段強い立場を得るのは間違いない。


 これから躍進していくであろう三家の当主。そんな彼らと少しでも話して覚えてもらおうと、挨拶の機会をうかがっているものも多かった。


 ・・・・・


「昼には陞爵を果たして、今は戦勝を祝う晩餐会にいるというのに、あまり楽しそうではないな、ケーニッツ伯爵」


 エドムント・マルツェル伯爵に声をかけられたアルノルドは、指摘された通り、楽しげとは言えない表情で振り返った。


 マルツェル伯爵と、その隣に立つシュヴァロフ伯爵を前に、ため息交じりに答える。


「ええ、まあ……今思えば、我が家の陞爵も結局はアールクヴィスト家の独立に合わせたものだったのだろうという気がしてなりません」


 息子が西部軍の参謀を務め上げ、自身は後方から補給などを指揮して戦いを支えていたとはいえ、伯爵への陞爵というのはやや大盤振る舞いな褒賞だとは思っていた。が、ノエインに与えられる褒賞を聞いて納得した。


 アールクヴィスト領が大公国として独立すれば、ケーニッツ領がまた王国北西部の果てとなる。それも以前のような、西にベゼル大森林を臨むだけの辺境ではない。ランセル王国とアールクヴィスト大公国という二つの友好国との出入り口となる。


 おまけにケーニッツ家は、アールクヴィスト家と縁戚関係にある。王国国境に接する要地の領主で、しかも友好国の元首の親戚となれば、子爵より伯爵の方が格好がつく。


 アルノルドとしては、義理の息子のおこぼれにあずかって出世したような気分にならざるを得ない。


「ケーニッツ領は辺境のわりにそれなりの規模の領地ですが、あくまでそれなりです。私も無能なつもりはありませんが、飛び抜けて優秀な領主でもないでしょう。たまたまノエインが隣に来ただけで運よく得をした……以前からケーニッツ家をそう揶揄する声があるのも知っています。これからはその声が、より一層大きくなるのでしょう」


「ははは、気持ちは分からんでもないですが、そうご自身を卑下することはありますまい。当時まだ名ばかりの士爵だったアールクヴィスト卿の才能を見出し、彼と丁寧に接し、北西部閥へ、延いては王家へと顔を繋いだのは卿だ。卿こそが、王国貴族社会の中でアールクヴィスト卿を導いたと言えるでしょう」


「シュヴァロフ卿の仰る通りだ。ケーニッツ卿がアールクヴィスト卿に友好的に接してこなければ、昨年の軍議の場にアールクヴィスト卿がおらず、ロードベルク王国は滅びていたかもしれん。それを考えれば、陞爵も決して過大な褒賞とは言えまい」


 愚痴っぽくなるアルノルドに、シュヴァロフ伯爵が、続いてマルツェル伯爵が慰めの言葉をかける。


「堅実な政治ができる者は目立たないのが世の常だ。アールクヴィスト大公国と接する家に求められるのは、派手な力ではない。上手くアールクヴィスト家と付き合って共栄関係を築き続ける地道な政治力だ。卿も、これから領主代行を務めるという卿の嫡男も、その点においては能力は申し分ない。もっと自信を持つべきだ」


「そうですぞ。ケーニッツ卿の堅実な手腕は疑いようもありませんが、継嗣のフレデリック殿も良き才覚をお持ちだ。私も彼と話した回数こそ多くありませんが、少し言葉を交わしただけで彼の真面目さや優秀さはよく分かりました。王国軍での実績や、ベトゥミア戦争での西部軍参謀としての功績も見事なものだと聞きます。次代の伯爵の立場に申し分ありますまい」


「……そこまで仰っていただいたからには、私も愚痴ばかり吐かずに頑張らなければなりませんな」


 北西部閥における先輩伯爵である二人から念入りに励まされ、新米伯爵であるアルノルドは微苦笑を浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る