第304話 意外な褒賞③

「こんな話をしていると、どうしても独立の政治的な一面ばかりが意識されてしまうが……これはそもそも褒賞だ。間違いなく、お前にとって利益も多い。何せ自分の国を持てるのだからな。多くの縛りがなくなり、地理的に今後ますます豊かになることも約束されている。お前の思うがままの理想郷を作れる」


 そして、オスカーはまた説明を続ける。


 大公位の授与は「アールクヴィスト家当主が大公を名乗り、一国を治めることをロードベルク王家が承認する」という意味合いに近い。ロードベルク王国との繋がりがどれほど深かろうと、アールクヴィスト大公国はひとつの独立国だ。


 ロードベルク王国と敵対したり、逆にランセル王国と関係を極端に悪化させたりして自国に不利益を及ぼさないのであれば、ノエインは誰に口を挟まれることもなく、元首として望む通りの国作りができる。


 産業も、教育も、社会秩序も、自身が理想とするかたちを目指して好きなように国を治めることができるのだ。国内の一貴族として複雑な貴族社会の中で生きていた今までと比べれば、自由度は大きく上がる。


 独立すればノエインは王国貴族ではなくなるので、その義務もなくなる。もちろん今回のベトゥミア戦争のように、自身の領土の存続にも関わる事態となればロードベルク王国に助力するだろうが、普段から王国の理屈や貴族閥の理屈に縛られることはない。


 また、アールクヴィスト家が他貴族から害される心配もほぼなくなる。大公で、一国の元首ともなれば、内心でノエインを嫌う王国貴族がいようが関係ない。正気を失った者でもなければ、自国の王家と友好関係にある国の要人を攻撃したりはしない。


 それはスキナー商会の商会員をはじめとした民にも言える。友好国の国民への加害行為は、国際問題になりかねないため罪が一段重くなる。「外国人に危害を加えてはいけない」という教えは市井にも浸透している。


 そして、ベゼル大森林道を擁するアールクヴィスト大公国は、これから間違いなく貿易で栄える。東から西へ、西から東へと輸出品を流すだけで、通行税や関税で大きな利益を挙げられる。ロードベルク王国とランセル王国のさまざまな品が国内を通るので、物質的にも豊かになる。


 多方面において、独立には大きなメリットがある。


「こちらの事情を含めて考えても、この独立はお前に様々な利益をもたらす。ロードベルク王国を救ってくれたお前への褒賞としては十分だと私は思っているが、どうだ?」


「……確かに、仰る通りです」


 ノエインは少し考える間を挟み、首肯した。


 政治的に複雑な事情が絡んでいるのは、複雑な社会の中にいる以上は仕方がない。独立すれば、その複雑なしがらみからも今よりは解放される。自国内においては、ノエインは自由に、理想のままに、幸福に満ちた社会を、愛に満ちた人生を作っていくことができる。


 この会談の出だし――王家がノエインの名声と悪評を同時に広めているという話には腹も立ったが、総合的に見れば、これはやはり絶大な褒賞だ。


 頭を捻って奇策を生み出し、力を振り絞って戦い、ロードベルク王国を救ったことへの対価としては十分だ。


「では、具体的なことはまた後日、大臣をはじめ上級官僚も加えた席で話を詰めていくとして……アールクヴィスト大公国の建国については、お前の了承を得たと思っていいな?」


「はい。陛下よりいただくご期待にお応えし、賜る栄誉に見合う結果を示せるよう、精進してまいります。そして、大公国を治める身となってからも、ロードベルク王家と良き関係を築いていけるよう努力いたします」


 この時ばかりは姿勢を正し、口調を改め、ノエインは答えた。


「よく言ってくれた。私もロードベルク王国を治める王として、新たに生まれる隣国と共栄の道を歩み、その国の元首と友好を育んでいけるよう励むと固く誓おう。これからも、どうか良き友でいてくれ」


 そして、オスカーはノエインに右手を差し出す。


 王は臣下と握手はしない。王が握手をするのは他国の元首か、ごく一部の個人的な友人だけだ。


 ノエインは少し驚き、そして微笑み、自身も右手を差し出した。そして、オスカー・ロードベルク三世と握手を交わした。


 そして立ち上がり、退席しようとしたところで――また声をかけられた。


「ああ、待ってくれ。ひとつ話し忘れていたことがあった」


「は?」


 そこで、ノエインはあからさまに警戒心を顔に出しながら声を出した。こちらが同意したという既成事実を作った上で何か追加の条件をふっかける気か。そう訝しむ声だった。


 せっかく和やかな雰囲気で終わりかけた会談の空気が、ノエインの表情と声で崩れる。それに対して、オスカーは苦笑を漏らす。


「用心深くなる気持ちは分かるが、そんな顔をするな。本当にただ伝え忘れていただけだ。別に何かを強制するような話じゃない……我が王家とアールクヴィスト家に縁戚関係を作ることについて、少し相談したくてな」


 大公や公爵など「公」のつく身分でも、必ずしも王家の縁戚である必要はない。今の王国の公爵家にも、もとは王家の縁戚でなかった家はある。大陸の過去の歴史を見ても、単純に「とても偉い爵位」としての大公位や公爵位の例はいくつもある。


 が、できることなら縁戚関係は作っていた方がいい。友好国の支配者同士が親戚であることは、その友好関係の安定にも繋がる。


 そういう理屈をオスカーから説明されたノエインは――ますます警戒心を示した。


「なるほど、ごもっともな理屈ですね……それで、具体的にはどのようなかたちで縁戚を?」


 そんなノエインを見て、オスカーはさらに苦笑した。


 ノエインの警戒の理由は、現在のオスカーの身内にある。


 オスカーには王弟アレキサンダーの他に、既に他国に嫁いだ妹が一人、そして未婚で王宮に留まっている姉が一人いる。


 その王姉殿下の齢は今年で四十一歳。未婚の理由が「あまりにも気難しい性格で、どの貴族家も近隣諸国の王家も迎え入れるのを嫌がった」からだというのは、貴族社会では有名な話だ。


 もしその殿下を第二夫人に迎えないか、などと言われたらと思うと、ノエインとしては顔を強張らせずにはいられない。親子ほども年の離れた、おそらく性格も合わない女性との政略結婚など、互いに不幸になるだけだ。


 また、オスカー・ロードベルク三世の嫡子はというと、継嗣のルーカス・ロードベルク王太子殿下が十四歳で、その下に十一歳、七歳と男子が続き、末子として五歳のマルグレーテ王女殿下がいる。


 こちらは逆方向にノエインと親子ほどの年齢差がある。この王女殿下を娶れなどと言われたら、それはそれで当事者同士が不幸だろう。


「おそらくお前はいくつか悪い想像をしていると思うが、それは外れているから安心しろ。私が提案したいのは、うちの娘マルグレーテと、お前の息子……確かエレオスと言ったな? その子との婚姻だ。両方ともまだ幼いから、まずは婚約だな」


「……ああ、そういうことですか」


 そう言われて、ノエインはようやく肩の力を抜いた。


 言われてみれば妥当な話だ。ノエインにはもう継嗣となる息子がいるのだから、別にノエイン自身が王家の人間と婚姻関係を結ぶ必要はない。


 むしろ、ノエインとオスカーの個人的な友好関係や信用が薄れてしまう次代で縁戚を結ぶ方が、両国の関係は長く安定する。


「お前はマルグレーテを見たことはあるか?」


「いえ。畏れながら、陛下のご子息で私がお会いしたことがあるのは、前回の晩餐会にご出席されていたルーカス王太子殿下のみです」


「そうか。まあ、ルーカス以外は式典や社交の場にまだほとんど出てこないからな。だが安心しろ。マルグレーテは私と妻に似て容姿も整っている。性格も素直なものだし、お前の息子と婚約を結ぶのであればそれに向けて教育もしよう。いい嫁になるはずだ」


「それは……十数年後の話になりますが、良き伴侶に恵まれる私の息子は幸せ者です」


 オスカーは国王という立ち位置にふさわしい男前であるし、王妃イングリッドも美女と呼んで差し支えない。その娘ならばさぞ可愛いだろうし、将来的にも美しく育つのだろう。


 今からアールクヴィスト家に嫁ぐ前提で教育を受け、今後もアールクヴィスト家と交流を持ちながら育つのであれば、エレオスと価値観や性格が極端に合わなくなる可能性も低い。


「ははは、十数年後もそう言ってもらえるように育てなければな……それにお前の家なら、政略結婚で嫁いできた者であっても悪いようには扱わないだろう。一人の父親として考えても、可愛い娘を嫁がせる相手として申し分ない」


 そう言いながら、オスカーは優しい表情を見せた。ただの親としての顔だった。


「……畏れながら、陛下は私の女性関係については」


「ああ、お前の愛玩奴隷の趣味は知っている。それでもお前は妻のことも愛し、仲睦まじい夫婦関係を築いていると聞く。愛人や側室に入れ込んで、正室とはまともに口も聞かない貴族もいる中で、立派なことだ。お前の息子にも同じことを期待してよいだろう?」


 それは、嫁入りしたマルグレーテ王女を次期大公の妻として大切に扱うのであれば、エレオスの非公式の女性関係については口出ししないというオスカーの寛大な宣言だった。それと同時に「俺の娘を迎え入れるのであれば必ず大事にしろ」という父親としての要求でもあった。


「もちろんです。十数年後、これが両家にとって良き繋がりになったと陛下に思っていただけるよう、私も息子を教育してまいります」


「ならばよい……とはいえ、うちのマルグレーテはともかく、お前の息子はまだ二歳だったな。結婚や婚約の意味もよく理解できないだろう。婚約についてはひとまず内定ということにして、正式な発表は数年後ということでどうだ? 二国間の縁談ともなれば、発表までにそれなりの準備も要るからな」


「異存ございません。息子へのご配慮を賜り感謝いたします」


「よし、ではこの件についてもまた後日話すとして……今日は終わりにするか。急な話でお前も疲れただろうし、考えたいことも多かろう。下がってよい」


 ・・・・・


 オスカーから退室を許されたノエインは、官僚の案内を受けて王城を出る。


 そして、外で待機していたマチルダとペンスと合流した。


「ただいま……疲れたよ」


「お疲れ様でした、ノエイン様」


「ずいぶん長かったですね。一体どんな褒賞の話だったんですか?」


 ノエインは二人の顔を見て、微笑みとも苦笑とも言えない複雑な笑顔を浮かべる。


「えっとね……とりあえず、帰りながら話そうか。きっと凄く驚くよ」


 数日後にはアルノルドが王都に到着するので彼にも話をして、ベヒトルスハイム侯爵をはじめ近しい貴族たちにも伝えて、それから領地で待っているクラーラやユーリたちに向けても、一報を入れるために護衛の親衛隊から伝令を出さなければならない。


 何せ事実上の建国だ。実際に独立するまでに、しなければならない準備は山のようにあるだろう。今の時点でも、やるべきこと、やった方がいいことは多い。


 だが、今日だけは難しいことを考えずに落ち着きたい。そして少し浮かれたい。これからのことについて考え、理想の国づくりについてあれこれと都合のいい妄想を楽しんでいたい。


 夜はマチルダと二人きりで部屋に籠って、独立の権利を得たことについてたっぷりと「お祝い」してもらいたい。


 それくらいの遊びは許されるだろう。そう思いながら、ノエインは馬車に乗った。

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