第298話 国王陛下の苦労

 王歴二一九年の七月中旬。未だ戦争の爪痕が残る王都の北側、王宮の奥にある王城で、国王オスカー・ロードベルク三世は執務に追われていた。


 国土の半分近くをベトゥミア共和国に蹂躙され、ようやく敵を追い払ったばかりのロードベルク王国を立て直すために、やるべきことは山積している。王城に帰還してから一か月以上が経ったが、オスカーは未だに安らげない日々を送っていた。


「陛下、領主一族を失った王国南部の貴族領の再編について、内務省の最終的な計画がまとまりました。各派閥盟主の意見も取り入れた上でのものですので、これで貴族たちから大きな不満が出ることはないかと思われます」


 早朝から報告の確認やら官僚との会議やらを重ね、僅かな休憩時間でかき込むように昼食を終えた後の午後。国王の執務室で、オスカーは内務大臣のスノッリ・スケッギャソン侯爵と面会していた。


「ご苦労。大変だっただろう」


 受け取った書類に目を通しながらオスカーが労いの言葉をかけると、侯爵は小さく息を吐いた。


「ええ、まあ……同じような仕事をもう一度しろと言われても、ご免被りますな」


「ははは、お前がそのような冗談を口にするとはな。よほど難しい仕事だったようだ。よくやってくれた」


 スケッギャソン侯爵はその役割柄もあって、真面目過ぎるほど真面目な人物として知られている。法が口を聞き、規則の衣を着て歩いている、などと陰で揶揄されているほどだ。


 その彼が王の前でため息を吐き、冗談らしき言葉を発するのは異例だ。オスカーは彼の振る舞いを気にするでもなく、むしろそれほどの負担を強いたことを申し訳なく思いながら微苦笑を浮かべる。


 功労者への褒賞の程度、隣人となる貴族同士の仲、再編後の各貴族閥の力関係など、あらゆる要素を考慮しながら南部で空白となった貴族領の配分を調整する。まるで膨大なパズルを組み立てるような、複雑で難解な作業だ。その面倒臭さを想像しただけで目眩がする。


 それをスケッギャソン侯爵は、内務省の官僚たちとともにやり遂げた。


 オスカーたちがベトゥミア共和国を港に追い詰めて睨み合っている頃には、侯爵は宮廷貴族たちを動員し、南部貴族の安否について情報収集を開始していた。


 南部の各貴族家の当主、そして家族の生死を調べ、戦後は北部や中央部の貴族も含めて戦いに参加した者たちの功労をまとめ、それらをもとに終戦から一か月半という早さでこの計画を作り上げたのだ。『遠話』通信網や鹵獲した魔導馬車の使用をほぼ無制限に許可していたとはいえ、恐るべき仕事の早さだ。


「……ざっと見た限りでは大丈夫そうだな。まあ、お前が本気で取り組んでまとめたものなら、私が見ても修正点など見つかるはずないだろう。詳細まで全て目を通すには少し時間を要するが、まず問題ないものと考えて、これをもとに各貴族への褒賞を用意しよう」


「かしこまりました。では、論功行賞の式典と戦勝を祝う晩餐会までに、褒賞に関する書状の作成などを進めてまいります。諸々の時期は予定通り、九月の中旬でよろしいですかな?」


「ああ、構わん。南部の新たな当主たちの顔見せも兼ねているからな。早く済ませるに越したことはないだろう……ところで、例の件については進んでいるか?」


 誰が聞いているわけでもないが、気持ち声をひそめるようにしてオスカーは尋ねる。スケッギャソン侯爵も、それに対して静かに頷く。


「はっ。そちらも抜かりなく。そろそろ効果が出始める頃かと思われます」


「そうか、ならばよい。本人に伝えるまでには、ある程度の事実を作っておきたいからな……」


 そう言って、オスカーは自嘲気味な笑みを浮かべた。


「正々堂々と明快な治世に努める名君を目指していたのに、私もずいぶんと小ずるい政治屋になったものだ」


「畏れながら陛下、偉大な国王の姿とは、過程ではなく結果を見て後世の人間が語り作るものです。陛下のご決断は、必ずや王家と国を守り、名君としての陛下の御名を歴史に刻む礎の一つとなるでしょう」


「……そういうものか。ままならんな」


 慰めらしき言葉をかけてくれた侯爵に、オスカーは少し疲れた声で答える。


「お前がこの面倒極まりない仕事を進めてくれている間に、ブルクハルト伯爵も東の国境の問題については片をつけてくれたぞ」


「では、パラス皇国への備えは……」


「ああ、ひとまずは問題ない。かの国の軍の強さはたかが知れている。ベトゥミアと比べれば脅威にもならんさ」


 ベトゥミア共和国軍の追撃の際には一応は援軍として参戦したパラス皇国軍だったが、帰り際に国境沿いの街や村で略奪を働いていくという振る舞いを見せた。


 どさくさに紛れての蛮行に、ロードベルク王国での、特に南東部貴族の間での皇国の評価は地に堕ち、今や戦前よりも印象が悪化。結局は、両国の関係は国境で睨み合う敵国同士のままとなっている。


 軍務大臣のブルクハルト伯爵はこの一か月半で、王国軍と南東部貴族の軍勢を上手くまとめ、国境の一応の防衛態勢を整えるという、これまた面倒な仕事を無事に成し遂げていた。


「ランセル王国との講和も来月には締結されるから、とりあえず目の前に軍事的な危機はなくなった。先のことについては緑龍帝国からの返事を待つことになるが……」


「その件については大丈夫でしょう。ノヴァチェク伯爵であれば何も問題ありますまい」


 スケッギャソン侯爵が口にしたのは、現外務大臣であるエリーシュカ・ノヴァチェク伯爵の名だ。彼女は現在はオスカーから全権を委任され、アドレオン大陸の東の果てにある大国・緑龍帝国へと向かっている。


 海路と陸路を合わせて往復およそ半年の長旅であるため、帰還するのは来年の冬明けとなる見込みだ。


「そうだな。あの女傑であれば、問題なく私の望む通りの契約を結んでくるだろう。それに、我が国が強力な軍船や輸送船を保有し、アドレオン大陸南部において守護者となることは、かの国にとっても都合がいいはずだ」


 オスカーがノヴァチェク伯爵に託したのは、緑龍帝国からロードベルク王国へと大規模な技師団を招き、遠洋航海に堪える大型船の製造技術や、その運用技術を教えてもらう契約の締結だ。


 今回ベトゥミア共和国による奇襲侵略を許した最大の要因は、ロードベルク王国の海上戦力の貧弱さ。その背景には、王国の造船技術や航海技術の低さが問題としてある。なのでオスカーは、その弱点を解消するために動き始めていた。


 国の規模が違いすぎるためベトゥミア共和国ほどの大船団を保有することは難しいが、それでもある程度の船団を抱えておけば、防衛力として一定の効果が見込める。少なくとも、今回のように手も足も出せず一方的な上陸を受ける事態は防げる。


 ロードベルク王国がその気になれば、自力でベトゥミア共和国のあるグランドール大陸まで行ける、という事実もひとつの抑止力となる。同じことは、グランドール大陸にある他の国々に対しても言える。


 緑龍帝国にとっても、アドレオン大陸に他の大陸の侵略者が簡単に上陸できる状況は強く懸念すべきこと。オスカーからの要望は、かの国の皇帝にも問題なく受け入れられると見込まれていた。


「まあ、この件に関しては、今これ以上考えてもできることはないがな」


 造船技術を学ぶところから始めて遠洋航海に堪えられる船団を保有するとなると、確実に十年単位の時間がかかる。オスカーは、これが自身の王としての人生をかけて行う大仕事になると考えている。


「ええ、まずは今の王国の立て直しが急務でしょう。私はこれより、貴族たちに褒賞を与える準備を含め、式典と晩餐会の開催準備に移ります」


「頼んだ。私は膨大な執筆作業に向けて覚悟を決めておかねばな」


そう言ってオスカーは苦笑いを浮かべる。


 陞爵や叙爵、領地の下賜に際しては、特殊な加工の施された羊皮紙に、国王が直筆で文を記した書状を貴族に与えなければならない。それがそのまま爵位や領地の権利証明書となる。文言は官僚たちが全て用意してくれるが、それを書く作業は儀礼上、王にしか務められない。


 いつもは新たに爵位を得る者も、領地を得る者も、多くて数組だ。それが今回は数十人分の書状をしたためなければならない。魔法で加工する羊皮紙の費用もばかにならないので、あまり書き損じてもいられない。腱鞘炎と集中力との戦いになることは間違いない。


「それもまた陛下のお役目でしょう。書状の文言に関しては、なるべく簡潔に、かつ栄誉を感じさせるものに仕上がるよう文官たちに努めさせますのでどうかご辛抱ください……それでは、私はこれで」


 席を立ったスケッギャソン侯爵は、臣下のお手本のような姿勢の良さで一礼し、退室していった。


「……やっと終わりが見えてきたな」


 一人になったオスカーは、小さな声で独り言ちる。


 南部の貴族領の再編成を終えれば、あとは新旧の領主たちを王家が手助けして復興させていけばいい。パラス皇国はブルクハルト伯爵に押さえさせ、ランセル王国とは正式な講和を結んで貿易などを再開させれば軍事面、経済面も安定させられる。


 ベトゥミア戦争に関する王家への評価――毒薬を大量に用いて邪道な勝ち方をしたことについての一部貴族からの悪評も、今進めている計画が実を結べば収束するだろう。


 秋の論功行賞の式典と晩餐会を乗り越えれば、王国はマイナスの現状からゼロへ、そしてプラスへと発展を遂げていく。


 心労が重なる激務の日々にもようやく出口が見えてきたことに、オスカーは少しだけ安堵していた。

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