第299話 謎の褒賞

 王歴二一九年の七月下旬。『遠話』通信網や早馬を使って王家から全国各地の上級貴族へと連絡がなされ、九月の半ば、王宮にて式典と晩餐会を行う旨が伝えられた。


 その連絡はベヒトルスハイム侯爵領からケーニッツ子爵領を経由してアールクヴィスト子爵領へも届けられ、『遠話』が来た直後には、対話魔法使いのコンラートを伴った従士長ユーリがノエインの執務室を訪れた。


「――なので、今回に関しては正式な儀礼服でなくとも構わず、また国王陛下への貢物についても準備をしないように、とのことでした」


 執務机につくノエインの方を向きながら、コンラートが『遠話』で受けた連絡内容を報告する。ノエインの傍らには副官のマチルダが控え、コンラートの横には従士長ユーリが立っている。


「準備しなくてもいい、じゃなくて、準備をしないように、か。南部貴族にかなり配慮されたかたちだね」


「そうだな。同時に北部貴族にも、かなり気を使ってるんだろう」


 報告を聞きながらノエインが呟くと、ユーリがそれに頷いた。


 おおよそ二年に一度程度開かれる王都での式典や晩餐会の際は、貴族たちが国王に土産として貢物を持参することが慣例となっている。


 慣習法上は軍役と並んで貴族が負担すべき税の一種と考えられており、家格に見合った品を用意することが求められる。今までのノエインの場合は、特に質の良いラピスラズリ原石を木箱一杯分も厳選し、献上してきた。


 全ての上級貴族からの貢物を集めれば、王家にとっては少なくない臨時収入となる。過去にはこの貢物を目当てに、頻繁に晩餐会を開催するような愚王もいたという。


 今回その負担を実質的に免除するのは、おそらくは多くが家督を継いだばかりで領地の立て直しもまだまだ進んでいない南部貴族たちへの配慮だ。


 北部貴族にまで貢物の持参を禁止したのは、「南部貴族たちだけが土産を持ってこなかった」と語られるかたちで南部貴族の面子が損なわれることを防ぎ、同時に「北部貴族だけが貢物の負担を強いられた」と北部貴族の不満を生まないための措置だと考えられる。


「儀礼服も、家督を継いだばかりの当主に正式な儀礼に則ったものを用意させられない家もあるだろうし……本当に、とりあえず期限までに王都に到着しさえすればいいって感じだね」


「南部貴族には、それだけで精一杯の家も多いだろうからな。王家としては、論功行賞やら新しい当主たちの顔合わせやらを早いところ済ませてしまいたいんだろうが」


「王家の都合に貴族たちを付き合わせるために、陛下の方が大幅に譲歩したんだろうね……式典の方はともかく、晩餐会はいつもみたいな豪華なものじゃないかもしれないな」


 今回の招集の目的は、叙爵と陞爵、褒賞下賜の式典を開くことだ。王国中央部もまだまだ戦後復興の只中にあり、貴族からの貢物という利益もない以上、晩餐会の内容には期待しない方がいい。ノエインはそう考える。


「そういえばコンラート、僕の褒賞については『遠話』で触れられた? 王家からの使者が来る予定とか」


 ベトゥミア戦争での功績を考えると、ノエイン全貴族の中でも最も大きな褒賞を賜ることになるだろう。褒賞が大きい場合は、儀礼上、王家からの正式な使者が事前に送られる場合が多い。


「いえ、それが……その褒賞の件で、国王陛下よりノエイン様に直々にお話があるそうです。『遠話』では伝えかねることだそうで、ノエイン様のみ他の貴族に先駆けて、九月上旬のうちに王宮へと参上するよう王命が下されています」


 それを聞いたノエインは少し驚いて眉を上げた。『遠話』で伝えられないほどの話というのは、よほどの内容だ。


「……陛下は僕に一体何をくれるつもりなんだろうね」


 ノエインは室内の面々を見回すが、コンラートも、傍らのマチルダも申し訳なさそうに首を振り、ユーリは苦い笑みを浮かべながら彼らの気持ちを代弁するように答える。


「ノエイン様が分からないなら、俺たちには見当もつかんな。だが、少なくともただの陞爵や、単純な金品じゃないんだろう」


「だよね。となると……飛び地とか? だったら勘弁してほしいなあ。アールクヴィスト領だってまだまだ開拓の余地が残ってるし、人手にも余裕があるわけじゃないのに」


 ノエインは心底嫌そうな顔で呟いた。


 王家が貴族に対して新たな領地を与えるのであれば、その位置や規模によっては政治的な事情で直接伝えたい場合もあるだろう。


 しかし、ノエインは飛び地というもの自体に良い思い出がない。そもそも、アールクヴィスト領の運営で手一杯のところへそんなものを与えられても、管理する苦労が増えるだけで嬉しくもなんともない。


「ノエイン様がこれ以上の領地なんぞ欲しがらないのは王家も分かってるだろう。それはないんじゃないか?」


「でも、それじゃあ一体どんなご褒美を……って、ここで考えてても仕方ないね」


「ああ、国王陛下のお考えなんて、俺たちには分からん」


 ため息をつくノエインに、ユーリも諦めたような表情で頷いた。


・・・・・


「さむえるー」


「えれおーす!」


 八月に入り、空気もすっかり夏らしくなったある日。ケーニッツ子爵家の屋敷の前で、ノエインの息子エレオスと、フレデリックの息子であり、アルノルドの嫡孫であるサミュエルが互いに駆け寄り、抱き合う。


 従兄弟であり幼馴染である二歳の幼子が再会を喜ぶ様は、とても微笑ましい。その様子をエレオスの後ろで見ていたノエインとクラーラも、サミュエルの後ろで見ていたアルノルドとエレオノール、フレデリック、レネットも、思わず顔をほころばせた。


「ノエイン、よく来たな。エレオスはまた大きくなったようだ」


「ええ、最近は新しい言葉もどんどん覚えて、日に日にやんちゃになっていきますよ。ちょっと困るくらいです」


 アルノルドと挨拶を交わしながらノエインが苦笑すると、フレデリックがそれに同意するように頷く。


「気持ちは分かるぞノエイン殿。うちのサミュエルも同じだ。これからますますわんぱくになると思うと今から疲れるよ」


「あはは、子育ての悩みはどの家も同じですね」


 ノエインが二人と話している一方で、クラーラも母と義姉と挨拶を交わしながら、全員が屋敷内に入る。


「ではあなた、私たちは居間の方へ」


「うん、また後でね。エレオスをよろしく」


 そして、クラーラたち女性陣は居間に向かい、ノエインたち男性陣は応接室の方に入った。


 今日ノエインは、ただ家族の触れ合いのためにケーニッツ子爵家を訪れたのではない。本命は貴族としての仕事の話だ。


 来月の式典と晩餐会を含む今後のことについて話したいとアルノルドから言われ、ケーニッツ子爵家を訪れるついでに、クラーラとエレオスを伴っていた。


「それで、君の褒賞については何か詳細は伝えられたか?」


「いえ、私だけ他の貴族に先がけて、九月上旬のうちに王宮に来いと指示を受けただけで……具体的なことについてはまだ何も」


「そうか。陛下から直々に説明がなされるとは、さすがは『救国の英雄』殿だな」


「正直に言うと、その異名は少し苦手ですね……」


 アルノルドの言葉に、ノエインは微妙な笑顔を返す。


 式典と晩餐会の日程について上級貴族たちへと連絡が送られるのと時を同じくして、国王オスカー・ロードベルク三世の名で、ベトゥミア戦争の概要について王国全土に布告がなされた。


 その布告の中では、戦いの中で将として活躍した大貴族たちの功績よりも目立つかたちで、ノエインが大胆な策を提示して王国の窮地を救ったことが強調されていた。ノエイン・アールクヴィスト子爵は「救国の英雄」であると、王の名のもとに堂々と告げられていたのだ。


 名誉なことであるのは間違いないが、自領で穏やかに平和に暮らしたいノエインとしては、良くも悪くも目立ち過ぎている気がしてしまう。


「それで、ケーニッツ子爵家については、何か褒賞のお話はありましたか?」


 全国に轟いてしまった異名の件についてはあまり触れられたくないノエインは、そう尋ねることで話題を変える。


「ああ、つい先日使者が来て、王家からの書状を受け取った……それによると、うちは陞爵してケーニッツ伯爵家となるそうだ」


 それを聞いてノエインは目を丸くした。


「……おめでとうございます。凄いじゃないですか。新たに伯爵家が生まれるのは確か……七十年ぶりになりますか?」


「七十三年ぶりだな。アハッツ家が港湾都市の構築に成功したことで陞爵して以来だ。うちの場合はフレデリックが西部軍の参謀として活躍したことに合わせて、貴族閥の政治的な事情も大きいのだろうが……」


 ベトゥミア戦争を経て地方貴族閥の力関係は大きく変わり、北西部と南西部、北東部と南東部の力がほぼ並ぶこととなった。そうなれば、北西部に新たな伯爵家があると家格のバランス的には丁度いい。


 そんな事情の考察をアルノルドが語ると、ノエインは首をかしげる。


「それなら、我がアールクヴィスト家への褒賞はどうなるのでしょうか……あれだけ大げさに私の功績を王家が語るのなら、面子を考えても伯爵家への陞爵以上のものを与えないといけなくなりますよね?」


 この場合の面子とはノエインのものではない。ノエインをことさらに褒め称えておいて他の貴族と同程度かそれ以下の褒賞しか与えなければ、「口だけ褒めておいて、それに見合う褒美をやる器量や力がない」と王家の面子が潰れる。


「そうだな……極めて大きな何かの特権、というのが妥当なところじゃないか? 具体的なところまでは私も想像できないが」


「特権ですか……楽しみなような、少し怖いような、複雑な気分ですね」


 ノエインは居心地が悪そうに言った。その様子に小さく笑い、アルノルドは表情を引き締めなおす。


「それで、ある意味ここからが本題なのだが……陞爵に伴って、私はエレオノールと共に王都の別邸へと住まいを移すことにした。ケーニッツ領を治める実務については、フレデリックを領主代行に置いて全権を預ける」


 それを聞いたノエインの目がまた丸くなる。


「それはまた……思い切ったご決断ですね」


「ああ。これもまた政治的な事情が色々と絡んでいるのだがな」


「少なくない数の宮廷貴族が、南部に領地を与えられて王都を去ることになった。その分、王都の貴族社会に入り込む余地が増えたというわけさ。父上は北西部閥の四番手として長く当主を務めてきたし、領地の位置も、ベゼル大森林道を擁するアールクヴィスト領や、北西部の中枢であるベヒトルスハイム侯爵領と隣り合っている。王都で政治的な活動をする人材としてはうってつけというわけだ」


 アルノルドに代わって事情を語ったフレデリックが、そこでニヤリと笑みを作る。


「つまり父上は、北西部閥の工作員として王国の中心地に送り込まれるわけだ。継嗣の私も、この数年で領地運営を学んで領主代行として申し分のない能力を身につけたしな」


「おい、父親を工作員扱いとはいい度胸だな。それと自画自賛は止めんか」


 父子の気安いやり取りに笑いつつ、ノエインも口を開く。


「では、僕はお義父上のお顔を見られる機会がしばらく減ってしまうわけですか……とても寂しいことですね。泣いてしまいそうです」


「君もか。義父なんぞをからかって何が楽しいんだ……まあそういうわけで、私はおそらく来年あたりから王都に常駐する。何か働きかけてほしいことがあれば、フレデリックと相談した上で連絡を寄越すといい。ある程度は手助けできるはずだ」


「分かりました。では、何かあれば頼らせていただきます。ありがとうございます」


 王都から助力をくれる身内がいるというのは、貴族にとっては非常に都合がいいことだ。義父として、そして隣人領主としてのアルノルドの言葉に、ノエインは素直に感謝しながら頷いた。

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