第280話 誇り

「……フレデリックさん、騎兵部隊の生き残りはどれくらいですか?」


 喜びに沸く西部軍と撤退の準備を進める敵陣を眺めながらノエインが尋ねる。


「二五〇騎に届かない程度だが……何故だ?」


「では、その騎兵を集結させてください。僕はクレイモアの傀儡魔法使いのうち、魔力が回復してゴーレムを動かせそうな者を集めます」


「なっ!? ノエイン殿、敵に攻勢をかける気か!?」


 目を見開くフレデリックに、ノエインは不敵な笑みを見せた。


「さすがにそこまではしません。昨日の戦闘明けで、今の西部軍にそこまでの余裕はありませんから……でも、騎兵とゴーレムが並んで攻撃のそぶりを見せれば、最低限の警戒しかしていない敵はきっと慌てふためくはずです。一刻も早く撤退したい状況ではさぞ迷惑でしょう」


「なるほど、つまりは嫌がらせというわけか。君の……悪賢さはとどまるところを知らないな」


「ふふっ、バレル砦の戦いのときから僕はずっとこんな感じだったと思いますけど」


「確かにな。だがそれに年々磨きがかかってるんじゃないか?」


 ノエインはフレデリックの言葉にくつくつと笑い、さらに何かを思いついたように顔を輝かせる。


「そうだ、ついでにまた夜襲のふりをする準備もさせましょう。急いで撤退準備を進めているときの、連日連夜の嘘の夜襲。僕がベトゥミアの将兵だったら、絶対に迷惑に思いますよ」


「……分かった。仰せのままに、大将閣下」


 半ば呆れた声で頷きながら、フレデリックは騎兵部隊を集合させるためにその場を去った。


・・・・・


「フォスター閣下、間もなく殿軍の退却準備も完了いたします。閣下もそろそろ出発のご準備を」


 数日前まで司令部天幕のあった広い空間で、一人項垂れるアイリーンにそう声をかけたのは、彼女の忠実な副官だ。


 多くの軍団長とそれぞれの副官、警備兵や書記官などを収められる広い天幕の跡地。今はここには何もなく、ここに集うべき将たちもすでに多くが部下を連れて後方へと退却している。


 アイリーンの手もとにいるのは、これから退却に際して最後尾の遅滞戦闘を務める三〇〇〇ほどの軍勢のみ。アイリーンはまだ敗戦の将でこそないものの、誰がどう見ても負け犬の指揮官と言うしかない有り様だ。


 今となっては無駄に広いだけの天幕の跡地が、アイリーンの惨めさをよりかき立てる。


「……何だこの戦いは。何だこのザマは。こんな、こんな」


 アイリーンは頭を抱え、暗い顔でうわ言のように呟く。


 敵部隊の大将であるノエイン・アールクヴィスト子爵は、防衛戦に関しては非常に優れた将だった。配下の人材にも恵まれていた。それは疑いようもない。


 だからこそ、アイリーンは正攻法で粘り強く攻め続けた。小回りの利かない大軍で、奇策に奇策で挑んでも混乱するだけだと考え、圧倒的な戦力差を活かした大攻勢でアールクヴィスト子爵の部隊を追い詰めた。


 そしてついに、あと一歩のところまでたどり着いた。次の攻勢では必ず勝てる。そう確信できるところまで来た。


 その段になって、後方の西部侵略軍の本部から退却命令だ。支援をもらうどころか、部隊を下げろという命令だ。これでは今まで何のために戦ったのか、兵たちは何のために死に、何のために負傷したのか分からない。


 おまけに、こちらが退却することに気づいた敵は、連日にわたって卑劣な嫌がらせを続けてきた。負傷兵の移送と部隊撤退をどうにか四日で済ませようとしていたのに、結果的にさらに数日を要することになった。


 他の戦線も例の毒を駆使した敵の戦術にひどく苦戦しており、さらに後方の補給線も乱れきっているという。そこへ来ての侵攻停止と退却の命令だ。ベトゥミア共和国軍が勝てる空気がもはや流れていない。アイリーンの勘では、おそらくもう再進撃の命令は出ない。


 このまま本国への撤退命令が下り、ベトゥミア共和国は事実上の敗北となるだろう。根拠はないが、直感的にそうなる気がした。


 どうしてこうなった。上陸当初は間違いなく上手くいくと思っていたのに。ガルドウィン侯爵領を落とし、そのまま破竹の勢いでロードベルク王国の西部を全て占領するはずだったのに。自分がその先頭に立って戦果を挙げるはずだったのに。


 ほんの数日だ。あと数日命令が遅ければ、いや西部侵攻部隊の攻勢が早ければ、アイリーンが北西部への侵攻を成功させ、戦いの流れも変わったはずだったのだ。


 あと一歩で戦況を変えた英雄になれたのに、その一歩が及ばず負け犬になった。こちらが負け犬だと突きつけるような敵の嫌がらせを受け、今からは敵の追撃に怯えながら後ろへ下がることになる。


 そして、最後は負け犬として国に逃げ帰り、生き恥を晒す。


 こんなことがあっていいはずがない。


 いや違う、こんなのは嫌だ。ただ嫌なのだ。こんな手応えのないかたちで戦いを終えるなど受け入れられない。


 そう思いながら、アイリーンは立ち上がった。


「……行こう」


 副官と共に天幕の跡地を去り――アイリーンはおもむろに自身の愛馬に乗ると、駆け出した。


「閣下!? おい、私の馬を!」


 後ろで副官が驚愕し、自身も馬に乗って追いかけてくるのが音で分かる。しかしアイリーンは彼に応えず、野営地を駆け抜け、つい先日まで戦場だった平原も駆け抜け、敵陣の前で止まる。


 そして、いきなり敵将が単騎で迫ってきたことでざわめくロードベルク王国西部軍に向けて叫んだ。


「ノエイン・アールクヴィスト子爵! 大将のアールクヴィスト子爵はいるか!? 私の前まで出てこい! アールクヴィスト子爵!」


 さらにざわめきが大きくなる敵陣を前に、アイリーンは叫び続ける。


「大軍団長閣下、いえお嬢様、一体何をなさっているのですか! ここは危険です、陣へお戻りを!」


「許せ、私に構うな……アールクヴィスト子爵! 出てこい! アールクヴィスト子爵!」


 副官の制止を無視してアイリーンが声を張っていると、


「……出てきますから、どうか落ち着かれてください」


 というアールクヴィスト子爵の声が『拡声』の魔道具に増幅されて届いた。


 やがてそれほど待つことなく、例の側近の大男と兎人の奴隷を連れたアールクヴィスト子爵が進み出てくる。アイリーンが馬から降りて数歩近づくと、子爵も下馬して歩み寄ってきた。


 数メートルの距離で止まり、対峙する。アイリーンの後ろには副官がいつでも彼女を庇えるように控え、子爵の後ろにも二人の側近が隙のない姿勢で護衛につく。


「フォスター大軍団長、一体どうされたのです? そちらはもう退却目前でしょうに、護衛もまともに連れず……」


 呆れ顔で、しかし対話には応じてくれた彼に、アイリーンはいきなり本題を切り出した。


「急な呼び立てに応えてくれて感謝する。アールクヴィスト子爵……私は卿との一騎打ちを所望する! それを伝えに来た!」


 アイリーンの言葉に子爵が目を見開き、彼の側近二人も小さく眉を上げて驚く。後ろの副官も「なっ!?」と驚愕の声を上げたのが聞こえた。


「卿はゴーレムを使ってくれて構わない。私が勝ったからといって、そちらに降伏などの条件を求めるものでもない。ただ、私と一騎打ちをしてほしい。それだけだ!」


「……何のために?」


 アールクヴィスト子爵は怪訝な表情でアイリーンに尋ねた。


「軍人としての誇りのためだ! このようなかたちで退却することに私は納得できない! 恥を晒して国に戻ることはしたくない!」


 その答えを聞いた子爵は、まるで子供に駄々をこねられたときのような困った表情でため息をつく。


「……なるほど。あなた個人の実力は存じませんが、ゴーレムを使った私に生身で勝つのはほぼ不可能でしょうに。それでもあなたは自身の誇りを保つために、たとえここで散るとしても私と一騎打ちがしたい。そういうことですね?」


「そうだ! 私がいなくとも、退却を指揮できる程度の将はいくらでもいる。卿も軍人であるなら、私の――」


「お断りする」


 アールクヴィスト子爵はアイリーンの言葉を遮り、冷徹な目で言い放った。


 何故だ、と問いかけようとするが、彼と目が合って思わず言葉を飲む。それほど鋭い、底冷えするような視線だった。


「……アイリーン・フォスター大軍団長。確かにあなたは有能で立派な軍人なのでしょう。今までに私が戦った敵の中でも、あなたは一番強かったと思います」


 そう言ってアイリーンを高く評価しつつも、アールクヴィスト子爵の視線は冷たいままだ。


「ですが。あなた個人はそうでも、あなたの国はどうです? あなたの国に、ベトゥミア共和国に誇りはありますか?」


「……っ!」


 アールクヴィスト子爵はアイリーンの祖国の名を、とても忌々しそうな表情で口にした。


「貴国と我が国は百年以上に渡って貿易を行ってきた。それがたとえ対等なかたちではなかったとしても、我々は友好国だったはずです。しかし貴国はロードベルク王国を一方的に侵略した。それもこちらが凶作で弱っている隙を狙って。これが誇りある文明国家のやることですか?」


 問いかけられて、しかしアイリーンは答える言葉を持たない。


「侵略を開始してからの貴国の振る舞いもそうです。こちらの貴族は幼子に至るまで殺し、その他の軍人も降伏を認めずに殺し、無辜の民から略奪し、男は殴り、女は犯した。蛮族なのはどちらですか? そんな国の将の口から誇りなどという言葉が出るとは思いませんでした。ずいぶんと趣味の悪い冗談ですね」


「……」


 ぐうの音も出ないとはこのことだ。アイリーンは下を向き、羞恥で顔を歪める。


「……なので、あなたが本当にご自身の誇りを守りたいのなら、あなたの恥ずべき祖国を変えるべきです」


 そこで急にアールクヴィスト子爵の声から冷徹さがなくなる。アイリーンは少し驚いて顔を上げ――優しく微笑む彼と目が合った。


「あなたの国は過ちを犯した。しかしそれは国民全ての罪ではないはずです。ごく一部の指導者層の意向から生まれた過ちです。であれば、あなたの国はまだやり直せる。正しい方向へと進むことができる。あなたはそのために、国を正すために戦い、誇りを取り戻すべきです」


「国を正すために、戦う……?」


「そうです。あなたは若くして高い地位に就き、能力も高い。あなたなら、やろうと思えば多くのことを成せるでしょう。私があなたの立場だったら、ここで自己満足のために命を散らすよりも、そうして有意義に人生を使います」


 アイリーンはアールクヴィスト子爵の言葉の意味を考え、しばらく黙り込み、そして表情を引き締めた。


「……アールクヴィスト子爵、卿の助言はありがたく受け取った。卿は敵ながら良き将で、素晴らしい男だ。卿のような傑物を擁するロードベルク王国への認識を改めよう」


「過分な評価をいただき感謝します……さあ、あなたの陣にお戻りを。ここはまだ戦場で、この戦争はまだ終わっていません。私とあなたは敵同士です。今の話は終戦まで忘れてください。どちらが勝つにせよ」


「……そうだな。失礼する」


 アイリーンは再び騎乗し、踵を返す。最後にもう一度だけアールクヴィスト子爵をちらりと見ると、自陣の方へと無言で馬を進めた。その後ろに、忠実な副官も続いた。


・・・・・


 そうして去っていくフォスター大軍団長の背中を眺めながら、彼女との距離が十分に離れたところでノエインは呟く。


「あれで、戦後にあの人がベトゥミアの民衆側について指導者層と対立してくれたらいいね。できるだけ長く国内で揉めてほしいな」


「……やっぱりそれが狙いだったか」


 それを後ろで聞いていたユーリは、呆れを通り越して諦めを滲ませた声色で返した。


「ふふっ、こっちも酔狂で戦争してるわけじゃないからね。僕が勝てばそれで戦争が終わるとかならともかく、相手の意地に付き合うためだけの一騎打ちとか面倒なだけだし。せっかく交流を持った敵将を利用しない手はないよ……でも一応、あの人に意義ある生き方をしてほしいと思ったのは本当だよ?」


 馬に乗り、本陣へと向き直ってノエインは笑う。


「さて……それじゃあ追撃戦の開始だ。フォスター大軍団長に死なれても困るから、敵がちゃんと後方に帰れる程度に。だけどしっかり敵の負担を増やして疲れさせるように。上手にやらなきゃね」

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