第278話 消耗戦④

「諦めるな! 戦え! 戦うのだ!」


「敵が音を上げるまでもうすぐだ! 下がるな! 頑張れ!」


 隘路の戦場の左右では、オッゴレン男爵とヴィキャンデル男爵も声を張って自身が率いる歩兵たちを鼓舞する。


 もはや二部隊で交代しながら戦線を支えるなどと悠長なことをやっている余裕はなかった。全員でがむしゃらに戦って剣を振るい続け、将官たちは「戦え」「頑張れ」と兵士たちの根性に訴えることしかできない。


 数に任せて津波のように押し寄せるベトゥミア共和国軍と、地の利を活かしてそれを押し留めようとするロードベルク王国西部軍。泥沼の戦いで、戦場の混沌は増していく。


 やがてベトゥミア共和国軍が、その状況を打破しようと動き出した。


「まずい、丘の方に!」


 敵の動きを見たノエインが叫ぶ。一部のベトゥミア兵が、側面の丘を上がろうとし始めたのだ。


 丘に配置されて敵の側面を叩いていたのは徴募兵のクロスボウ部隊だ。まともな白兵戦の訓練も受けておらず、持っている武器は連射の利かないクロスボウ。大軍の襲来を押さえるにはあまりにも頼りない。


「誰か掩護を……くそっ、無理か」


 左右を見まわし、ノエインは悪態をついた。現状維持がせいいっぱいの状況で、さらに他の部隊を支える余裕のある者などいるはずもない。


 丘が落ちればそのまま敵に囲まれて敗北だ。ここまでか。


 そんな考えがノエインの頭をよぎった瞬間、また事態が動く。


「押し返せ! こんな奴ら皆殺しだ!」


「こいつらが農民に何をしたか思い出せ! 負けたら今度は俺たちが捨て駒の奴隷にされるんだぞ!」


 丘にいたクロスボウ兵たちが、逆にベトゥミア共和国軍の方へとなだれ込み始めた。


 先導しているのはクロスボウ兵のリーダー格の男たち。一般領民からの徴集兵で、普段はただの農民だ。そんな彼らが、しかし今は名もなき英雄となって他の農民を引っ張り、敵に殴りかかる。


 クロスボウで敵を直接殴る者もいれば、クロスボウの矢を手に持って敵の頭に突き立てる者もいれば、敵が取り落とした剣や槍を拾って使う者もいる。まさか農民兵からこれほど積極的な逆襲を受けると思っていなかったベトゥミア兵たちは、大いに混乱する。


「道を開けろ! どけ! どけえ!」


 さらに後方から声が響く、最前列を支えていたノエインたちが振り返ると、西部軍の隊列の右端になんとか通路を確保しながら騎兵の一団が前進していた。


 その先頭にいるのは、なんとバラッセン子爵だ。子爵は南西部貴族とその従士を中心とした数十騎の騎兵部隊を率いて難儀そうに味方の中を抜けると、そのままベトゥミア共和国軍のど真ん中に突き進んでいく。


「突げ……とっ……突撃! 侵略者どもを殺せ!」


 十分な助走の距離は稼げなかったが、それでも騎兵の質量は生身の歩兵にとって脅威になる。バラッセン子爵は声が裏返りながらも懸命に叫び、率いる騎兵たちと共にベトゥミア兵たちを踏み潰していく。


「……思わぬ援軍ですな」


「まあ、あの人も必死だろうからね」


 視線は正面の敵に向けて戦闘を続けながら、ノエインはユーリと言葉を交わす。


 何せこの戦場はバラッセン子爵領のど真ん中だ。ノエインたちは壊走してこの場を生き延びる選択肢もないではないが、バラッセン子爵は西部軍が負けた瞬間に領地も家も滅亡確定である。もはや突撃が怖いなどと言っている状況ではない。


 クロスボウ兵とバラッセン子爵の思わぬ奮闘で、戦況が西部軍に有利に傾き始める。


・・・・・


 大将のノエインが戦列の最前で周囲を鼓舞しつつ奮戦している一方で、参謀のフレデリック・ケーニッツは本陣から西部軍全体の管理を行っていた。


「本陣の守りも減らしていい! 最低限を残して前衛への掩護に回せ! それと戦場で負傷者の救助にあたっている兵士も戦いに回せ! 救助作業にはまだ動ける軽傷の兵を動員する! 救護所に伝えろ!」


「はっ!」


 人手が圧倒的に足りない状況でどうにか戦線を支えるために、フレデリックは状況を見つつ即断即決で命令を下していく。


 伝令役の士官にひとつ指示を預けて本陣から走らせ、次の士官にまた新たな指示を下す。そのくり返しだ。


「後方の非戦闘員からも兵を募れ! 飯炊きだろうと厩番だろうと、聖職者だろうと構わん! 歩く足と武器を握る手、それと戦う気力がある者は誰でも引っ張り出せ!」


「了解っ!」


 また一人の伝令を送り出し、フレデリックはふと戦場を見下ろす。


 クロスボウ兵と騎兵の勇気ある反撃によって戦況が変わる兆しを見せているのは、本陣にいても分かった。本陣からこの状況を掩護させれば今日も乗り越えられる。そう思って息を吐いたその時。


「敵襲! 本陣に敵襲ぅー!」


 そう叫ぶ兵士の声が聞こえ、フレデリックは反射的に振り返りながら剣を抜いた。傍らにいたケーニッツ子爵家の従士長も剣を構えてフレデリックの守りにつく。


「どこだ! どこから入られた!?」


「右手後方の丘からです! 数はおよそ二十グブッ!」


 本陣の守りについていた兵士がフレデリックの問いかけに答えようとするが、その喉を矢が貫く。その背後からぞろぞろと現れたのは、黒装束に身を纏った二十数人の敵集団だ。


 体格は皆小柄で顔まで布で覆い、手にしているのは短剣や短弓など奇襲暗殺に特化した武器。明らかに他のベトゥミア兵とは違う。こちらの監視網を潜り抜けて本陣に到達できるような、特殊な技能を持った精鋭部隊だと思われた。


 その部隊の何人かがフレデリックに向かって弓を構え、さらに別の何人かは吹き矢のようなものを向けてくる。


 まずい、とフレデリックが思った瞬間、黒装束の集団を蛇のように長い炎が襲った。数人が火だるまになり、他の者も咄嗟に散らばってテントの影に隠れる。


「坊ちゃま、ご無事で?」


「大丈夫だ、よくやった……だが、こんなときに坊ちゃまは勘弁してくれ、レーン」


 横からかけられた女性の声に、フレデリックは苦い笑みを浮かべて答えた。


 それに艶やかな微笑みを返すのは、本陣の直衛についていたケーニッツ子爵家お抱えの火魔法使いだ。ハーフエルフの女性で、見た目こそ三十代ほどだが実年齢は七十歳近い。


 先代当主の頃からケーニッツ家に仕えている最古参の家臣であり、今でもたまにアルノルドを若様と、そしてフレデリックを坊ちゃまと呼ぶ。


「これは失礼。今は参謀閣下ですものね」


 言いながら、彼女は従士長とは反対の側に立ってフレデリックの守りについた。


 さらに、本陣の警護についていたケーニッツ子爵領軍の親衛隊も集結し、フレデリックを囲むように隊列を作って全周囲を警戒する。


 その人数は十五人ほど。全員がケーニッツ子爵領軍から選び抜かれた最精鋭で、中にはフレデリックとともに王国軍へと修行に出ていた者もいる。


「本陣が落ちれば指揮系統が崩れる! ここを死守するぞ! 我々の戦いが王国西部の運命を決すると思え!」


「「「はっ!」」」


 フレデリックが叫ぶと、それに親衛隊兵士たちも応える。その間にも黒装束の集団が周囲に散らばっていくのが見える。


 そして、黒装束は多方向から一斉に襲いかかってきた。フレデリックと親衛隊も一斉に目の前の敵に斬りかかり、戦闘が始まる。


 正規の軍人としては最高峰の訓練を積んだ親衛隊と、非正規戦に特化した特殊部隊。互いの相性は良い部分もあれば悪い部分もある。しかし魔法使いを擁するフレデリックたちの側にやや有利に戦いが進む。やがて親衛隊以外の本陣警備兵も集まり、数で敵を上回る。


 勝ちが見えたと思ったフレデリックだったが、そのとき死角から黒装束の一人がくり出してきた突進をまともに受けてしまった。振り向きざまに剣で斬りつけようとしたものの、その間合いの内側まで一瞬で迫られてぶつかられ、地面に倒れ込む。


 黒装束はフレデリックに馬乗りになり、短剣を振りかぶる。その刃には毒と思われる紫色の液体が塗られていた。


 そして次の瞬間、その黒装束の胸をクロスボウの矢が貫いた。黒装束は「ゴフッ」とくぐもった声を上げ、そのままフレデリックの横に倒れる。


 フレデリックが起き上がりながら矢の飛んできた方を見ると、そこには司令部テントの陰に隠れながらクロスボウを持つ通信担当の対話魔法使い、コンラートがいた。


 いきなり間近で戦闘が行われたからか、その顔は真っ青だ。しかし、今フレデリックにのしかかっていた黒装束を仕留めたのは紛れもなく彼だった。


「……助かった。勇敢だな」


「は、はいぃ」


 フレデリックが笑いかけると、コンラートも引きつった笑みを返した。


 その頃には他の黒装束も各個撃破され、本陣の混乱も収まる。


 フレデリックは自身の横に倒れる黒装束の顔を覆う布を引きはがした。布の下から現れた顔は、まだあどけなさの残る、十代と思われる猫人の男のものだった。


「……獣人兵か」


 他の黒装束を何人か見ても、兎人や鼠人など小柄で敏捷性に優れた種族の若者ばかり。


 ベトゥミア共和国でも獣人は差別の対象だと聞く。おそらくはこの黒装束たちも、選ばれし精鋭というよりは便利な道具のような扱いの部隊だったのだろう。


 そう考えたフレデリックは小さくため息をつくと、戦場の指揮に戻った。


・・・・・


「……敵が退いていくぞ! 僕たちの勝利だ!」


「「「おおぉー!!」」」


 ノエインが叫び、兵士たちが喜びの声を上げた。


 ベトゥミア共和国軍の本陣の方からは退却を指示する楽器の音が鳴り響き、隘路に入り込んだベトゥミア兵たちは背中を向けて逃げ去っていく。あとに残るのは死体と、『天使の蜜』による麻痺者を始めとした負傷兵だ。


 疲れた表情の兵士たちに、こちらも疲れた表情の士官が指示を飛ばして戦闘後の作業を開始する。万が一敵が戻ってきたときのための警戒と、味方の負傷者の救助が最初の仕事だ。


 一方で、ノエインは今日の勝利を宣言した直後にその場に膝をつき、胃の中のものを地面に吐き出した。


「ゴホッ、ゲホッゲホッ」


「ノエイン様!」


 マチルダがノエインに駆け寄り、その背をさすり、体を支えるように手を添える。


「大丈夫……ちょっと疲れただけだよ」


 ノエインは心配そうな表情のマチルダに答えながら口を拭い、鼻からも何かが垂れてきたので手で拭く。手のひらを見ると、赤黒く濡れていた。


「……魔力切れ寸前か。危なかったな」


 呟きながら周囲を見ると、他のゴーレム使いたちも軒並み座り込むか、倒れ込んでいた。グスタフとアレインがかろうじて立っているくらいだ。魔力供給を断たれたゴーレムたちが、朽ちた像のように汚れた姿で戦場に膝をついている。


「ユーリ、あとの前衛指揮……死体の片づけとか、敵の負傷者を敵陣に返すのとか、その他の色々は任せていい? オッゴレン卿やヴィキャンデル卿とも協力して」


「お任せください。閣下は本陣に戻って一刻も早くお休みを」


「うん……ありがとう」


 ノエインはマチルダの支えを受けながらもかろうじて自分の足で立ち、後方へ戻る。本音を言えばマチルダにおんぶを頼みたいほど歩くのが辛いが、兵士たちの見ている前で大将が女性奴隷に担がれて移動するわけにはいかない。


 今回、ロードベルク王国西部軍はかろうじて、本当にぎりぎりのところで敵を撤退に追い込んだ。互いに決定打を得られず泥沼の押し合いに突入していたところで、クロスボウ隊と騎兵部隊が流れを変え、敵の前衛の士気をくじいたことが大きい。


 そして、それまで戦線を支えたのはノエインたちゴーレム使いと歩兵部隊だ。後方のバリスタ隊も敵の後続を大いに混乱させ、丘の防衛部隊も最後まで持ち場を守り切った。紛れもなく全員で掴んだ勝利だ。


 ひとまず今日は乗り越えた。ノエインの疲れ果てた意識では、今はそれしか考えられなかった。

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