第277話 消耗戦③

 隘路で激しい戦闘がくり広げられる一方で、その隘路を形作る左右の丘でも西部軍の兵士たちは奮戦していた。


 そのうち左手側の丘に配置されている戦力は、アードラウ準男爵を指揮官に歩兵が三〇〇人、弓兵とクロスボウ狙撃部隊が一〇〇人と、これまでよりも増員されている。ここにはヴィオウルフ率いるロズブローク領軍も含まれているので、実際の戦力は人数以上に大きい。


 それでも、丘を攻めてくる敵は三個軍団三〇〇〇人にも及ぶ。楽な戦いとはとても言えない。


「駄目です! 後退を!」


「馬鹿野郎! まだ下がるんじゃねえ! 死んでも敵を止めろ! じゃねえと本隊が壊滅するぞ!」


 弱音を吐いた兵士に、そして周囲にいる兵士全員に言い聞かせるように叫んだのはラドレーだ。


 丘の部隊が抜かれれば、丘から隘路の側面を叩くクロスボウ兵たち、後方の本陣、もっと後方の負傷者や医師、厩番、聖職者、その他の軍属の人間たち、西部軍の全ての人間が危険にさらされる。軍属には女子どももいる。絶対に丘を落とすわけにはいかない。


「死ねおらああっ!」


 ラドレーは自分より頭二つ分は大きい虎人のベトゥミア兵の喉に槍を突き入れ、それを引き抜いた勢いで振り、今度は横から攻撃してきた敵を石突で殴りつける。顔の骨が砕けて後ずさる敵兵の腹に槍を突き込み、とどめを刺す。


 そして、近くに一人で多数の敵兵の攻撃を必死に捌いている兵士を見つけ、掩護のために駆けた。


 戦場の別の場所では、丘の部隊をまとめるアードラウ準男爵もまた先頭に立って奮戦する。


「いくらでもこい! 突破できるならしてみろ! 俺が皆殺しにしてやる!」


 肉体魔法で全身を強化しながら叫び、肉薄してきた敵兵に剣を振り下ろす。敵兵は右の肩口から左の脇の下まで背骨も肋骨も一気に両断され、切り口から上半身がずるりと地面に落ちて死ぬ。


 そこへ、死角から戦斧が振るわれる。アードラウ準男爵の左腕を切り落とそうと上腕にぶつけられた斧は、準男爵の肉を切り裂いたものの、魔法で強靭化された骨で止まった。


「う、嘘だろ……」


 斧を握ったまま唖然とするドワーフのベトゥミア兵の首元を、振り返ったアードラウ準男爵が掴む。


「くたばれ!」


 と言いながら準男爵が頭突きをかますと、それを食らったベトゥミア兵の顔面が陥没した。


「次に殺されたいのは誰だ! さあ来い!」


 腕の傷をまったく気にすることなく、アードラウ準男爵は新たな獲物を探し始めた。


 こうして地上で壮絶な白兵戦がくり広げられる一方で、木の上からはアールクヴィスト領軍の狙撃部隊が敵を狙い撃つ。


「くそっ、きりがないな……虫みたいに涌きやがる」


 小声で悪態をつきながらクロスボウを放つリック。敵の数が数なので、狙いが多少大ざっぱでも誰かには当たる。運が良ければ一射で二人同時に麻痺させることもある。


 しかし、狙撃用クロスボウを持っているのはリックを含めても十人に満たない。他領の弓兵を合わせても数は一〇〇人程度だ。ちまちまと敵を各個撃破などしていては埒が明かない。


「……っ! おっと!」


 長く一か所に留まり過ぎたためか、潜伏位置を見破られて敵の弓兵から矢を放たれる。間一髪でリックが上半身を逸らすと、先ほどまで頭があった位置のすぐ後ろの幹に矢が突き立った。


 そのままリックは体を傾け、下に落ちる。


 木の上と言っても高さはせいぜい地上数メートルで、さらにこういうときのために、下にクッションとなる茂みがある位置に陣取っていた。茂みに落下の衝撃を吸収され、そのまま地面を転がって素早く立ち上がったリックは、次に隠れる場所を探して走る。


「本隊が後退完了だ! 俺たちも下がるぞ!」


「慌てて逃げんなよ! 敵を押し留めながら少しずつ下がれ!」


 走りながら、リックは周囲に指示を飛ばすアードラウ準男爵とラドレーの声を聞いた。


 押し留めながらと言っても、敵は相変わらず冗談のような数だ。そう簡単に行くものだろうか――とリックが思っていると、今まさに敵の一隊が進撃してきている辺りで地面が破裂した。


 その破裂を巻き起こしたのはヴィオウルフ・ロズブローク男爵だ。丘の部隊が後退するのを掩護するためにここまで力を温存していたヴィオウルフは、自身の周囲は従士長セルジャンをはじめとする領軍に守られながら、敵目がけて魔法を存分に振るう。


 大木の根元の地面を崩壊させ、木を丸ごと一本横倒しにする。ベトゥミア兵たちがその下敷きになり、潰されなかった者も大木を迂回せざるを得なくなる。


 正面から迫る敵部隊に向けて、目の前の地面を持ち上げてそのまま投げる。土の津波となったそれが、ベトゥミア兵の集団を生き埋めにする。


 そんな大技を何発も行使し、やがて魔力が枯渇寸前になる。ヴィオウルフは目眩に耐えながら、懐から小さな瓶を取り出した。


「……まだまだ、これからだ」


 それは飲むと一気に魔力を回復できる魔法薬だった。効果は絶大だが、その代わりに一瓶で平民の年収が数年分吹っ飛ぶほどに高価な品だ。


 おまけに大量の魔力を体に入れる分、飲んだ者が受ける負担も大きい。使用できるのはせいぜい一日に一本まで。それほどの劇薬だ。


 それでも、ここが無理のしどころだとヴィオウルフは考えていた。


 強引に魔力を回復させ、ヴィオウルフはまた敵を見据える。


「丘を守れ! 意地でも敵を通すな! 西部軍が落ちればロズブローク男爵領にも未来はないぞ!」


「「「はっ!!」」」


 ヴィオウルフの呼びかけに、セルジャンやロズブローク領軍の兵士たちが応えた。


・・・・・


「押し込まれるな! 逆に押し返してやれ! 押せ!」


 凄惨な戦場のど真ん中で、兵士たちを鼓舞するノエインの細い叫びは喧騒にかき消える。


 隘路での激戦は未だに続いていた。正面をゴーレムと歩兵が固めて敵の進撃を防ぎ、側面の丘からはクロスボウ兵が攻撃しているが、それでもベトゥミア兵は次から次に押し寄せてくる。


 ノエインたちはすでに予定地点まで後退を終えており、これ以上下がることはできない。下がれば後方の非戦闘員たちが危険にさらされてしまう。


「ノエイン様、兵士もゴーレム使いたちも疲弊しています。このままでは長くは持ちません」


「だね……だけどもう、死ぬ気で頑張るしかない、今は」


 現実を見る従士長ユーリの言葉に、ノエインは口の端をゆがめて答える。大将でありながら、自分はもう無策だと部下に言うしかない自嘲を含む笑みだった。


 敵はいくらでも先頭に立つ兵を交代させられるが、ノエインたちの側はそうはいかない。死者と負傷者が続出して戦列はしだいに薄くなり、兵士一人当たりの負担は増していく。


「……っ! くそがっ! おい、予備のやつ寄越せ!」


「どうぞ……これが最後の一体です!」


 敵軍から飛んだ火魔法の直撃を受けて一体のゴーレムが炎上。それを操っていたアレインが悪態をつき、すでに前線まで運ばれていた予備のゴーレムを新たに起き上がらせる。


 連日の戦闘で敵の魔法使いによる攻撃を受け、ゴーレムも何体も損壊していた。予備もたった今尽きた。次にアールクヴィスト領から予備が届くのは一週間は先のことだ。


「抜かれるな! お前らは親衛隊だ! 領軍の中から選ばれた精鋭だろうが!」


 ノエインを囲む親衛隊兵士たちにペンスが怒鳴る。


 アールクヴィスト領軍の中から実力と忠誠心を見出されて選抜された領主直属の親衛隊は、ユーリやペンスから傭兵式の厳しい訓練を受けたため確かな強さを誇る。


 しかし、その人数は十人程度で、今はグスタフの護衛に二人が抜けている。多勢に無勢の状況を気合で補うにも限度がある。


「くそっ! まずい!」


 まったく休まずに最前列で戦い続けている親衛隊兵士たちは、負っている傷もひとつやふたつではない。体力も限界だ。ついにその防衛線に綻びが生まれてベトゥミア兵が三人ほど突破する。


 運の悪いことに、ユーリはアレインが一瞬抜けて緩んだ戦列を支えるために、少しばかり離れた位置にいた。ノエインの直衛についているのはマチルダ一人だ。


「ノエイン様!」


 マチルダがノエインを庇うように前に立ち、丸盾を構え、片足に軸を置いていつでも蹴りを放てる姿勢をとる。


 ノエインも最後の自衛手段である短剣を抜き、敵と間近で命を奪い合う覚悟を固め――


「させるか!」


 ノエインの後ろから声が聞こえ、飛び出した人影がベトゥミア兵の一人にぶつかる。


 突き飛ばされた兵士が隣の兵士にぶつかって二人とも転び、飛び出した兵士がその二人を剣でまとめて貫いてとどめを刺す。


 残る一人は突然のことに狼狽え、よそ見をしてしまったところへマチルダの蹴りを首に受け、その一撃で首の骨が折れて絶命した。


 後ろからさらにぞろぞろと兵士が現れて、親衛隊とともに並ぶ。その兵士たちはアールクヴィスト領軍の鎧を着ていた。


「閣下、ご無事ですか?」


 二人のベトゥミア兵にとどめを刺した、一際大柄な兵士がノエインの方を振り返る。


「だ、ダント!? バリスタ隊の方は!?」


「後退せずにひたすら撃ち続けるだけであれば士官は不要です。装填手も二台に一人で十分です。なので参謀閣下の許可を得た上で、戦列を支えに参りました!」


「……ありがとう、助かったよ」


 数年前の傷が残る顔でニヤリと笑ったダントに、ノエインも微笑んで答える。


 ダントは前方に向き直ると、ノエインを守る親衛隊の戦列に加わる。位置はちょうどペンスの隣だ。


「……ダント、お前が天使に見えるぜ」


「こんないかつい天使がいたら神も泣きますよ」


 ペンスの軽口に軽口で返して、ダントは彼と剣を並べた。

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