第274話 戦時下のアールクヴィスト領

「……はあ」


 戦争のために当主が不在のアールクヴィスト子爵家屋敷。その住み込みの従士や使用人用の食堂で、ロゼッタに朝食を差し出されながらダミアンはため息をついた。


「ダミアンさん、珍しく元気がないみたいですね~」


「この人、去年の十二月から毎日ひたすら散弾矢ばかり作ってるから気疲れしちゃったみたいで……でも、昨日帰ってきた輸送隊の先触れのバートさんから、さらに追加で何万本も作るように指示が来ちゃったんですよね」


 ダミアンの隣で朝食を取りながらクリスティが説明すると、ロゼッタは「あらあら~」と苦笑いする。


「分かってるよ……俺はノエイン様の従士だから言われたものを作るのが仕事だし、このままじゃアールクヴィスト領も危ないから散弾矢が必要なことは分かってる。だけど、もっと複雑なものを作ったり新しいものを開発したりしたいなあ」


「そのためにもノエイン様の勝利をお祈りしましょうね。ほら、早く食べて仕事に取り掛かりますよ。今日は私も工房に出勤する日ですから」


「はぁい……」


 モゴモゴと朝食の麦粥を口に運ぶダミアンを横目に見ながら、ロゼッタがクリスティに顔を寄せる。


「……ところで、クリスティさんとダミアンさんはいつ頃からお家を持って二人で暮らし始めるんですか~?」


「えっ……それは、まあ、戦争が終わってからになるかしら? ほら、今は二人とも仕事が忙しい身だし、領内もバタバタしてるし」


 クリスティが顔を赤らめてダミアンの方を見ながら答える。一方のダミアンは、二人の会話の内容を気にも留めずボーっとしたまま麦粥を頬張る。


「そうですよね~。夫婦二人暮らしっていいものですよ~。早く戦争が終わるといいですね~」


「……ロゼッタは強いわね」


 夫のペンスが戦場にいる状況でもいつも通り振る舞うロゼッタに、クリスティは微笑みかけた。ロゼッタの方も明るい笑みを返す。


「ふふふ、軍人の妻は夫の無事を信じて、どっしり構えておくものですから~」


・・・・・


「ドミトリさん、残りのセミラウッドの加工、終わってるかしら?」


 アールクヴィスト領で建設業商会を営む大工ドミトリの工房。その作業場を訪れた魔道具職人ダフネは、ドミトリを見つけると声をかけた。


 ゴーレムの材料や、大きな建物の柱などの用途で使われるセミラウッドは、木材であるので加工作業は大工の領分だ。ダフネがゴーレムを作る際は、各部の部品の製造をドミトリの工房に発注し、それを受け取って魔道具としての加工を施すかたちをとっている。


「おう、今日の午前中に終わらせといたぜ……わざわざあんたが自らお越しとはな。弟子にでも取りに来させりゃよかっただろうに」


「気晴らしの散歩がてらにね。最近は自分の工房に籠って仕事ばかりだから、外の空気を吸いたかったのよ」


 大柄なドミトリがダフネを見下ろしながら言うと、ダフネの方はドミトリを見上げながら答えた。


「そうかよ……あんた目の下の隈すげえぞ。大丈夫か」


「次の輸送隊の出発までに、予備のゴーレムを三体寄越してくれってノエイン様のご指示ですからね。今が頑張りどころよ」


 数日前、輸送隊の本隊に先駆けて単騎で帰還したバートが領主ノエインからの急ぎの指示を持ち帰っていた。


 ダフネに新たに与えられた指示は「予想以上の激戦が続いており、ゴーレムの損壊が増えることも考えられるため、予備のゴーレムを三体製造し、送ってほしい」というものだ。それに加えて、爆炎矢の増産など従来から予定されていた仕事もある。


 輸送隊の本隊が帰って来てまた戦地に出発するまで、猶予は短い。今では弟子の手伝いもあるとはいえ、重要な作業はダフネ自ら手がけないわけにはいかない。おかげでゆっくり寝る暇もないほど仕事に追われていた。


「大変だな、頑張ってくれ……なんて俺が言っても気休めにもなんねえか」


「いいえ、ありがとう。それじゃあ部品はもらっていくわね」


「おう、うちの若い奴らに運ぶのを手伝わせよう」


 ドミトリが下働きの若い職人たちに指示を飛ばすと、大柄な男たちがゴーレムの部品となる木製の腕や足、胴体を担ぎ始めた。


・・・・・


「――なるほど。そのようにしてロードベルク王国西部軍は見事に侵略者の軍勢を退けられたのですね?」


「は、はい。ゴーレム使いの方々による攻撃も、従士長ユーリ様の騎兵突撃も、もの凄い勢いで敵を蹴散らしていました。俺た……私たちクロスボウ隊やバリスタ隊も奮戦しました」


 アールクヴィスト領の領都ノエイナ。その市街地の中央広場に設置された壇上では、戦場から帰還した負傷兵による領民たちへの報告会が行われていた。


 領主夫人クラーラが質問する形式をとって片足のない傷痍兵に戦いの模様を語らせ、広場に集まった領民たちが壇を囲んで興味深そうに耳を傾けている。


「侵略者であるベトゥミア兵の様子はどうでしたか? やはり恐ろしい見た目をしていましたか? 勝てそうではありませんでしたか?」


「い、いえ。ゴーレムや騎兵突撃であっけなく隊列を崩して、悲鳴を上げていました。西部軍は受けた被害の何倍ものベトゥミア兵を倒していました。アールクヴィスト閣下の指揮の下では、あんな奴らは敵じゃありません」


「それは頼もしいお話ですね。足を失いながらも果敢に奮戦されたあなたは、我が領の英雄です。領主夫人としてあなたを誇りに思います」


 クラーラが慈愛に満ちた微笑みを見せると、傷痍兵は緊張した面持ちで頭を下げる。ただの一領民を夫人自らが誇りと評したことで、群衆の間に小さなざわめきが起こった。


「わ、私が生きて帰ることができたのも、アールクヴィスト閣下のおかげです。閣下は素晴らしいお方です」


「そうですね、閣下なら必ず侵略者を撃退し、王国とアールクヴィスト領を守ってくださるでしょう……ところで、戦場への行き帰りで見た他領の様子はどうでしたか?」


「や、やはり去年の凶作や今年の戦争で混乱しているようでした」


「アールクヴィスト領と比べてどうでしたか?」


「……比べ物にもならないです。他のところと比べたら、アールクヴィスト領は天国です。食べ物が足りなくなることもない、盗賊も出ない、こんなにいい領地はありません」


「それは領主夫人としても嬉しい言葉ですね。アールクヴィスト領がこうして豊かさと平和を享受できているのも、この地をお守りくださる領主ノエイン・アールクヴィスト閣下のおかげでしょう」


「は、はい。本当にそう思います」


「あなたは勇敢な英雄であるだけでなく、一人の民としても閣下を敬愛する素晴らしい人物ですね」


 クラーラはそう言って笑い、今度はその笑顔を広場に集まった領民たちに向ける。


「皆さん、アールクヴィスト閣下も、閣下の指揮下にいる兵士の方々も、今この瞬間も私たちのために戦っておられます。全ての英雄たちの勝利を信じましょう。そして、私たち全員で彼らをこの地から支えましょうね」


 クラーラが広場に集まった領民たちに呼びかけると、群衆の中に私服で紛れていた何人かの領軍兵士が手を叩いた。それが自然と広がり、広場全体に大きな拍手が響く。


 それを、群衆から少し離れた後方で従士マイとエドガーが眺めていた。


「クラーラ様は、何というか……とてもたくましくなられたな」


「あら、ずいぶん慎重に言葉を選んだわね」


 からかうような口調のマイに、エドガーは微妙な表情を向ける。


「いや、他になんと言えと?」


「ノエイン様に似てひねくれた性格になられたな、とか言えばいいんじゃない?」


「それは……いくら古参従士の私たちでもさすがに不敬だろう」


「あら、私はクラーラ様とお茶するとき、いつもそれくらい気安い態度で接してるわよ。クラーラ様もざっくばらんに話してくださるし」


「君の立場ならそれができるかもしれないが、私を一緒にしないでくれ」


「ふふふ、冗談よ」


 マイは女性従士の中でも最古参で、マチルダとも個人的な友人関係にある。その繋がりからクラーラとも話す機会が多く、彼女が領主代行である今は色々な報告がてらのお茶友達でもある。


「……にしても、本当に強くなられたわね。こんな立ち回りを見せるとは思わなかったわ」


 出征した家族や友人の帰りを待つ領民たちのために、重傷を負って帰還した兵士に戦場の様子を語ってもらう。それがこの集まりの趣旨だった。


 最初は確かにそうした話から始まったが、それがいつの間にか領民のノエインへの支持を高めるプロパガンダ集会と化している。


 こうなるように誘導したのは、明らかに主催者のクラーラだ。語り手の傷痍兵もおそらくは打ち合わせ済み、おまけに拍手を発生させて場を盛り上げる仕込み付きという徹底ぶりだ。


 凶作の年が明けて早々に今度は大戦争が始まり、領内が一丸となって戦いを支え、予備役を含む多くの兵士が戦場に駆り出されている状況で、領民たちの間にもさすがに疲れが見え始めていた。


 それを踏まえて、クラーラは今回の集まりを企画し、実行したのだった。領主夫人の狙いは見事に成功している。


「領民たちに戦場の様子を伝える場を設けると言ったときから、こうなることを狙っておられたんだろうな、クラーラ様は」


「そうね。さすがはあのノエイン様の妻って感じかしら……この調子だと、エレオス様もとんでもない大物に育ちそうね。あの領主夫婦の教育を受けるんだから」


「次期領主が大物になるなら、それはいいことなのでは? 従士や領民の身からすれば頼もしい限りだろう」


「まあ、そうなんだけどね」


 大真面目な顔のエドガーに、マイは苦笑して答えた。


 領主不在のアールクヴィスト領で、クラーラと従士たちは忙しくも平和な日々を送りながら、遠くの戦場で戦うノエインと武家従士たちを支えている。

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