第275話 消耗戦①

「……今回も乗り切ったな」


「……ですね」


 額に汗を浮かべて呟いたフレデリックに、ノエインも強張った笑顔で頷く。


 ロードベルク王国西部軍の本陣に立つ二人の眼前には、憔悴しきった自軍の兵士たちと、撤退していくベトゥミア共和国軍兵士たちの姿があった。


「ユーリ。後方に戦闘終了を伝えて、後処理の準備をさせて」


「了解しました」


 ノエインの指示を受けてユーリが後方へと向かう。戦闘が終われば死体の片づけ、負傷者の手当て、兵士たちへの水や食事の配給など、また新たな仕事が山のように待っている。今からは後方の医者や聖職者、雑用係たちが忙しい時間だ。


「ここから見た限りだと、今日の死傷者はざっと五〇〇人といったところか……丘の部隊の被害は不明だが。さすがに次は厳しいな」


「今の布陣のままで持ちこたえるのは無理でしょうね。次の戦いでは後退して敵を丘の狭間に誘い込んで、正面と左右の三方向から攻撃しましょう」


 それはノエインが考えていた最後の策だった。この策で敵を防ぎきれなければそのまま力押しでこちらが壊滅させられ、防ぎきれたとしても同じ手は二度は通用しない。その場限りの勝利でしかない。それでも、策を出し惜しみする余裕はもうなかった。


 西部軍が最初に敵と戦闘を行った日から、すでにおよそ一か月が経過しようとしている。


 敵の奴隷部隊との戦闘から二日後、ベトゥミア共和国軍の西部侵攻部隊は再び攻勢をかけてきた。ロードベルク王国西部軍は前回と同じ手法で陣地を堅実に守り、それでも手の内が知られているために前回ほど圧勝とはいかなかった。


 三〇〇人ほどの敵を殺し、二〇〇〇人以上の敵に後遺症を負わせるのと引き換えに、西部軍には六〇〇人の死傷者が出た。


 翌日、ベトゥミア共和国軍は攻めてこなかった。もともと三〇〇〇人以上の兵を失っていたところへさらに二〇〇〇人の負傷者を抱え、その後方への移送に追われているようだった。


 その日の夜、ノエインは敵陣への夜襲と見せかけた嫌がらせを敢行した。夜中に五〇〇人ほどの兵士を動員し、先端が三つに分かれた松明で三倍の兵数がいるように見せかけて敵の野営地に接近させた。接近させただけで、何もさせずにすぐ退却させた。


 翌日も敵は負傷者の移送に追われていた。その日の夜もノエインは同じ嫌がらせを敢行した。


 そのまた翌日、敵がまた攻撃の予兆を見せた。明日には攻勢をかけてくるだろうと思われた。その日の夜、ノエインはまた三つ又の松明で夜襲のふりをしつつ、夜目の利く獣人たちに別動隊を組ませて別ルートから本当に夜襲を敢行した。


 爆炎矢の壺を敵の野営地に投げ込めるだけ投げ込んで早々に退却するという軽いものだったが、夜襲はどうせはったりだろうと思い込んでいた敵は大混乱し、攻勢再開までさらに一日を要することになった。


 次の敵の攻勢では、ノエインは丘の中の突撃路作りから解放された友人ヴィオウルフを酷使した。数日の猶予期間を利用して西部軍の陣の前に大きな落とし穴をいくつも作らせ、ベトゥミア共和国軍の歩兵部隊による突撃の勢いを殺した。それもあって、正面の戦闘は西部軍の有利に運んだ。


 さらに、敵の側面攻撃部隊が丘の中の突撃路を逆走してきたので、こうした事態を想定して道の傍にあらかじめ作っておいた脆い地点をヴィオウルフに崩させ、土砂崩れで敵を埋めて道を潰した。その後も丘の戦いでヴィオウルフに奮闘させ、馬車馬のように働かされた彼はまた魔力の使い過ぎで気絶した。


 ベトゥミア共和国軍が再び負傷者の移送に手間取ったためにまた数日を挟み、今日、さらなる敵の攻勢を受けた。その戦闘で非戦闘員を除くロードベルク王国西部軍の残存兵力は三五〇〇人を割った。


 対するベトゥミア共和国軍の西部侵攻部隊は後方から援軍を呼んで、兵力を回復していた。彼我の戦力差は五倍以上。いくら戦闘は防衛側が有利とはいえ、普通であれば降伏を考える頃合いだ。


 しかし、この戦いに限ってはその選択肢はない。降伏は王国の滅亡であり、ノエインたち貴族にとっては死である。


「戦い方としてはそれでいいだろうな。次まではなんとか敵の攻勢に耐えられる……だが兵士たちの士気低下が心配だ。後がない戦いだということは農民兵でも察するだろう。そちらについても何か対応をしなければ」


 フレデリックの進言を受けて、ノエインは顎に手を当てて考え始めた。


「そうですね、それじゃあ……とりあえず、兵士たちにはまた肉を配ります。近くの村や街からできるだけ牛や豚を買い取って兵士たちに振る舞います。肉でお腹を満たせば、ひとまず気分も明るくなるでしょう。その上で、朗報を流します」


「朗報?」


「はい。次の戦いを乗り越えれば援軍が来るという話を広めます。だからここが頑張りどころだと、もうすぐ状況は良くなるから耐えろと兵士たちに言い聞かせます」


「……なるほどな。私は聞いていなかったが、一体いつの間に援軍の算段をつけたんだ?」


 冗談めかして問いかけるフレデリックに、ノエインもヘラッと笑い返す。


「もちろん援軍のあてなんてありません。兵士たちにこう言って士気を維持させれば、敵の次の攻勢を乗り越えられる。それだけです。今はもうそういう段階でしょう?」


「ははは、そうだな。力の限り足掻いて、天命を待つのみだ……貴族たちに伝えて、援軍の話を兵士たちに広めさせよう。それと、肉の手配もな」


 そう言うと、フレデリックは本陣にいた伝令役の兵士たちを呼んだ。


・・・・・


 さらに数日が経ち、ベトゥミア共和国軍は次の攻勢を――ロードベルク王国西部軍が耐えられるであろう最後の攻勢を開始した。


「皆、準備はいい? 敵の先頭集団と軽く一戦交えたら後退だからね。そのときは側面の丘からも掩護があるから、味方を信じて落ち着いて下がるよ」


「「「はっ!」」」


 西部軍の陣地の最前列で、自分を囲む部下たちにノエインは呼びかけた。


 今日は後ろに下がりながら敵と交戦するという、厳しい戦いになる。そのためノエインは、自らもゴーレム二体を率いて先頭に立ち、戦うつもりだった。大将の自分自身を戦力として数えなければならないほど西部軍は追い詰められていた。


 後退に際しての軍全体の指揮は、王国軍で部隊指揮の専門教育を受けているフレデリックに一任してある。


「……来るよ、戦闘用意!」


 声を張りながら、ノエインはゴーレムを構えさせる。その両脇をマチルダとユーリが固め、周囲をペンスと親衛隊が囲み、左右にはクレイモアと、アールクヴィスト領軍予備役を含むクロスボウ隊が並んでいる。


 なかなかに壮観な戦列だが、迫り来る敵の規模はそれをさらに凌駕していた。正面から一〇〇〇〇、左右にそれぞれ三〇〇〇ずつ。敵本陣と野営地の警備を除く一六〇〇〇もの軍勢が、こちらを飲み込もうと迫ってくる。


 後方でバリスタが大型散弾矢を発射した音が響き、ノエインたちの頭上を矢が散らばりながら飛んでいく。移動に手間がかかるバリスタはこの一斉射と同時に後ろに下がる予定だ。以降の掩護は期待できない。


 敵側からも弓兵による矢の一斉射が飛ぶ。それを受けてマチルダとユーリ、ペンスと親衛隊がノエインの周囲に固まって盾を構える。大盾兵がゴーレム使いたちを守り、クロスボウ兵は丸太盾の影に隠れる。


 けん制程度の弓の攻撃だが、それでも被害は皆無とはいかない。丸太盾に隠れ損なったクロスボウ兵や、その後方で盾を構え損ねた歩兵が倒れる。


 その間も突撃を続けていた敵部隊はついにノエインたちの目の前に迫り――西部軍陣地の最前列を守るゴーレムたちと激突した。


 その瞬間、ゴーレムに殴り飛ばされたベトゥミア兵の先頭集団から血が吹き上がり、手足や頭が宙を舞う。それでも敵の勢いはとどまることなく、ノエインのものも含めて二〇体を超えるゴーレムの隙間を抜けた兵士が迫ってくる。


 そこへクロスボウの一斉射が飛び、散弾矢を食らったベトゥミア兵たちの動きが止まる。後続のベトゥミア兵も、クロスボウ隊の次の列の一斉射でバタバタと倒れた。


 さらにクロスボウ隊の三列目が矢を放ったところで、ノエインは叫ぶ。


「後退! クロスボウ隊は下がって後方側面の丘へ! クレイモアも戦闘を継続しながら後退!」


 戦場の喧騒の中では、ノエインの声はあまりにもか細い。ユーリが太い声でノエインの指示を復唱し、それを他の士官たちが次々に伝達し、西部軍前衛が動き始める。


 敵を隘路に誘い込む後退戦は、こうして幕を開けた。

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