第273話 御用商人の意地
ロードベルク王国北西部のベヒトルスハイム侯爵領と、南西部のガルドウィン侯爵領を繋ぐヴァレリアン街道。その北西部側を、荷馬車の列が南進していた。
「……それにしても、今回の補給物資の半分が散弾矢とは。前線はよほどの激戦をくり広げているようですね」
「無理もないさ。何せ敵の数が数だ。散弾矢が切れたらロードベルク王国西部軍の命運も尽きるからな。いくらあっても困らない……それを作るダミアンたち鍛冶職人は大変だろうな」
この輸送隊を率いるのは、御用商人のフィリップと従士バートだ。
フィリップは自身の商会の輸送力を活かして兵器やその他の物資を運び、戦地に着いたらそのままノエインに次の御用聞きを行うことになる。こうして御用商人が領主を手助けするために戦場に出張るのは、ロードベルク王国では決して珍しいことではない。
そしてバートは、輸送隊がスムーズに戦地までたどり着けるようサポートするのが役目だった。上級貴族家の正式な従士が輸送隊の中にいる方が、北西部の各貴族領を通り抜ける際に話が早い。
フィリップと商会従業員たち、商会が雇った護衛の傭兵、そしてバート。総勢で二十人弱の輸送隊が、よく整備された街道を進む。
「この調子なら予定より少し早く戦地に着けるでしょうね」
「だな。ここまで少し急ぎ気味だったし、今日は早めに野営して休んでも……止まれ!」
バートが叫びながら剣を抜いた。護衛の傭兵たちも武器を構え、フィリップたち商人は姿勢を低くする。
それとほぼ同時に、街道の周囲に生えた草むらの中から、武装した男たちがぞろぞろと姿を現して輸送隊を取り囲んだ。その数は四十人近い。
薄汚れた身なりに不揃いの武器。中には農具を構えている者もいる。明らかに野盗の類だった。
「……やっぱりこのあたりにも、まだ野盗がいるんだな」
「そうですね。去年の凶作がまだ後を引いている地域も多いでしょうから……彼らの目的は積み荷と金でしょうか?」
バートとフィリップの言葉を聞いて、野盗の頭領と思しき男がニヤリと笑った。
「話が早いじゃねえか、ありがてえ。それと馬と馬車もだ……とっとと寄越しな。じゃねえと皆殺しにするぜ?」
「この馬も荷馬車も積み荷も、全てアールクヴィスト子爵家のものだ。それが分かっていての狼藉か?」
「けへへっ、んなこた知らねえよ。俺たちが野盗にまでなり下がったのも全部、凶作の対応そっちのけで戦争にうつつを抜かすお貴族様が悪いんだからよ。邪魔すんじゃねえ」
「……この積み荷は軍需物資だ。これがないとロードベルク王国は戦争に負けて、異国に占領されるかもしれない。それでも奪うのか?」
「知ーるーかーよ。んなもんお貴族様とその取り巻き連中だけの都合だろ。俺たちからすれば頭を下げる相手が変わろうが関係ねえ……ほら、おとなしく消えるかこの場で死ぬかとっとと決めろよ!」
頭領が怒鳴り、野盗たちが気色ばんで得物を構えながら輸送隊に一歩近づく。一触即発の状況で、傭兵や商人たちの間に緊張が走る。
「……分かりました。我々も命が惜しいので、全て差し出します」
そう答えたのはフィリップだった。
「ただ、先頭の荷馬車に個人的な荷物を積んでいるので、それだけ出してもよろしいでしょうか? 手紙などの本当に個人的なものだけで、特に金になるものでもないかと思いますが……」
「……まあ、いいだろう」
「ありがとうございます。すぐに取り出しますね」
頭領の許可を得て、フィリップは荷馬車の荷台、雨除けの革布が張られた中に手を突っ込む。
「他の奴らは馬車から離れろ。逆らおうなんて考えるなよ……おいお前、まだか!」
「すみません。荷台が散らかっていて……ああ、あったあった」
バートと商人、傭兵たちが馬車から離される一方で、フィリップは頭領に急かされて苦笑いを浮かべ、荷台から手を引き抜いた。
その手にはクロスボウが握られており、先端は頭領の方を向いている。
「いやあ、お待たせしました」
「は?」
呆けた顔の頭領に、フィリップはまるで客に向けるような完璧な笑顔を見せながら、それが当たり前の行動であるかのように躊躇なくクロスボウの引き金を引いた。
至近距離から勢いよく射出された矢は頭領の革鎧を容易に貫通して胸に突き立ち、頭領は棒立ちのまま後ろ向きに倒れる。
「お、おい! お前っ――」
「今だ!」
野盗の一人が声を上げるのを遮ってバートが叫ぶ。それを合図に護衛の傭兵たちも一斉に動いた。
バートが剣を一閃して一番近くにいた野盗の首を刎ね飛ばし、傭兵の一人が瞬時に放った矢がうろたえていた野盗の腹を貫通し、別の傭兵が鋭く突き出した槍の穂先が目の前の野盗の顎に突き刺さって後頭部から飛び出す。
わずか数秒の戦いで瞬く間に十人以上の野盗が死に、バートたちは既に次の敵に狙いを定めて動いている。
「くそっ! こいつらめちゃくちゃ強い!」
「こっちは倍も頭数がいるから絶対に上手くいくんじゃなかったのかよ!」
もともと素人の集まりな上に、不意打ちの逆襲で士気を削がれた野盗たちは烏合の衆と化した。オロオロしているうちに一人また一人と倒されていき、組織的な反撃もままならない。
根性のある一人の野盗が半ばやけくそ気味に攻撃を仕掛けるが、それを難なく躱したバートに斬り伏せられる。
「駄目だ! 逃げろっ!」
「逃がすな! 生かしておいたら他の輸送隊を襲うかもしれない!」
生き残りが半分を切った時点で野盗が逃走を試み、その背中にバートと傭兵たちが斬りかかる。
最終的に、逃げ切った野盗は十人に満たなかった。
「……さすがに全滅させるのは無理だったか」
「数が数でしたからね。ですが、あれだけ数を減らせば他の隊を襲うこともできねえでしょう」
バートが呟くと、一緒に野盗を追撃していた傭兵団の団長がそう返した。
この傭兵団は総勢十数人とそれほど規模は大きくないが、かつての拠点だったレトヴィクからノエイナへと移り住み、今ではスキナー商会の専属として信頼を得ているという。
「まあそうだな。君らもよくやった、お疲れ様」
「へへっ、俺らもこれで金もらって飯食ってるんでね」
バートが労いの言葉をかけると、無精ひげを生やした団長はやや下品に笑いながらそれに答える。
「フィリップさんもいい奇襲だったよ。怪我はなかったかな?」
「ありがとうございます。私は大丈夫ですよ」
バートに問いかけられたフィリップは、笑みを浮かべて答えつつクロスボウの弦を引いていた。新たな矢を装填すると、倒れている野盗の頭領のもとに近づく。
まだ息のある頭領は、苦しげに呼吸しながらフィリップの方を見た。
「……くそ、まさかこんな細っこい奴にやられるとはな。あんた、ただの商人なんだろ?」
問われたフィリップは、先ほどと同じように営業用の笑顔で頭領に答える。
「ええ、仰る通り、私はただの商人……アールクヴィスト子爵家の御用商人です」
今からもう七年も前、フィリップはしがない行商人だった。若いわりには実力はあると周囲の商人仲間から評されつつも、行動の無謀さも指摘されていた。
成功を夢見て他人とは違う行動をとろうと、当時まだ小村でしかなかったアールクヴィスト領へ行商に通った。そこで見聞きしたことをケーニッツ子爵に伝えて金を受け取った。
他の行商人からはあんなところに行って何になると笑われ、行商人が貴族に少し媚を売ったところでどっちの領主からもコネなんか得られないと忠告された。
それでもフィリップは野心に任せて動き続け、最終的にアールクヴィスト領の方でチャンスを掴み取った。今では三十代前半にして上級貴族家の御用商会の会長だ。当時の商人仲間の誰よりも大きな成功を収めている。
だからこそ、フィリップは自身の恩人であり、最上の客である領主ノエイン・アールクヴィストの信用を保ち続けたいと考えていた。今の立場を失いたくないと思っていた。
「御用商人には御用商人なりの意地があります。商人にとって最も大切なのは信用です。重要な場面で重要な積み荷を失えば、これまで築き上げた信用まで損ないかねない。そんな失態を犯すわけにはいかないのです……それでは」
フィリップがクロスボウから放った矢は、頭領の眉間に突き立った。
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