第259話 手違い

「ノエイン殿、先ほどの戦闘での被害報告がまとめられた。死者は一〇七人、負傷者が一二一人。その多くが下級貴族領からの徴募兵だ……アールクヴィスト領の人間は負傷者が数人いるのみで、死者は出ていない」


「……そうですか。あの強力な弓の攻撃を食らった割には、被害を抑えられた方でしょうね」


 後半は少し声を潜めて伝えたフレデリックに、ノエインは個人的な安堵を表情に出さずに答えた。今は西部軍全体の大将である身なので、自領の兵たちが助かったことで露骨に喜ぶわけにはいかない。


「そうだな。敵の弓の射程にはさすがに度肝を抜かれたが、それでも強固な陣を構築しているこちらの方が強い。緒戦からこちらの五倍近い損害を敵に与えられたのは大きいだろうな」


 有効射程で大きく勝る敵の弓は確かに脅威だが、それでも所詮はずば抜けて性能がいいだけの弓だ。まともな盾や身を隠す遮蔽物があれば防げるし、当たったところで頭や胴体に直撃でもしなければ即死することはない。


 対して『天使の蜜』を塗ったこちらの矢は、腕だろうが足だろうが刺さりさえすれば敵を戦闘不能にできる。互いに同じ数の矢を放ったとして、こちらの方が敵に大きな損害を与えることができるだろう。


「まあ、この戦闘で敵も撃ち合いでの不利は理解したはずですから、明日からは戦法を変えてくるでしょうね……あっちの指揮官は頭の切れそうな人でしたし」


「指揮官はまだ若い女だったそうだな。男の方が出世しやすい軍隊社会で大軍の指揮を任されているということは、よほど優秀な将なのだろう」


「ですね。ああいう人を『女傑』って言うんでしょうね」


 話しながら、ノエインはフレデリックとともに坂の下の方、ベトゥミア共和国軍が負傷者を回収する様子を見守る。


 負傷者たちの持っていた弓で敵が撤退時に回収していなかったものは、戦闘後すぐにこちらが回収した。明日からの戦闘ではこちらの弓兵に使わせることができるし、戦後は作りを解析して同じものをロードベルク王国で量産することも叶うだろう。


「これでまずは、一〇〇〇人弱の後遺症持ちを生むことができましたね。出だしとしては上々だ」


「……ノエイン殿は、敵が何人の後遺症持ちを抱えた時点でロードベルク王国からの撤退を決めると思う?」


「んー、どうでしょう……五〇〇〇〇人くらいの後遺症持ちが発生すれば、ベトゥミアの指導者たちも考えるんじゃないでしょうか。その頃には戦闘での死者もそれなりに増えてるでしょうし、戦いを続けてさらに被害を増やす方が損だと判断してくれると思います」


「そうか……長い戦いになりそうだな」


 ノエインの私見を聞いたフレデリックは、苦い表情でそう零した。


 今日の緒戦は『天使の蜜』が完全な不意打ちとなって効いたことで比較的容易に敵を退かせることができたが、明日以降は何らかの対策を施されるのは間違いない。過酷な持久戦になるのは必至だった。


「……ん? あの騎兵たち、何をしているんだ?」


「えっ……おかしいですね。何も指示は出してないはずですけど」


 陣の中衛の左端を抜けて、五騎の騎兵が前方へと進んでいることにノエインたちは気づく。中衛左側の部隊を指揮するオッゴレン男爵も不審に思ったようで、騎兵たちを呼び止め、それが何やら言い争いに発展している。


 と、騎兵たちは男爵の制止を振り切り、いきなり駆け出した。中衛のみならず前衛の側面も抜け、丸太盾が並ぶ地帯、そして破城盾に隠れたゴーレムが居並ぶ地帯も抜け――今まさに負傷者の救助が行われている戦場へと突き進む。


「いかん!」


「っ! ユーリ!」


 騎兵たちが何をしようとしているか気づいたノエインは、ベトゥミアの救助部隊が万が一攻撃してきた時のために最前線で警戒にあたっていたユーリに向かって叫ぶ。


 ノエインの咄嗟の大声は無事にユーリのもとまで届き、ユーリもまた騎兵たちの暴走に気づいて馬を走らせた。


「マチルダ! ペンス! 行くよ!」


「はい」


「了解でさあ!」


 ノエインが騎乗しながら叫ぶと、マチルダもすぐさま自身の馬に乗り、ペンスと親衛隊の兵士たちも手近な馬に飛び乗る。


「フレデリックさん、何かあったら全体の指揮を頼みます!」


「ああ、君も気をつけろ!」


 ノエインは指揮権をフレデリックに一時預けて駆け出し、マチルダとペンス、そして護衛の親衛隊がその後に続く。


「やばいやばいやばい!」


 通路として空けられている陣の中央を走り抜けながらノエインが前方を見ると、突撃する五騎の騎兵とそれに気づいて身構えるベトゥミア兵たちの間に、ユーリが馬で割り込むところだった。


 ユーリは両者に手を向けて制止を求めているが、一触即発の状況は変わらない。


「っ! くそっ!」


 全力で馬を走らせながらノエインは毒づく。暴走していた騎兵の一人が、手にしていたクロスボウをベトゥミア兵に向けて撃ったのだ。


 不運にも矢が胸に直撃したベトゥミア兵が倒れ、他の兵士たちは一斉に剣を抜き、あるいは槍を構え、あるいは弓に矢を番える。


「待て! どちらも動くな! 止まれ! 止まれ! 止まれっ!」


 ノエインは叫びながらユーリに並び、ベトゥミア兵の方に制止を求める。マチルダがノエインの斜め後ろに控え、ベトゥミア兵が攻撃したらすぐにノエインを庇える位置取りを保つ。


 暴走した騎兵たちの方はペンス率いる親衛隊が取り囲んで剣を向け、馬から降りるように命令した。


「これは手違いだ! どうか落ち着いてほしい!」


「ふざけるな! そっちが手を出さないというから俺たちは負傷者を回収しているのにっ!」


「私の命令じゃない! 誤解だ! そちらの指揮官にも説明を――」


 言いながらノエインがベトゥミア共和国軍の陣に目を向けると、騒ぎが伝わったのかアイリーン・フォスター大軍団長が敵側の野営地から部下を伴って駆けてくるのが見えた。


「閣下、全員拘束しました」


 ノエインが後ろを振り返ると、ペンスと親衛隊兵士たちが暴走した五人を馬から降ろし、武器を捨てさせて立たせていた。


 ノエインはその五人を冷徹な目で見下ろし、口を開く。


「何のつもりだ? この中で最も身分が高いのは?」


「……私です。エクナム・アーカブ士爵です」


 五人のうち最も上等な鎧を着た男が、ノエインを睨むようにして答えた。年のほどはノエインとあまり変わらないくらいの若い貴族だった。


「アーカブ士爵……オッゴレン男爵家の寄り子か。よりにもよって……」


 ノエインは苦い表情で息を吐いた。


 貴族の寄り親寄り子はあくまで慣習上の関係なので、この件でオッゴレン男爵には明確な責任はない。が、このアーカブ士爵の暴走は若気の至りで済まされることではない。ノエインは友人の目の前でその寄り子を罰することになるだろう。


「それでアーカブ士爵。なぜ勝手な攻撃をした? 負傷者を回収するベトゥミア共和国軍には絶対に手を出すなと厳命していたはずだ」


「……ちっ」


 アーカブ士爵はノエインの言葉に答えず、ノエインから目を背けた。


「アールクヴィスト子爵! これはどういうことだ!? 話が違うぞ!」


 そこへフォスター大軍団長の鋭い声が飛ぶ。彼女はよほど急いで馬を走らせたのか、既にノエインたちに声が届き、目を合わせられる距離までたどり着いていた。


「フォスター大軍団長、本当に申し訳ない。一部の兵が命令に反して勝手な行動を取りました。これは誓って私の指示ではなく、この者の独断です……このような状況で不意打ちを命じてもこちらには何の得もないと、あなたなら分かってくださるかと思いますが」


 フォスター大軍団長はノエインを睨みつけながらその言葉の意味を考えるように黙り込み、やがて口を開いた。


「……だとしてもだ。その暴走で我が兵が死んだ。どう落とし前をつけるつもりだ?」


「……マチルダ。アーカブ士爵を」


「はっ」


 ノエインが指示するとマチルダは馬から降り、アーカブ士爵に近づく。連行するために士爵の肩に手を伸ばし――


「獣人奴隷ごときが私に触れるな! 自分で歩けるわ!」


 アーカブ士爵はマチルダの手を弾き、自らノエインとフォスター大軍団長の前まで進み出る。その発言と態度のせいでノエインの視線がさらに冷えたことに、士爵は気づかない。


「私は自分の行動を恥じてもいないし、後悔もしていない! 目の前で侵略者が無防備な姿を晒しているのに攻撃しないなど、王国貴族の誇り高き精神に反する!」


「アーカブ士爵、勝手に喋るな。黙れ」


「黙らん! だいたい、あなたの考えが狂っているのだ! 敵の――」


「マチルダ!」


 ノエインが声を発するのとほぼ同時にマチルダが動き、アーカブ士爵の腹に蹴りを叩き込む。


 いくら鎧を着ているとはいえ、兎人で戦闘訓練も重ねているマチルダの、金属製の戦闘靴による蹴りを受けたのだ。アーカブ士爵は咳き込んで言葉を途切れさせる。鎧の腹の部分にはへこみができていた。


 危なかった、とノエインは思う。危うく敵将にこちらの戦略を知られるところだった。


 フォスター大軍団長の周囲には救助作業の手を止めたベトゥミア兵士たちがぞろぞろと集まっており、さらに西部軍の陣地からは様子を窺うためにオッゴレン男爵をはじめとした一部の貴族たちも近づいてきた。


 自身の寄り子の暴走を止め損ねたからか、オッゴレン男爵はこれ以上ないほど申し訳なさそうな表情を浮かべている。


 ノエインは小さなため息をついた。これだけ注目を集め、死人まで出た状況だ。今後のことを考えてもしっかりとけじめをつける必要がある。


「……」


 ノエインがユーリの方を向き、アーカブ士爵とその部下四人を目で指しながらわずかに首をかしげて見せると、ユーリは主君の意図を察して頷いた。


「ペンス」


「はっ」


「その四人を殺して」


「了解」


「なっ!? 待っ――」


 ノエインが命令して一秒も経たないうちに、ペンスと親衛隊兵士たちはアーカブ士爵の部下たち四人の首を切り裂いた。四人に言い訳や命乞いの言葉を発する隙も与えなかった。


 首から鮮血を噴き出しながら、四つの死体が地面に転がる。迷いなく処刑の命令が下されたことで、ベトゥミア共和国軍とロードベルク王国西部軍の双方に緊張が走る。表情を変えないのはノエインの部下たちとフォスター大軍団長、そして彼女の副官らしき騎士だけだ。


 どよめきが広がる戦場の真ん中で、ノエインは自軍の貴族たちに向けて声を張る。


「……私はオスカー・ロードベルク三世陛下より、このロードベルク王国西部軍の大将の地位を賜っている。私の命令はすなわち、私に指揮権を預けられた国王陛下の命である。それに逆らう者は陛下に仇なす逆賊と見なし、身分を問わず処刑する」


 言いながらノエインは馬を降り、アーカブ士爵の前に立つ。ノエインがマチルダに視線を向けると、マチルダはアーカブ士爵の両の膝裏を蹴って膝をつかせた。


「エクナム・アーカブ士爵。お前は他の兵の模範となるべき貴族でありながら国王陛下の命に反した行動を取り、陛下の御名と権威を汚した。私が陛下より預かる西部軍を、延いてはロードベルク王国全体を危険に晒した。お前の行いは王国への反逆と同義だ。よって……お前をこの場で四つ裂きの刑に処す」


「はっ!?」


 ノエインの言葉を聞いてぎょっとした表情になるアーカブ士爵。周囲で見守る貴族たちも、目を見開いた。フォスター大軍団長が「ほう」と感心したような声を零す。


 四つ裂き刑は、その名の通り罪人の両手足を縄で馬に結びつけ、その馬を一斉に四方に走らせることで体を引き裂く残虐な処刑方法だ。


 相当な大罪人に対してのみ課される刑で、貴族家の人間に対して執行された例は王国の歴史においても数えるほどしかない。与えられる苦しみや屈辱を考えても、誇り高い貴族としては何としても避けたい死に方だった。


「お、お待ちを! アールクヴィスト閣下、私は――」


「恥じてもいないし後悔もしていないんだろう? なら行動の結果も甘んじて受け入れるといい。お前の名前は逆賊として王国の歴史に刻まれる。確実にそうなるよう私が取り計らう。ありがたく思え……ペンス、あとは任せた」


 ノエインが命じると、まだ何か言おうとしたアーカブ士爵の腹をマチルダが再び蹴り飛ばして黙らせ、呻く彼をペンスが引きずっていく。


 抵抗もむなしく両手足に縄を結ばれていくアーカブ士爵を背に、ノエインはフォスター大軍団長に向き直った。


「これが私の示せる最大限の謝罪です。この処刑を以て配下の貴族たちにも命令の重さを示しましたので、二度と同じような手違いが起きないと約束いたします。これでまだ不足なようでしたら……そうですね。さすがに私の首を差し出すことはできませんが、腕の一本でもけじめとして落としましょう」


 そう言いながらノエインはローブの左袖をまくった。細く色白で頼りない左腕が露わになり、ノエインの傍には馬から降りたユーリが剣に手をかけて立ち、もし命令があれば本当にノエインの腕を斬り飛ばせるように構える。


 ノエインの表情からその本気を見て取ったのか、フォスター大軍団長は小さく笑って口を開いた。


「いや、そこまではいい。暴走した貴族の四つ裂き、それで十分だろう。貴殿の言葉と覚悟を信じよう」


「ありがとうございます……ベトゥミア共和国軍の兵士諸君も、今後はどうか安心して負傷者の救助を行ってほしい。救助の間は、諸君の身の安全は私が保証する」


 敵将から身の安全を保証されるという奇妙な状況に、ベトゥミアの士官と兵士たちは微妙な表情を浮かべる。


 そこへ、ペンスが近づいてくる。


「閣下、準備が整いました」


「よし、やって」


 その直後、「いぎゃああっ!」という少々間抜けな断末魔の叫びと、肉がはじけ飛ぶような音が戦場に虚しく響いた。

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