第258話 人道的配慮

 一度兵を撤退させて野営地に戻ったアイリーンは、自身の副官や軍団長格の部下たちとともに明日以降の戦い方について策を練っていた。


「ロードベルク王国がいしゆみを使っていることは知っていたが、まさか弩砲を用いて毒をまき散らすとはな……」


 素人でも矢を放てるようにした兵器は、かつて「弩」という名前でベトゥミア共和国でも使用されていた。しかし、国力増強とともに十分な数の弓兵を揃えられるようになった結果、製造コストや連射能力で弓に劣る弩はしだいに廃れた。


 民衆がまた革命を起こせる武力を持たないように、国の指導者層が弩の実物や製造方法、文献を隠し、長い時間をかけて知識を風化させたという事情もある。


 設計思想や機構はベトゥミアの弩と多少異なるようだが、ロードベルク王国の軍勢の一部が似た武器を発明して使用しているという情報は伝わっていたし、アイリーン自身も目にした。より大型の弩砲があるのも自然なことだ。しかし、細い矢を大量に撃ち出して毒を撒くというのは予想外だった。


「弓兵はこちらの方が多く、強力な複合弓があるとはいえ、敵が身を隠す陣地を構築している以上は分が悪くなりますな」


「敵の使う毒のせいで、損耗率はこちらの方が高くなるでしょうからね」


 司令部となっている天幕に集まった軍団長たちがそう話す。彼らの言う通り、敵が有利な位置に陣取って丸太の盾まで設置している以上、弓の威力や連射能力を考慮してもこちらがやや不利だ。一か所に密集して留まり、矢の撃ち合いに臨むのは、敵に的にしてくれと言うようなものだった。


 おまけに敵の矢に毒が塗られているせいで、本来なら致命傷にならない軽傷でも兵を戦闘不能にしてしまう。


「だが、所詮は弩だ。あれは連射が利かんし、あんなものを使っているからには兵士も寄せ集めの農民兵なのだろう……明日は歩兵部隊で一気に敵陣に肉薄し、敵が弩に矢を番える暇もなく殺し、進路を塞ぐ丸太盾を取り除かせる。そこへ騎兵部隊を突撃させて撃滅する」


 数はこちらが圧倒的に有利だ。弩や毒などという小細工が追いつかないほどの勢いを以て敵陣を飲み込んでしまえばいい。そんなアイリーンの策に、軍団長たちも同意する。


 そのとき、司令部となっている天幕へ伝令兵が飛び込んできた。


「報告! 報告です! 敵軍の将が小勢を連れて接近してきました! こちらの指揮官に会いたいとのことです!」


 予想外の報告に、その場に集う軍団長たちも、アイリーンと副官も一瞬唖然とする。


「……ふっ、都合がいい。のこのこ近づいて来るとは」


「今のうちに殺してしまえばいいのでは? 蛮族の将に礼儀など不要でしょう」


 そんな軍団長たちの言葉を、伝令兵が遮る。


「そ、それが、敵将は先の戦闘でのこちらの負傷兵を届けに来たそうで……戦場にはまだ大勢の負傷兵が転がっているから、引き取りに来いと」


「……何だと!? おい、その敵将には絶対に手を出すなと伝えろ! 相手の望み通り私が直接会う!」


 先ほどの毒は兵の動きを封じるだけで、命を脅かすものではないのか。その可能性に思い至ったアイリーンはそう叫び、伝令兵を再び走らせた。


 自身も急いで兜を被り、副官と、側近である数人の軍団長、そして護衛兵を連れて最前線へと急ぐ。


 すると、そこには確かに、護衛らしき兵に囲まれて騎乗した身分の高そうな男がいた。


 おそらくはこの国の上級貴族なのだろう。鎧ではなく黒いローブを身にまとっているのを見るに魔法使いか。顔立ちは幼く、体格も小柄で華奢。一見するととても大軍の将には見えない。


 男とそれを囲む護衛の後ろには、担架に乗せられて運ばれてきたらしいベトゥミア兵の姿が一〇人ほど。中には自力で上体を起こせるほど元気な者もいるようで、こちらの兵士に向かって手を振ったり何か呼びかけたりしている。


 と、敵将らしき男はいきなり魔道具のようなものを口元にあてると、その魔道具によって増幅された大声で話し出した。


「私はロードベルク王国西部軍の大将、ノエイン・アールクヴィスト子爵だ。ベトゥミア共和国軍の指揮官殿に伝える。あなた方が戦場に捨て置いた兵士たちは、体に麻痺を負っただけで皆生きている。私は誇り高き王国貴族であるので、負傷して動けない者を殺すことはしない」


 指揮官のアイリーンに伝える体をとりつつ、アールクヴィスト子爵を名乗る男はわざと西部侵攻部隊の全体に聞こえるように話す。


「よって我々は人道的な配慮により、あなた方が負傷者を救助することを認める。あなた方も、まだ生きている仲間を見捨てたくはないだろう。あなた方が戦場で負傷者を回収し、移送する間、我々は一切手を出さないと約束しよう」


 アールクヴィスト子爵の言葉を聞いて、兵士たちが騒がしくなる。先ほどの戦闘で失ったと思っていた一〇〇〇人近い仲間が生きていて、敵がそれを返してくれるというのだから無理もない。


 これは単に同胞が助かるというだけの話ではなく、今後の戦闘で自分たちが謎の毒に負傷させられても、生きて帰ることができるという希望が見えたことになる。


「……」


 アイリーンはさらに前進し、アールクヴィスト子爵のもとに近づく。副官と軍団長たち、護衛兵も無言でそれに続く。


 アイリーンの行動を受けてか、子爵の方も周囲に何やら指示を出し、前に進み出てきた。


 彼の傍らには側近らしき屈強そうな男と、護衛らしき兎人の女兵士のみが付いている。ベトゥミアと同じくロードベルク王国でも獣人は迫害の対象のはずだが、そんな者を傍付きの護衛として連れるとはこの男はよほどの変わり者らしい。


 アイリーンとアールクヴィスト子爵は、互いの表情が分かる程度の距離まで接近して止まる。


「ベトゥミア共和国軍西部侵攻部隊指揮官、アイリーン・フォスター大軍団長だ」


「初めまして。隊の総指揮官殿から直々にご挨拶いただけること、光栄に存じます」


 まるで社交の場で挨拶でもするかの如く柔和な笑みを浮かべて答えるアールクヴィスト子爵に、アイリーンは少々拍子抜けする。


「……アールクヴィスト子爵殿、貴殿の用件は理解した。だが、我々が負傷者を回収する間は手を出さないと、どうやって信じることができる?」


「私は危険を承知で、わずかな護衛のみを連れてここまで来ました。ベトゥミア共和国軍の負傷兵をお返しするためだけにです。私のこの行動では、信じるに値しませんか?」


 アールクヴィスト子爵はアイリーンの問いかけに対して、やはり戦場には似つかわしくない穏やかな微笑みをたたえながら答える。一見すると子どものような容姿も合わさって、妙に調子を狂わせてくる相手だ。


 アイリーンはそんな子爵の目を見据え、その本心を、狙いを考える。数秒の後、また口を開く。


「……いいだろう。貴殿の言葉を信じよう。負傷者を回収するための部隊をそちらの陣地の前まで送る」


「さすがは先進的な文明国であるベトゥミア共和国の将ですね。あなた方が怪我を負った兵を見捨てるような真似はしないと信じていました」


 そう言ってのけるアールクヴィスト子爵に対して、アイリーンは硬い笑みを浮かべた。


 体が麻痺した、おそらくもう戦線に復帰できない一〇〇〇人の負傷兵。それを回収し、世話をし、後方に移送するのは相当な手間がかかるだろう。


 しかし総司令官であるハミルトン将軍からは、できる限り死者数を抑えろと厳命されている。死んだと思っていた兵士たちが生きていたのなら、回収しないわけにはいかない。


 おまけにアールクヴィスト子爵はわざわざ大声で負傷者の存在をこちらの兵士たちに喧伝し、「人道的な配慮」で救助させると言った。


 これで負傷者を救助しないなどと言えば、「フォスター大軍団長は怪我人を見捨てる指揮官だ」と兵士たちから思われる。自分も負傷すれば見捨てられると兵士たちが考え出せば、士気は壊滅的なまでに下がるだろう。


 アイリーンには、負担を覚悟で負傷兵を救助する以外の選択肢はない。


「それでは私は戻ります。また戦場でお会いしましょう」


「……ああ」


 最後まで穏やかな表情のまま挨拶を残して帰っていくアールクヴィスト子爵に、アイリーンはひと言そう答えることしかできなかった。


「妙な男でしたな。あまりにも将らしくない」


 ベトゥミアの負傷兵を担架ごと置いて去っていくアールクヴィスト子爵の一行。その背中を眺めながら副官が呟く。


「そうだな……ロードベルク王国貴族にも、あのような人間がいるのだな」


 貴族の誇りやら騎士の精神やらを好んで語りたがるロードベルク王国の貴族には、狡猾な策を巡らせるような者は少ない。それを考えると、あのアールクヴィスト子爵は相当に異質だ。


 そして、そういう奴ほど敵にすると手強いものだ。


 この戦いは思っていた以上に厳しいものになるかもしれないと、アイリーンは内心で緊張を感じていた。

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