第260話 激突

「ユーリ、兵士たちの士気はどう?」


「問題ないように見えます。昨夜振る舞った肉が効いたのでしょう」


 緒戦を勝利で終えた翌日の朝。ノエインは従士長ユーリとそんな言葉を交わしていた。


 昨日のアーカブ士爵の処刑で「命令に従わない者は貴族だろうと容赦なく残虐刑に処す」という印象を兵士たちに持たれたノエインは、その夜には食料の中でも貴重な肉を配給した。


 昨年は食料不足で苦労した農民上がりの兵士たちは、久々にまともに肉を口にしたことで士気を回復。ノエインも「命令に従いさえすれば良い待遇を与えてくれる将」という印象を植え付けることに概ね成功していた。


 大将に従えば優しくされ、逆らえば処刑が待っている。そんな状況ではまた一部の貴族が命令を無視しようとしても、兵の方がそうそう従わないだろう。


「それならよし……まったく参っちゃったよねー昨日は」


「あれはさすがに肝が冷えましたな」


「あはは、ユーリでも肝が冷えることあるんだ」


「そりゃそうでしょう。私を何だと思ってるんですか」


 ノエインが軽口を言うと、ユーリも苦笑する。


 なんとか場を収めることができたからこそ笑えるが、昨日のあれは冗談抜きで敗戦の危機だった。あんなことがきっかけで負けたら死んでも死にきれない。今思い出しても冷や汗が出そうだとノエインは思う。


「……今日はどの手で攻めてくるだろうね、フォスター大軍団長は」


 マチルダが淹れてくれた温かいお茶のカップを手に、遠くではあるが視認できる距離に野営地を置くベトゥミア共和国軍の西部侵攻部隊を眺めながら、ノエインは呟いた。


 敵の攻勢についてはユーリやフレデリックの助言も受けながらいくつかの予想を立てているが、そのうちのどの手をフォスター大軍団長が選ぶか、はたまた全く予想外の手で攻めてくるかは当然ながらまだ分からない。


 気を張り過ぎず、かといって油断することはなく朝を過ごし、昼前にはフレデリックが起床してきたので合流(フレデリックは夜襲への警戒として深夜の指揮を務め、明け方から眠っていた)。


 昼食を終える頃になると、敵が再び攻撃のために隊列を組み始めた、と報告が入った。


「……あの隊列だと、こっちの予想から外れることはないみたいですね」


「そのようだな。敵は数で圧倒しているんだ。まともな将ならああするだろう」


 こちらも隊列を整えさせながらノエインが言うと、横に立つフレデリックが頷く。


 ベトゥミア共和国軍は歩兵部隊を先頭に据え、その左右に弓隊が、後方に騎兵部隊が控えていた。おそらくは歩兵を一気に突撃させて数の力でこちらの前衛を崩し、隘路の入り口を塞ぐ丸太盾を排除して騎兵突撃の道を切り開くつもりだ。


 バリスタやクロスボウの連射性能が低く、数も限られることを理解した上で、こちらの『天使の蜜』による攻撃が追いつかないほどの人海戦術を仕掛けるつもりなのだろう。圧倒的な数の有利を保っている以上、下手に奇策を用いずに力押しをするのは堅実な用兵と言える。


「まあ、まともな用兵が通じるのは普通の戦場だけなんですけどね……こっちにはアールクヴィスト領の切り札、クレイモアがいますから」


・・・・・


「閣下。進軍準備が整いました。いつでも攻撃を開始できます」


「よし、前進!」


 ベトゥミア共和国軍西部侵攻部隊は、アイリーンの命令に従って前進を始める。ロードベルク王国西部軍の陣を見やると、前衛にクロスボウ兵と弓兵、バリスタを置く布陣は変わらない。目に見える変化は、中衛の歩兵が陣の左右から前寄りに出て、いつでも前面に展開できるようにしているくらいだろうか。


「敵はこちらの力押しを真正面から受け止める気か? 耐えられると本気で思っているのなら、ベトゥミアも随分と舐められたものだな」


「他に有効な対応策もないでしょうから、仕方のないことかもしれませんが……ただ、最前列に出ている三角形の鉄板を繋ぎ合わせたような障害物が気になります」


 アイリーンの疑問に副官が自身の意見を述べる。


「あれか……どんな小細工を仕込んでいるのか知らんが、数は二〇もないだろう。この大軍を前に戦況を変えるほどの何かがあるとは思えん」


 昨日の負傷兵の移送準備や野営地の守りもあるので全軍を攻勢に投じることはできないが、それでもこちらは一五〇〇〇を超える大軍で敵に襲いかかるのだ。勝利は見えている。アイリーンはそう考えていた。


「……今だ。歩兵部隊、突撃せよ!」


 西部侵攻部隊がロードベルク王国西部軍の陣に着実に接近し、十分に距離が縮まったタイミングを見てアイリーンは声を張った。その命令が前衛の歩兵部隊まで伝えられ、一〇〇〇〇を超える歩兵が鬨の声を上げながら一斉に走り出す。


 その援護のために弓隊も前進し、敵を牽制するために矢を放った。


 対峙するロードベルク王国の陣からも矢が飛ぶ。弩砲から放たれた矢はやはり空中で散らばり、おそらくは昨日と同じように毒が塗られているであろう針のような矢を降らせる。


 それに弩からの水平射も合わさり、散らばった矢が高い密度でこちらの歩兵部隊の最前列を襲う。


 さらに、弓兵からはロードベルク王国の弓より遥かに長い距離を飛ぶ矢も放たれていた。こちらの負傷兵から奪った複合弓を一部の兵が使っているらしい。


 散らばった細い矢を数えると一万を超えるのではないかと思えるほど大量の矢が飛び、それを食らったこちらの歩兵が足を止め、あるいは倒れる。しかし、走り続ける兵の方がはるかに多い。


 敵が最初の一斉射を終えると、以降はその矢の密度が明らかに薄くなる。やはり連射性能が低い飛び道具では大軍の突撃を止めるには至らないようだ。


「よし! いけるぞ! このまま一気に敵陣を飲み込んでしまえ!」


 アイリーンが勝利を確信したそのとき。


 敵陣の先頭に置かれていた謎の鉄板の障害物が、まるで内側から誰かが持ち上げたかのように、むくりと動いた。


・・・・・


「ははは、あれだけの大軍じゃあバリスタとクロスボウでも止まらねえか。無理もねえよなあ」


「よかったじゃないかアレイン。お前が仕留める敵もたっぷり残ってるぞ」


「おう、ありがたいこった。できるだけ多く仕留めて帰らないと、メアリーに聞かせる武勇伝が作れないからな」


 ロードベルク王国西部軍の陣地の最前列に近いところで、クレイモア隊長のグスタフはアレインと言葉を交わす。


 二人以外のゴーレム使いも多くがこの前衛に置かれ、それぞれに大盾を構えた兵士が二人、護衛についていた。大盾兵によって敵の矢が防がれる中で、ゴーレム使いたちは二枚の盾の隙間から前方を見据える。その周囲では、クロスボウ兵が矢を装填しては敵に放つ。


「そろそろだな……いいかお前ら! 今日は傀儡魔法使いの歴史を変える日だ! 大戦で活躍して、アールクヴィスト領だけじゃなく王国全体の傀儡魔法使いへの評価を変える! そして俺たちを拾ってくれたアールクヴィスト閣下のご恩に報いる! そのために死ぬ気で戦え!」


「「「おおっ!」」」


 グスタフが檄を飛ばすと、ゴーレム使いたちの威勢のいい声が返ってくる。


「クレイモア、前進!」


 敵歩兵の先頭が数十メートルの距離まで接近しているのを確認して、グスタフが命令を下す。それと同時に破城盾の裏に隠れたゴーレムたちが一斉に立ち上がり、破城盾を持ち上げて前進を開始した。


 鉄板を繋ぎ合わせた塊が生き物のように動くとは思っていなかったのか、先頭の敵歩兵が驚いたような表情を見せる。が、足を止めれば後続に踏み潰されるので、誰も突撃の足を止めることはできない。


 ゴーレムは破城盾を構えながら、地形がやや下り坂になっていることも手伝って数秒で加速。突撃してくる敵歩兵が数メートルの距離まで迫った瞬間――破城盾を手放して前に投げた。


「うおっ!?」


「ごぶふっ!」


 人間であればまず一人では持ち上げられない鉄板が、尖った接合部を向けて飛んできたのだ。ベトゥミアの歩兵たちは驚愕しながら破城盾の衝撃を受け取る。


 先端が真正面から直撃した者は頭が千切れ飛び、あるいは体を引き裂かれて内臓をこぼす。数メートルほど飛んだ破城盾は重力に従って地面に落ち、慣性のままに前方に滑り、進路上にいた兵士たちの体を轢き潰して挽き肉に変える。


 破城盾を投げたゴーレムたちは、密集したベトゥミアの歩兵部隊の隊列の中にそのまま飛び込み、腕を振り回して暴れ始めた。


「いいか! できれば敵を殺すな! 怪我をさせるだけに留めろ……って言っても、この状況じゃそうもいかないよな」


「はははっ、ゴーレムが暴れたら人間なんて簡単に頭刎ね飛ばされちまうからな!」


 後半はため息交じりに呟いたグスタフの言葉に、アレインが笑いながら同意する。


 ゴーレムは敵のど真ん中に飛び込ませてめちゃくちゃに暴れさせるような戦い方で最も戦果を挙げられる。しかし、相手を殺さずに無力化するような繊細な戦いには本来向かない。


 あからさまに手加減すれば殺さないようにすることもできるが、かといって今グスタフたちが手を抜けば敵歩兵の突撃の勢いを止められなくなる。こればかりは仕方ない。


 大将のノエインも全ての敵を生かしたまま麻痺させられるとは思っていないようで、こういう場面で敵を殺してしまうことについては気にしなくていいと事前に指示が出ている。


 敵は一〇〇〇〇を超えるとはいえ、丘に挟まれた地形ではその全てが一斉に押し寄せることはできない。横一列に並んだ二〇体近いゴーレムの暴走を真正面から受けて、突撃の勢いが目に見えて弱まる。


 ゴーレムの暴走を潜り抜けて前進したベトゥミアの歩兵たちは、今度は丸太盾の並ぶ地帯でクロスボウ隊の攻撃に晒される。


 クロスボウ兵から見れば、目の前にいるのは敵の歩兵か、暴れるゴーレムのみ。ゴーレムは『天使の蜜』が塗られた散弾矢を浴びたところで麻痺することもなく、ろくに傷もつかないので、友軍誤射の心配もなく次々に矢が放たれる。


 対するベトゥミア共和国軍の兵士たちにとっては、目の前には謎の毒が塗られた矢を撃ってくる敵兵が並び、後ろには暴れ狂うゴーレムがいる状況だ。


 さらに、クロスボウによる矢の雨さえ潜り抜けたベトゥミアの兵士に、今度はロードベルク王国側の歩兵部隊が立ちふさがる。


「敵はここまでの突撃で疲れている! 落ち着いて対処しろ!」


「とどめまでは刺さなくていい! 手足を攻撃して敵の動きを封じるんだ!」


 トビアス・オッゴレン男爵やノア・ヴィキャンデル男爵の声が響き、練度で言えば玉石混交の歩兵たちは果敢にベトゥミア兵に襲いかかる。


 装填中の無防備なクロスボウ兵を庇うように歩兵がベトゥミア兵の攻撃を受け止め、敵を槍や剣で殴り倒し、あるいは盾で突き飛ばして転ばせ、そこへ装填を終えたクロスボウ兵が矢を射かける。倒れて動けない状況で『天使の蜜』を撃ち込まれたベトゥミア兵は、なすすべもなく全身を痺れさせて沈黙する。


 そんな光景が最前線でくり広げられ、ベトゥミア共和国軍の突撃が阻まれる中、それより少し後方に位置するバリスタ隊の陣地からは次々に大型散弾矢が曲射で撃ち出され、友軍の頭の上を飛び越えてベトゥミア共和国軍の中衛を襲った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る