第205話 今後の話

 使者のバルテレミー男爵を見送った後も、ノエインたちの仕事は終わらない。


 まずは、駐留している王国軍から精鋭の騎士が数人選ばれ、アンリエッタ・ランセル王女からの親書を王家に届けるために急ぎ出発する。


 この騎士たちは国王の名のもとに、交換用の馬の貸し出しや宿泊場所の提供など各貴族領で最大限のサポートを受けながら、王都までの道のりを片道わずか数日で走破することになる。


 また、それに先がけて、ノエインが名誉従士コンラートを使ってレトヴィクのケーニッツ家へと『遠話』で使者の件を報告する。こうすれば、ケーニッツ子爵領からさらに東のベヒトルスハイム侯爵領へと報告が送られ、そこから対話魔法使いによる『遠話』通信網ですぐに王家まで話が届く。おそらく今日か明日にも。


 親書より先に停戦の申し入れの話が届けば、王家もあらかじめ対応をある程度考えることができるだろう。


 ここまで済ませて、ノエインたちはようやくひと段落ついた。


「……それにしても、停戦の申し入れとは」


 場所を再び会議室に移し、休憩がてら茶を啜りながら呟いたのは副軍団長だ。


「あらかじめ予想していた敵の出方のひとつではあるが、実際に言われると呆気ないものだな」


「まったくですね。十年近くも戦ってきたというのに……」


「仕方あるまいよ。わざわざ内乱を起こして王の首を挿げ替えるというなら、国政の路線も変わるのは必然だ」


 指導者層を総入れ替えしたからといってこれまでのランセル王国の振る舞いがなかったことにはならないが、「ランセル王国は生まれ変わりました」と言われればロードベルク王国とてそれを踏まえて対応せざるを得ない。まさか永遠に戦い続けるわけにもいかない。


「……」


 マルツェル伯爵と副軍団長が話す横で、ノエインは微妙な顔をしながら押し黙る。それが気になったのか、二人もノエインの方を見た。


「アールクヴィスト閣下、大丈夫ですか?」


「どうした、初めて外交の席について気疲れでもしたか?」


 微妙な顔のまま、ノエインは答える。


「いえ、あの……このアスピダ要塞、せっかく作ったのにもう要らなくなるのかな、と考えてしまって……」


 それを聞いて、副軍団長も、このときばかりはマルツェル伯爵も同情するような顔をノエインに向けた。


 アスピダ要塞を造る材料費はすべてアールクヴィスト領の金庫から……いわばノエインの財布から出された。さらに、要塞に配備するために大量のバリスタや爆炎矢も製造された。ノエインはそれなりに痛い出費をしてこの超重武装の砦を建造したのだ。


 それが完成した矢先に停戦の申し入れである。もちろんノエインとしては隣国との関係が平和である方が望ましいが、ようやく終わったひとつの大仕事が徒労だったかもしれないと考えると、ひとつため息をつくくらいは許してほしいところだ。


「……いや、そんなことはなかろう。戦争が終わる道筋が見えたとはいえ、ここが国境の要地であることに変わりはないのだ。平時だろうと国境の守りは常に固めていなければならない。この要塞は卿がその役目を果たす上で必ず役に立つだろう」


 慰めも混みで、しかし一応は事実である理屈をマルツェル伯爵が語る。


「それに、いずれ正式に講和が結ばれればこの道からもランセル王国との交流が起こるだろう。そんなときに、重武装の砦が関所として存在しているのはロードベルク王国の威信を見せることにも繋がる。これから卿は、国境の防衛と隣国との対話の窓口という役目を担うのだ。ここはその拠点として、機能の面でも威容の面でも必要十分ではないか?」


「……確かに、仰る通りですね」


 ものは言いようだなと思いながら、ノエインは苦笑いを浮かべてマルツェル伯爵の言葉に頷いた。


・・・・・


「はあ~~あぁ~~まったく。こんな忙しい日になるなんてね」


 ランセル王国の使者との会談、そしてマルツェル伯爵たちとの細かな話し合いを終えて領都ノエイナに帰還したノエインは、屋敷の居間のソファにどっかりと座って長いため息をこぼした。


 時刻はそろそろ午後五時になろうとしている。予定外の外交で今日の午後が丸々潰れてしまった。


「本当にお疲れさまでした、あなた」


 その隣にはクラーラが座り、ノエインを労う。出産予定日をおよそ4か月後に控えた彼女のお腹は、外から見ても分かるほどには大きくなっている。


 さらに、居間にはノエインとともに帰還したマチルダとユーリ、ペンスもいた。加えてアンナやエドガー、マイなど内務の中核を担う従士たちも呼ばれており、非常にリラックスした空気ではあるが、今回の事態急変について軽く話し合う場となっている。


「ありがとうクラーラ……まさか自分が外交貴族の真似事をすることになるなんて思わなかったよ」


 苦笑しながら、ノエインは妻に答えた。


「カドネがあんな有り様だし、王女派連合が十中八九勝つんだろうけど……そしたら国境も今みたいな警戒態勢じゃなくなって、王国軍将官もマルツェル閣下もいなくなるから、僕が一人でランセル王国の使者とやり取りするんだよね……」


 有事に備えて守りを固めながら、さらに隣国との交流の窓口にもなる。舐められないようにしつつ、礼を失することもないようにする。非常に面倒くさそうな役割だ。


「だが、両国の停戦や講和が実現すれば再侵攻を受ける心配はほぼなくなる。ノエイン様としては、ずっと武器を構えて緊張しながら睨み合うより言葉の外交の方がいいんじゃないか?」


「それはもちろん、そうだね……これも平和と幸福のためかあー」


 ノエインがソファにだらしなくもたれかかり、体を伸ばしながら気の抜けた声で呟くと、その子どもじみた仕草とにその場にいる一同が小さく笑った。


 また新たに責任を負うことになってしまったのは嫌だが、それで愛すべき領民たちの平和を守り、以て自分の幸福を守ることができるのなら選択の余地はない。


「結局、領軍の規模拡大については今のまま進めるってことでいいんですよね?」


 ペンスに声をかけられて、ノエインはよっこいせと体を起こしながら答える。


「だねー。うちが国境防衛を担うことには変わりないし。アンリエッタ王女が王位について穏健路線になったとして、それがこの先もずっと続くとは限らないからね……だからペンスには、もちろんユーリにも、新兵の訓練を引き続き頼むよ」


「了解でさあ」


「ああ、任せてくれ」


 隣国と友好的な関係を築けたからといって、防衛を疎かにはできない。国同士の友好など壊れるときは一瞬だ。現に、およそ60年にわたって続いたロードベルク王国とランセル王国の友好は一人の暴君の台頭で途絶えた。


 いずれ第二のカドネが出てくるかもしれないのだから、アールクヴィスト領軍の拡大は継続される。


「人口を増やす路線もそのままだから、王家も移民を送り続けてくるはず。結局は僕たちがやることは変わらないから……内務系の皆にも引き続き頑張ってもらう場面が増えると思う」


「ええ、それを踏まえて領の予算管理をしていきますね」


「農民の監督や食糧増産の管理はお任せください」


「移民たちの生活面も、婦人会の方から引き続き手助けしますね」


「ありがとう。頼りにしてるよ」


 アンナ、エドガー、マイが言うと、ノエインは微笑みながら答えた。


 突然の使者来訪でばたばたしてしまったが、結局は王国におけるアールクヴィスト領の役割も、ノエインたちのなすべきことも変わらない。そう確認し終えたことで場の空気はさらに緩み、お茶を飲みながらの雑談になる。


「……それにしても、まさかあのときの貴族に再会するなんてね。バルテレミー男爵が言ってた通り、本っ当に世間は狭いね」


「……その件については、申し訳ございませんでした。ノエイン様」


「ああ、それは俺も……私も、申し訳ございません。閣下」


 ノエインがふと思い出して言うと、マチルダとユーリが神妙な顔で頭を下げる。


「……ユーリが仕事で謝るような失敗をするなんて珍しいわね。それにマチルダまで。何があったんですか?」


「ああ、実はね。三年前の南西部での大戦のときに戦った相手が――」


 二人の突然の謝罪を見て眉を上げたマイと、同じく驚いた様子のアンナとエドガー、そしてクラーラに、ノエインはバルテレミー男爵と顔を合わせた際の一幕を説明する。


「……なるほど、そんなことが」


「本当に偶然だったのでしょうが、それにしても凄い確率ですね」


 話を聞いて、アンナとエドガーが呟いた。


「あれに関しては警戒するのもやむなしだったと思うよ。男爵が僕の情報をどこかから掴んで、本当に暗殺とかを企んでる可能性もあったからね。使者自体が罠だったかもしれなかったし……だから二人とも謝罪は不要だよ。むしろ、よく僕を守ってくれた」


「……ありがとうございます」


「感謝します、閣下」


 ノエインがマチルダとユーリに言うと、二人は神妙な顔で答える。


「……相手の使者がバレル砦の敵だったっていう話は、古参の従士以外には言わないように頼むね。特にケノーゼやボレアスたち、あのときあそこで戦った獣人たちには知られないようにしよう」


「……そうですね。彼らにとっては仇の一人でしょうから」


 ノエインの言葉にエドガーが答え、他の者も頷いた。


 三年前の大戦勃発はバルテレミー男爵の決めたことではないし、状況が変わった以上はかつて剣を交えた者と握手をすることもあると、貴族であるノエインは納得できる。従士たちも理解してくれるだろう。


 しかしそれでも、バルテレミー男爵はジノッゼたちを殺した敵軍の一員であったし、あのときはアールクヴィスト領軍にも指や手足を失った重傷者がいたのだ。そんな相手とノエインが同じテーブルについて会話し、握手を交わしていると聞けば、無心ではいられない者も多いだろう。安易に広めるべき話ではない。


「……まずは再来週あたり、王家からアンリエッタ王女への返事がどうなるかだね」


「無条件で停戦というわけにはいかんだろうな。それでは甘すぎる」


「戦争の矢面に立たされた南西部貴族たちも納得しないだろうからねー。領地の割譲……いや、もっと分かりやすく賠償金の請求かな。どっちにしろ国王陛下のお考え次第だけど」


 ユーリの意見に頷きながら、ノエインは自身の予想を呟いた。


 ランセル王国の申し入れにどう答えるか決めるのはオスカー・ロードベルク3世だ。ノエインは国境沿いに領地を持つ貴族として、王の意向を伝えるだけである。

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