第206話 隣国訪問

「それでは、行ってまいります」


「……国王陛下の親書だからな。確実に届けて陛下のご意向を伝え、親書を渡して来いよ。間違っても道中で魔物に食われて死んだりするな」


「はい。ご心配ありがとうございます」


「別に卿の身を案じているわけではない。陛下のご意向が届けられるかを気にしているだけだ」


 自分が心配してもらっている前提で言ったノエインに対して、マルツェル伯爵は憮然とした表情で答える。


 ノエインがこれから向かうのは、ベゼル大森林道を越えた先――ランセル王国の北東端だ。


 バルテレミー男爵からアンリエッタ・ランセル王女の親書を受け取っておよそ二週間。停戦の申し入れに対するオスカー・ロードベルク3世の返答が記された親書が王国軍騎士によって全速力でアールクヴィスト領に届けられ、それをノエインがロードベルク王国側の使者として届けに行くのである。


 今後の国境間の細かなやり取りならともかく、国王の親書、それも停戦協定という重要な取り決めへの返答ともなれば、それを届ける者にもそれなりの格が求められる。ただし、親書を渡しつつ大まかな意向を伝えるだけなので、高度な外交知識は不要。


 そのため、子爵位という十分な格を持ち、国境に接する地の領主としてこれからも相手方と顔を合わせることも多いであろうノエインが使者を務めるのがいいだろうという話になり、ノエイン自らが赴くことに決まったのだ。


「どうかご心配なく。我がアールクヴィスト領軍の精鋭を同行させますし、直属の護衛のマチルダも優秀です。私もゴーレムを扱えます。万が一にも死ぬようなことはありません」


「それならいい……重要な仕事だ。卿なら問題なかろうが、頑張れよ」


「……はい。激励のお言葉、感謝します!」


「早く行け」


 少し迷った末に素直な励ましの言葉をかけたマルツェル伯爵だが、ノエインがそれはそれは嬉しそうな顔で元気に返事をすると、言ったことを後悔するような表情になった。


・・・・・


 両横を森に挟まれた、草木を取り払って地面を固めた森林道を、ノエイン率いるアールクヴィスト領軍が進む。


 中心にいるのは軍馬に騎乗したノエインと、その左右につくマチルダとユーリ。さらにその周囲を、ペンス率いる精鋭の親衛隊が囲む。また、ランセル王国北東部に詳しいジェレミーも随行する。


 隊列の先頭はこちらも騎乗したラドレーと他数人の手練れが立ち、最後尾にはリックと数人の部下が狙撃用クロスボウを装備してつく。


 さらに、ノエインたち中央の前後にはそれぞれ馬車が一台ずつ。馬車に乗っているのはグスタフ以下クレイモアのゴーレム使いが全部で5人。前方に3人、後方に2人だ。馬車の横では各々のゴーレムが歩いて続く。


 また、ノエインが軍馬に騎乗しながら長時間ゴーレムを操って集中力を消耗することを防ぐために、馬車にはノエインのゴーレムも一体ずつ載せられていた。


 総勢30名ほどの部隊だが、ゴーレムが合計7体もいることを考えると、その戦力はおよそ200人以上に匹敵するだろう。これなら道中で魔物と遭遇しても、万が一以下の確率だろうが実はランセル王国軍が罠を張っていて襲撃してきても生き残れる。


「……暇だね。景色がまったく変わらない。魔物も獣も出ないし」


「仕方ないでしょう。これも、カドネが熱心に森林道を切り開いてくれたおかげです」


「まあ、そう言ってしまえばそうだけど」


 ノエインのぼやきにユーリが付き合ってくれる。


 先日にバルテレミー男爵から聞いたところによると、このベゼル大森林道は道から左右に2、3kmほどまで魔物狩りが行われたという。それこそ、脅威となる強力な魔物は一匹も逃さないほど気合いを入れて狩られたそうだ。


 強い魔物ほど、自分の縄張りから動くことは少ない。縄張りを変えることも少ない。ランセル王国軍がそれほど念入りに魔物を排除したのなら、この道で危険な魔物と遭遇することはそうそうないはずだ。


「これが侵略のためじゃなくて新たな交易路を開拓するためだったら、カドネはランセル王国で中興の祖として語り継がれるくらいの名君扱いだっただろうに……」


「まったくです。目的はともかく、これを成し遂げる気概だけは敵ながら大したものだ」


 おそらくはカドネが即位して紛争を始めたのと時を同じくして侵攻路作りを始めたのだろう。そこから開通まで実に十年弱。まさに国を挙げての一大事業だ。道を通したこと自体はカドネの偉大な業績と言える。


「ランセル王国に着くのは明日だったね」


「はい。順調に行けばそうなります」


 ベゼル大森林は東西に50km以上、長いところでは60km以上もの幅を持つ。全員が騎乗するか馬車に乗っているノエインたちでも、一応は周囲を警戒しながらの進軍で一日でランセル王国までたどり着くのは厳しい。


 今日だけでなく明日も変わり映えのしない景色の中を歩くのか、と内心でため息をつきながら、ノエインは部下たちと大森林道を進む。


・・・・・


 道中でコボルトの小さな群れと、アッシュウルフという狼の魔物と遭遇して蹴散らした以外は何事もなく進み、ノエインたちは予定通り翌日の昼にはベゼル大森林道を抜けた。


 こうして開けた場所に出た時点で、ランセル王国側の見張りの兵士には気づかれているだろう。相手を刺激しないようノエインは全軍を停止させ、一応は警戒体制をとらせながら辺りを見回す。


「……へえ」


 生まれて初めてランセル王国の地を直に見たノエインは、それだけ呟いた。


 当然だが、気候や草木の植生はロードベルク王国側と大差ない。大森林と平原、レスティオ山地の位置関係が逆なだけだ。


 道を抜けたここは広い平地になっているが、左右を見れば数百メートル離れたところにはまだ森が見える。ベゼル大森林の端を抉り取るように切り開いて、森林道の入り口周辺の見通しを良くしているらしい。


 そして、目の前には頑丈そうな丸太柵が見える。農村の魔物対策というレベルではないので、おそらくは都市と呼べる程度の街が柵の中にあるのだろう。さらに、丸太柵の並ぶうちの一部分がこぶのように突出しており、その柵の上から何人もの兵士が顔を出しているのが見えた。物見台のようなものまで建っている。


「ジェレミー、近くに」


「はっ」


 ノエインが呼ぶと、ジェレミーがノエインの隣に馬を近づける。


「この辺りの状況について教えてほしい。君が前に見たとき……ロードベルク王国側の逆侵攻のときと比べて変わってる?」


「あの丸太柵で囲まれた都市は私がこの国の人間だった頃からありますが、そこから突出した砦の部分は前回はありませんでした。あの都市の元々の人口は確か2000人ほどでしたが、ランセル王国の駐留部隊によって今どれほど増えているかまでは……」


「分かった。十分だよ、ありがとう」


 都市から飛び出たこの砦の部分は、ロードベルク王国の逆侵攻を受けて造られた急ごしらえの防御設備なのだろう。


 だが、大して防衛の役に立つようには見えない。その気になればアールクヴィスト領が動員する兵力だけでここを制圧できてしまうのではないだろうか。ベゼル大森林道の防備をこの程度のままで放置するということは、王女派連合は本当にロードベルク王国と争う意思は皆無らしい。


 と、その砦の門が開き、中から数騎の騎士が出てくる。先頭にいる軍服の男は――バルテレミー男爵だ。


 ノエインたちが姿を見せてものの数分で出てくるあたり、そろそろ使者が来る頃だと待ち構えていたらしい。


「ようこそ、アールクヴィスト子爵閣下。あなたが直々にお越しくださるとは」


「これもロードベルク王国の誠意の証と思っていただけると幸いです。お出迎え感謝します、バルテレミー男爵」


 武器も構えず接近してきたあたり、やはり当然というか、ランセル王国の罠などはない。ノエインも前に進み出て、バルテレミー男爵に応える。


「早速ですが、オスカー・ロードベルク3世陛下のご意向をお伝えさせていただきたい」


「ええ。砦の中に会談の場を用意しております。どうぞこちらへ」


 バルテレミー男爵とその護衛騎士たちに先導され、ノエインたちは都市の砦に入る。


 門をくぐると、中の設備は丸太柵の裏に作られた足場と、いくつかの木造あるいは石造りの建物、あとは天幕が並ぶだけという簡素なものだった。やはり急造の砦らしい。


 ざっと見たところ、砦に詰める兵士の数は200人にも満たない。なかにはクレイモアのゴーレムを見て顔面蒼白になっている者もいる。昨年のカドネの親征に従軍した兵士だろうか。元カドネ派の将兵もそれなりに王女派連合に寝返っているのだろう。あるいは勝ち目のある方に鞍替えした傭兵か。


 護衛部隊はラドレーに任せて外に待たせ、ノエインはマチルダとユーリ、ペンスを伴って砦の中で最もしっかりした造りの建物の中に通される。


 その中の一室、長机と椅子が並ぶ様からして会議室と思われる場所で、バルテレミー男爵とその部下たち――前回もいた文官と武官だ――と向かい合って座った。


「それでは、アンリエッタ・ランセル王女殿下からの停戦の申し入れに対する、オスカー・ロードベルク3世陛下のお答えをお伝えします」


 ノエインが切り出すと、バルテレミー男爵と補佐役二人が表情を引き締める。さすがに多少緊張しているらしい。


 少しばかりいたずら心が働いて、ノエインは若干長めの溜めを挟んで結論を告げる。


「……オスカー・ロードベルク3世陛下は……此度の停戦の申し入れを受け入れることをご決断されました。ロードベルク王国は、アンリエッタ・ランセル王女と親王女派貴族連合を支持します」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る