第204話 昨日の敵は今日の友

「……なるほど、おおよその事情は察した」


 バルテレミー男爵の言葉を聞いて、数秒の沈黙の後にマルツェル伯爵が言った。伯爵が両横に視線を送り、副軍団長も、そしてノエインも頷く。


 隣国であるランセル王国の王家の大まかな事情はロードベルク王国内にも伝わっており、ノエインも王国貴族としてそれを学んでいる。その知識をもとに、今の一言からある程度の事情は想像できる。


 もともと、現在の国王であるカドネ・ランセル1世には、二人の兄と一人の妹がいた。このうち、先代と正室との子である二人の兄はカドネから見れば異母兄弟で、妹のアンリエッタ王女はカドネと同じく側室から生まれたという。


 そして、今からおよそ十年ほど前、先代国王の死期が近づくと同時にカドネは二人の兄を謀殺した。その結果、カドネが新たに王位に就いた。


 しかし、遅く生まれた子どもだったために当時まだ5歳に満たず、カドネと母を同じくする妹のアンリエッタについては、殺されずに辺境への幽閉で済まされた。カドネにも兄として情があったのか、幼子まで恐れて殺したという醜聞を避けただけなのかは分からない。


 カドネ以外の唯一の直系の王族であり、現在は王位継承権一位のアンリエッタ王女は、反カドネ派のランセル王国貴族にとっては唯一旗頭になり得る存在だ。それから考えるに……


 王女がそれなりの年齢へと成長し、さらにカドネの力が弱まったのを機に、軍閥以外の貴族と、目の前のバルテレミー男爵のように一部の軍閥貴族さえもが、王位をカドネからアンリエッタ王女に移すために連合を組んで決起した。といったところだろう。


 ここまでを、ノエインたちは数秒で推測した。


「だが、使者である卿の口から詳細を聞かないわけにはいかぬ。続けてくれ」


「はっ。では順を追ってご説明させていただきます。まず、昨年三月の親征の際、カドネ国王は大敗を喫し、重傷を負い、両足に麻痺が残りました。度重なる敗戦によって国王の求心力は急落し、これまでの戦いで軍閥貴族も多くが弱体化。以前よりカドネ国王への不満を溜めていた軍閥以外の貴族は、アンリエッタ王女を新たな王として戴くために連合を組みました」


 マルツェル伯爵に促され、バルテレミー男爵は話を続ける。


「その連合に、私のように国王から離反した一部の軍閥貴族も合流しました。冬の間に決起の準備を秘密裏に進め、冬明けとともに王女派連合として行動を起こし、現在はカドネ派と戦いをくり広げております。戦況は我々が優勢であり、カドネ派を駆逐するのは確実と思われます」


 男爵の語るランセル王国の実情は、ノエインたちの予想とおおよそ違わぬものだった。


「……そうか。それで、その王女派連合とやらはカドネ派との戦いに専念するために、我々に後ろから攻撃される憂いを断ちたいというわけか」


「まさしく仰る通りにございます。ランセル王国北東部の一帯……すなわちあなた方から見ればベゼル大森林の道を西に抜けた先ですな。そこはすでに、我々王女派連合が実効支配しております。なので、あなた方が我々の陣営と停戦を約束してくだされば、お互いに侵攻を受ける心配がなくなるかと」


 ここまで話して、バルテレミー男爵は少しだけ笑みを見せる。


「いかがでしょうかな? あなた方にとっても良きお話ではないかと――」


「それで我々が得る利益は何なのか、お教え願いたい。これを機に我々の方からランセル王国へ侵攻し、ロードベルク王国の領土拡大を成すこともできるのだ。我々がそれをしない理由があるのかね? そちらの都合に合わせて一方的に停戦を結ぶ理由が?」


「……もちろん、あなた方にも利益がございます」


 畳みかけるように言ったマルツェル伯爵に、バルテレミー男爵は額に汗を浮かべながら言葉を続ける。


「我々王女派連合は、外交では先代国王のやり方を受け継ぎ、穏健な体制をとります。これまでの反動もあり、先代以上に穏健な立場となるでしょう。そのために決起したと言ってもいい。これはもちろん我々貴族だけでなく、平和を愛するアンリエッタ王女殿下のご意思でもあります。殿下が王位に就かれれば、必ずやランセル王国は大きく変わります」


「……以前のように、こちらと全面的な友好関係を結ぶつもりだということですかな?」


「左様です。我々はランセル王国の現状を正しく理解しております。領土的野心などもはや無意味であり、困窮する王国社会を立て直し、再び栄えさせることこそが王族と貴族の使命であると。敵意ではなく友好を以て隣国と接することこそが王国の最大利益になると」


 副軍団長が横から尋ねると、バルテレミー男爵はそれに頷く。


「申し入れの内容を『停戦』としているのも、我々が今はあくまでランセル王国内の一勢力でしかないため。アンリエッタ殿下が正式に王位に就かれた暁には、ロードベルク王国と講和を結び、終戦を迎えたいと願っております。これは我々とあなた方、双方の利益になりましょう」


 言いながら、バルテレミー男爵はノエインたちに視線を巡らせる。


「ロードベルク王国が我々との停戦、そして終戦に同意してくだされば、友好的になったランセル王国との貿易が再開されます。人や物の行き来も活発になり、社会はますます活性化し、互いに大きな利益を上げられるでしょう。かつてのように」


 男爵の視線を受けながらノエインは考える。確かに、150万の人口を抱えるランセル王国の社会が貿易の市場として開かれるのは、ロードベルク王国にとって大きなことだ。


 先代ランセル国王までの時代には、実際にそうして盛んに交流が行われ、莫大な利益が生まれていたと聞く。むしろこれまでの両国の関係は、友好的に貿易を行って共栄するのが本来のかたちだった。カドネ治世下のこの十年ほどが異例だ。


 仮にこちらが申し入れを無視して侵攻したとして、敵国内に飛び地のように得た新領土の国境線を守りながら戦い続けても、貿易より利益が上がるとは思えない。


 戦争の果てなき継続と、友好的な交流の復活による貿易活性化。どちらが儲かるかは考えるまでもない。


「そちらの言いたいことは理解した」


 尋ねてくるバルテレミー男爵に、マルツェル伯爵は表情を崩さずにそれだけ答えた。伯爵も相手の言い分は理にかなっていると考えているのだろう。


「だが、我々が勝手に申し入れへの答えを決めることはもちろんできない。これはオスカー・ロードベルク3世国王陛下のご指示を仰がなければならないことだ。おそらくだが、こちらは戦勝国として対応させてもらうことになるだろう。お覚悟願いたい」


 有無を言わせぬ口調でマルツェル伯爵が言うと、やはり額に汗しながらバルテレミー男爵が頷く。


「もちろん、承知しております……こちらを」


 言いながら、バルテレミー男爵は精緻な装飾が施された細長い箱を差し出してきた。中には羊皮紙が使われた書簡が収められ、封蝋がなされている。差し出す男爵の手は少しだけ震えている。


「こちらはアンリエッタ殿下よりロードベルク国王陛下へ宛てられた親書です。私が今ご説明したことと同じような内容が記されております……殿下が齢十三歳と非常にお若いため、文面の多くは文官が代筆しておりますが、ここにあるのは間違いなく殿下のご意向であり、文末のご署名も殿下ご本人のものです。また、封蝋に記された紋章も、ランセル王家のものだとご確認いただけるはずです。お届け願いたい」


「確かに承った。間違いなく陛下へお届けしよう」


 丁寧に差し出された親書を、マルツェル伯爵も礼儀正しい動作で受け取った。


「私から使者としてお伝えすることは以上です。これまで十年近くにわたって敵対関係にあったにも関わらず、こうしてご丁寧に応対いただけましたこと、感謝申し上げます」


「当然のことをしたまでだ。我々はロードベルク王国の誇り高き貴族なのだからな」


 話し合いはひとまず穏便に終わり、ノエインたち三人と相手側の使者であるバルテレミー男爵は握手を交わした。マルツェル伯爵の気迫を浴びながらようやく仕事を終えた男爵は、明らかにほっとした様子だった。


・・・・・


 アンリエッタ・ランセル王女からの親書をアールクヴィスト領から王宮まで届け、その返事の書簡を受け取るには、優れた伝令兵が馬を替えながら全速力で走っても二週間近くかかる。


 そのため、バルテレミー男爵には王家の返事が届き次第ランセル王国へと届けることを伝え、今日のところは帰ってもらう。その見送りを務めるのは、今日はあまりいい場面のなかったノエインだ。


「それではまた。本日は使者として役目を果たせたことはもちろん、個人的な恩人に思わぬ再会を果たせたことも嬉しく思います。またお会いしましょう、アールクヴィスト閣下」


「……バルテレミー卿。差し支えなければ、あなたに個人的な質問をひとつさせていただいても?」


 挨拶を終えて自身の馬の方へ向かおうとしたバルテレミー男爵にノエインが尋ねると、男爵は少し驚いたのか眉を上げつつも頷いた。


「……もちろん。私にお答えできることであれば、何なりとお尋ねください」


「感謝します。それでは……三年前のバレル砦の戦いで、あなたは上級貴族でありながら最前線に立って戦われた。敵ながら勇敢な武人なのだと私は思いました。ですがあなたは今、かつて所属していた軍閥勢力に対抗する一派の使者としてここに立っておられる。どのような心境の変化があったのですか?」


 三年前、一人捕虜になりながらもノエインを罵って見せた男と、目の前のよく口が回る男は、顔は同じだがあまりにも印象が違う。少々不気味だと感じるとともに、この男が何を考えているのか好奇心が湧いた。


「ふむ、使者の身で自分のことをお話ししていいものか迷うところではありますが……」


「これは個人的な会話ですので、他言はしません。三年前もそうでしたが、私は約束は守る人間です。よろしければ、お聞かせ願えませんか?」


 ノエインが言うと、バルテレミー男爵は口の端を上げた。バレル砦の戦いで、情報を吐いた男爵をノエインが約束通り解放したことを思い出してくれたらしい。


「そういうことでしたら……お答えしましょう。それは私が、自分の家名を世に知らしめることを人生最大の目標と定めているからです。バルテレミー男爵家という名を」


「……と、いいますと?」


「我がバルテレミー家は、領地を持たない武門の貴族として建国当初よりランセル王国軍に将兵を送り出してきました。しかし立場としては、あくまでその他大勢の中小貴族家のひとつでした。だからこそ私は思ったのです。自分が功績を挙げることで、我が家名を歴史の一端に残し、大きくなった家名を我が子孫に受け継がせたいと」


 拳を握り、熱く語るバルテレミー男爵。


「なので、三年前の大戦では自ら先頭集団に入りました。己の指揮と武芸で敵の砦に一番乗りを果たせば、私の名とともに家名が広まるかと思いましてな……結果的に、その思惑はアールクヴィスト子爵閣下のおかげで達成できたわけですが。感謝してもしきれませんなあ」


「……ははは、それはどうも」


 バルテレミー男爵の冗談にノエインも乾いた笑いで答える。確かに、あのときバルテレミー男爵は一応バレル砦に一番乗りを果たしているし、それをきっかけにランセル王国内でちょっとした栄誉を得たようだが。


「しかし、まだ足りぬ。名ばかりの武功を一度上げた程度の貴族家など、すぐに社会からは忘れ去られてしまう。それに、カドネ国王はやりすぎました。このままバルテレミー家どころか国そのものが滅びたら本末転倒でしょう。だから私はアンリエッタ殿下にお仕えすることを決め、隣国への使者という大役に志願したのです」


「……よく、元軍閥貴族のあなたが使者に選ばれましたね?」


「元軍閥貴族であっても王女派連合に重用されると分かれば、カドネ国王から離れる貴族はさらに増えますからな。それを示すために私が選ばれたのでしょう。家名のためとあらば確実に真面目に働く私は、連合からもそれなりに使い道があると見られたようです……まあ、今回は初仕事ということもあって、この通り監視付きではありますがな」


 バルテレミー男爵が自身の後ろを視線で示すと、その先には面会にも同席していた文官と武官の姿があった。なるほどあの二人は男爵の補佐だけでなく、王女派連合としての監視の役割もあったらしい。おそらく二人は最初から反カドネ派の貴族なのだろう。


 確かに、ここまで分かりやすい信念で動いている男は、一周回って信用しやすいと言えよう。


「……家名を広め、子孫に名声を遺すこと。それが、卿が人生で求める幸福というわけですか」


「幸福……そうですな。まさしくそういうことでしょう。この幸福を得るためなら私は勇ましき武人にも、外交の場で言葉を操る政治屋にもなれます。こうして長いものに巻かれる様を見苦しく思う者もいるのでしょうが……このような生き方しかできない身ですから、仕方ありません」


 ニヤリと笑ったバルテレミー男爵に、ノエインもフッと笑い返す。


 こうして内心を聞いてしまえば、実に分かりやすい男だ。敵国の使者を好きとまでは言えないが、嫌いではない。己の選んだ幸福のためにひたむきになるのは人間のあるべき姿だ。


「なるほど、理解できました。感謝します」


「それはよかった。ご納得いただけたようで何よりです……ではまた」


「ええ、お帰りの際もどうかお気をつけて」


 およそ十年にわたって対立を続けてきたロードベルク王国とランセル王国の最初の対話は、少なくともその場に立った当事者同士のレベルでは、平和的に終わった。

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