第196話 急発展の日々②

 十月下旬。移民の第二陣をまた感動的な演説で出迎え、彼らの仕事や住処が決まってひと段落した頃。ノエインは領軍の訓練を視察しに訪れていた。


 領軍詰所――今では施設規模を拡大して領軍本部と呼ばれるようになった敷地に入り、以前より広くなった訓練場に足を運ぶ。


 そこでは新たに正規軍人となる見習いの兵士たち、そして予備役となる領民たちへの指導が行われていた。


「いいか! 俺が止めろと言うまで決して槍を振るのを止めるな! この程度で音を上げるような奴が軍人としてアールクヴィスト領を守れると思うなよ!」


 槍の基礎訓練を行っている領軍兵士たちに活を入れているのは従士ダントだ。ベゼルの戦いでは最前線で白兵戦を指揮し、顔に目立つ傷跡を負ったダントは、以前と比べても軍人として迫力を纏っている。


 一方の兵士たちは、ここ数か月以内に入隊した見習い兵士ばかり。個人差はあるものの、槍を構えて振り回す様は全体的にまだまだぎこちない。なかには体力がもたず、槍を落とさずにいるのがやっとという様子の者もいる。


「見習いの兵士たちが使いものになるまでは半年程度かかるでしょうな」


 その様子を眺めていたノエインに、案内を務めてくれているユーリが言った。


「そうか。まあ仕方ない。つい先日まで一般平民だった者たちだからね……彼らの士気は?」


「それに関しては問題ないでしょう。全員、自分もこの地を守れるようになりたいと意気込んでいます」


「それは何よりだね」


 ベゼルの戦いは、領民たちにも大きな衝撃を与えていた。


 自分の土地が、家が、家族が敵国から直接狙われるという危機を受けて、その危機がまだ完全に去ったわけではないと知って、ならば自分も新たな故郷を守るために戦いたいと思った者は多かった。


 ベゼルの戦いの際にクロスボウ志願兵として戦った者はもちろん、領都ノエイナの中にいた者からの入隊希望もあったという。財産や家族が危険にさらされ、隣人や知人が負傷し、あるいは戦死し、そんなときに自分は市壁の中で震えているだけだったことがショックだったようだと、入隊審査を担当したユーリから聞いている。


 正規軍人の領軍は定員200人のうち、元いた者も合わせると100人強が埋まり、主にユーリとダントが新兵の訓練を受け持っている。新兵には土地持ちでありながら入隊した者も多かったので、そうした者の畑には新移民の小作農が優先的に回されていた。


「それで……あっちは予備役か」


「はい。領軍の精鋭の中から、手の空いている者が訓練の指導を担当しています」


 訓練場の端では、30人ほどの男たちがクロスボウを手に隊列を組んでいる。その横で今はペンスが指導にあたっているようだった。


 クロスボウ部隊は三人一組で射撃と装填をローテーションするのが基本戦術で、矢を撃つのはもちろん、迅速な移動と装填も重要になる。予備役はその連携を成り立たせ、練度を維持するのが目標だ。


 こちらは、300人の定員に対して埋まっているのは100人に満たない。領軍も予備役も定員に届かないのは、ノエインが定めた「13歳以上35歳未満で、移住して半年経過している」という審査基準に当てはまる男を全て合わせても、定員の合計500人に届かないためだ。届いたとしても、そもそも対象者の全員が志願するわけでもない。


「予備役に関しては、今後新たに条件を満たした者から随時採用していきます……予備役だけ年齢の上限を上げてもいいのではないかと思いますが、いかがでしょう」


「そうだね。クロスボウ部隊はあまり激しく動き回ることはしないだろうし、35歳以上でもまだまだ体力がある者も多いだろうから……予備役だけ45歳まで枠を広げて、35歳以上には定期的に体力審査を課すのはどうだろう?」


「問題ないかと。その方向で進めます」


「ああ、頼むよ」


 領軍を急に従来の数倍の規模に拡大するので、まだ手探りの部分もある。戦力を揃えるのは現在のアールクヴィスト領の最優先事項であるため、こうして柔軟に対応していく。


「さて、最後は……クレイモアか」


「はい。あちらです」


 ユーリに先導されて、ノエインは訓練場の別の一画――幕で目隠しをされた空間に向かう。ゴーレム使いの訓練方法は一応まだ領外には非公開となっており、人の出入りが増えた領軍本部でも訓練の模様を大っぴらに見せないようにしていた。


 そのクレイモア訓練場に入ると、ちょうどグスタフが見習いのゴーレム使いたちの訓練を指導しているところだった。


 ノエインに気づいたグスタフが敬礼し、ノエインは頷いてそのまま続けるよう促す。


「アールクヴィスト領に行けば傀儡魔法使いでも名を上げられる」という話は王領と王国北西部を中心に広められており、現在は王宮魔導士を辞めてきた者――すなわちグスタフの後輩たちが10人ほど移住してきていた。


 ただし、傀儡魔法使いの王宮魔導士はもともと入れ替わりが激しかったため、すでに退役から二年以上が経ったグスタフたちも知らない顔が多いという。


「こっちはまだまだ時間がかかるね、さすがに」


「グスタフたちも一年ほどかかりましたからな」


 ゴーレム操作の熟達は、ひたすら訓練の時間を重ねるしかない。短縮の方法はない。今後も順調にゴーレム使いの移住者が増えたとしても、クレイモアが定員30人に届くには二年近くかかるだろう。


「心理的な訓練は?」


「そちらも抜かりはありません。しっかりと領への忠誠を叩き込んでいます」


 ゴーレム使いは基本的に、待遇に釣られて移住してきた者たちだ。そんな彼らにノエインとアールクヴィスト領への忠誠を根付かせるため、”心理的な訓練”も施していた。


 具体的には、厳しい訓練で精神力と思考力が弱ったところに「アールクヴィスト閣下への感謝」をしっかり身につけるよう囁き続けるというもの。これを一年も続ければ、全員が従順なノエインの配下に育つことだろう。


 領軍の規模拡大は着実に進んでいる。各部隊の訓練の様子を見届けたノエインは、ほどなくして領軍本部を後にした。


・・・・・


 十月も終わりにさしかかったある日の夜。アールクヴィスト子爵家の屋敷では領主とその家族が夕食を取っていた。


 ノエインと妻のクラーラ、そしてマチルダが、領主一族用の食堂で、料理長ロゼッタの手がけた食事を口にする。その周囲では、家令のキンバリーとその部下のメイドたちが給仕として働く。


「……クラーラ、あんまり食欲がないの?」


 妻の前に置かれた皿を見てノエインが言った。食事の時間もそろそろ後半だが、今日のメインのポークステーキが、クラーラの前に置かれたものだけ半分以上残されている。


「ええ、少し……最近、脂の濃いものがきつく感じるみたいで」


「大丈夫? 体調が悪いなら、一応医師に診てもらった方がいいんじゃない?」


「いえ、そこまでは……そうですね、念のため明日にでもそうします」


「それがいいよ。明日、屋敷にリリスを呼ぼう」


 そんな会話がなされた翌日の午後。今ではすっかり一人前の女性医師となったリリスが屋敷に呼ばれた。


 領主夫人の診察ということで、護衛役のマチルダから武器などを持っていないか形式的な身体検査を受けたリリスは、鑑定の魔道具を用いてクラーラの体に異常がないか診ていく。


「最近、頭痛や倦怠感、目眩などを感じることはないですか?」


「確かに……少し目眩がすることがあります。ただ疲れているだけだと思ったのですが……」


 診察をしながらリリスが質問し、クラーラもそれに答える。


 ほどなくして診察が終わり、クラーラと、彼女に付き添うノエインを前にリリスが言った。


「まず、何かご病気というわけではありません。クラーラ様はいたって健康です」


「それはよかった……けど、それじゃあ体調不良の原因は?」


 ほっとした表情になりながら、ノエインが尋ねる。


 それに対して、リリスは微笑みながら答えた。


「ノエイン様、クラーラ様、おめでとうございます……ご懐妊です」


 リリスの言葉を聞いてその場が一瞬静まりかえる。ノエインはきょとんとした表情で隣のクラーラと、さらに後ろに控えるマチルダとも顔を見合わせた。


 そして、数秒後にはリリスの言った意味を理解してハッとした顔になる。


「……ほ、ほんとに!?」


「ええ、鑑定の魔道具で確認したので間違いありません。今は妊娠一か月半といったところでしょうか」


 ノエインは表情を輝かせてクラーラを見る。クラーラも感極まったように、口元に両手をあてて目を潤ませている。


 20代になり、自身や領地を取り巻く状況が大きく変化したことから、ノエインとクラーラはついに世継ぎを作る決意をした。


 戦後処理がひと段落した夏頃から避妊の魔法薬を使うことを止めて子作りに挑戦していたが、その努力はどうやら実を結んだらしい。


「……妊娠中の過ごし方などの詳しいお話は、また日をあらためてさせていただいた方がいいでしょう。お二人は領主夫妻ですから、今後について家臣の方々とお話することもあると思いますし……何より、今はご家族だけで過ごされたいですよね」


 喜びで胸いっぱいな様子で見つめ合っている領主夫婦を見て、リリスが微苦笑しながら言う。


「……ああ、そうだね。ありがとうリリス」


「いえ、これが私の仕事ですから。それでは、今日はこれで失礼しますね」


 なんとか領主らしい表情を作って礼を言ったノエインに答えると、リリスは室内に控えていたキンバリーの案内を受けて帰っていった。


 クラーラとマチルダと三人きりになったノエインは、すぐに隣のクラーラを抱き寄せる。クラーラもそれに応える。


 二人はそのままたっぷり十秒は抱き合ってから離れ、真っすぐにお互いの顔を見つめ合った。


「……クラーラ」


「……はい」


「ありがとう。本当にありがとう」


 ノエインが彼女に最初に伝えたのは、感謝だった。


 自分の子を妊娠してくれた妻に何と伝えるのが一般的なのか、ノエインは知らない。ただ、咄嗟に口から出たのがこの言葉だった。感謝を伝えずにはいられなかった。


「……私こそ、ありがとうございます。あなたの妻になれて幸せです。あらためてそう思いました」


 そう返しながら、クラーラは少し涙を流した。それにつられてノエインも目を潤ませる。


 そんな二人を、マチルダは微笑みを浮かべてしばし見守る。今は二人きりでいたいだろう、自分も退室すべきだろうと考え、静かに部屋を出ようとして――


「待って、マチルダ」


 ノエインに呼び止められた。クラーラもマチルダの方を振り返る。


「マチルダもこっちにおいで」


「マチルダさん、傍に来て」


「ですが……今は、お二人の夫婦の時間かと」


 優しい笑顔のノエインとクラーラに、マチルダは少し戸惑ったような、申し訳ないような顔で答える。


 ノエインとクラーラは少し顔を見合わせ、慈愛に満ちた表情を浮かべて再びマチルダを見る。クラーラが口を開く。


「私とマチルダさんは、二人で一緒にノエイン様をお支えする同志です。私とノエイン様の子どもは、マチルダさんとノエイン様の愛の結晶でもあると思っています。だから……この喜びは、マチルダさんも一緒に、三人で分かち合いたいんです」


 その言葉を聞いてマチルダは目を見開き、そして顔をほころばせた。


「……分かりました、ありがとうございます。本当に……本当に、おめでとうございます。私も自分のことのように嬉しいです」


 歩み寄ってきたマチルダをノエインとクラーラは抱き寄せ、そのまましばらくの間、三人は喜びに浸っていた。これから生まれてくる新たな命を思いながら。


★★★★★★★


以上までが第八章になります。

引き続き、ノエインたちの人生の物語にお付き合いいただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

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