第176話 質問

「ジェレミー、さっきは有用な情報をありがとう。気分は落ち着いたかな?」


「……はい。先ほどはお見苦しいところをお見せして失礼しました」


 妙に優しい声で話すノエインに少し面食らいながら、ジェレミーは答えた。


 牢屋に戻ってきたノエインの後ろには、マチルダ、ユーリ、ラドレーが控えている。


「気にしないで。君の気持はよく分かるよ。僕にも愛する家族がいるからね……さてジェレミー、さっきの様子を見て分かったけど、君はカドネ国王を強く恨んでいることを自覚したみたいだね。僕が復讐の機会を与えると言ったら、君はどうする?」


「……復讐の、機会ですか?」


「そう。その代わり、君には国を捨ててこちらに寝返ってほしい。侵攻部隊の編成や隊列、野営地や侵攻路の位置を知っている限り教えてほしい。何ならこっちの偵察にも付き合ってほしい。そうすれば、僕がカドネ国王を殺……せるかまでは分からないけど、少なくともカドネの親征を失敗に終わらせて面目を潰してあげるよ」


「なっ、戦われるおつもりなのですか!? こんなっ……失礼ながら、あまり規模が大きくない領だけでカドネ国王の軍と戦うのですか?」


 後半は遠慮がちに言ったジェレミーにノエインは笑った。


「ははは、もちろんそのつもりだよ……ここはアールクヴィスト領だ。僕の領地だ。僕たちの故郷だ。敵国の兵に土足で踏み入らせるつもりは毛頭ない。前線基地にちょうどいい小領だって? 冗談じゃない。舐め腐ってのこのこやってきたことを後悔させてあげるさ」


 ノエインの表情を見て、ジェレミーはその本気を察する。やや狂気的な笑みに慄きながらも、この人なら本当にジェレミーの復讐を果たしてくれるのかもしれないと、カドネ国王の強欲な親征を潰してくれるかもしれないと期待を抱く。


 不敵な笑みを浮かべたまま、ノエインはジェレミーに問いかけた。


「さあ選んで? カドネ国王のためにランセル王国軍人としての誇りを貫くか。それともランセル王国での自分は死んだものとして、僕を新たな主君に選んでここで新しい人生を始めるか。僕はきっといい主君になるよ? 君の忠誠には正しく報いると約束するよ」


「……俺の立場からお前にこんなことを言うのも変かもしれないが、アールクヴィスト閣下は部下にも民にも優しい方だ。閣下のもとで働きを以て忠誠を示すなら、人並み以上の人生を送れると保証する」


 ノエインに続けて、ユーリもそう語る。


「……妻と娘を失った今、私はあの国に未練はありません。あの国王に尽くすこともできません。家族を守れずに自分だけ生き永らえてしまったこの命を使うなら……献身に応えてくださる方にお仕えしたいと思っています。あなたに忠誠を誓います、アールクヴィスト閣下」


 数秒ほど考えるそぶりを見せた後、ジェレミーはノエインの目を真っすぐに見上げて答えた。


「いいだろう。君をアールクヴィスト領に、僕の庇護のもとに迎え入れよう」


 そう言いながらノエインが手で合図すると、ジェレミーの監視役を務めていた兵士が彼を縛っていた鉄製の鎖を解く。


「……とはいえ、まずは君に忠誠を行動で示してもらうのが先だ。ひとまずこのラドレーが今から君の上官かつ監視役になる。まずは彼の指示に従って、敵の野営地や侵攻路の偵察に協力してほしい。彼から見た君の評価がそのまま僕からの評価になると思って、言うことをよく聞いてね」


「てめえが妙なそぶりを見せたら、いつでも叩き切っていいとノエイン様から言われてるからな。言動には気をつけろよ」


「はっ、肝に銘じます。ラドレー様」


 ラドレーが凄んで言うと、ジェレミーは神妙な面持ちで敬礼をした。ランセル王国の建国時にはロードベルク王国の制度が参考にされているため、敬礼のかたちはこちらと同じだ。


「それじゃあ……ジェレミーからはもうちょっと聞きたいことがある。捕虜への尋問じゃなくて、新たな仲間への質問だ。場所もこんな牢屋じゃなくて、ちゃんとした会議室に移ろう」


・・・・・


 領主家屋敷の会議室に、従士全員と領軍の小隊長たち、クレイモア隊長のグスタフ、そして商人ギルド代表のフィリップと魔道具職人ダフネが集められていた。


 いつものように会議室の前方中心にノエインの席が置かれ、その隣には補佐としてマチルダが座り、傍らには進行役のユーリが立つ。さらに部屋の端には、情報提供者としてジェレミーが立たされていた。


「それじゃあ軍議と、いざというときの避難計画の話し合いを始めよう。ジェレミー、緊張しなくていいからね」


「は、はい。ありがとうございます」


 そう言いつつも、ジェレミーはガチガチに緊張していた。従士たちから露骨に警戒するような、あるいは敵か味方か見定めようとするような視線を向けられ、さらにすぐ横ではラドレーが睨みを利かせているのだから無理もない。


「まずは今後だが……今日中にジェレミーに案内をさせて敵の野営地と侵攻路の近くまでラドレーを偵察に出し、監視地点を確保。その後も侵攻の兆候がないか見張りを置き続ける……ということでよろしいでしょうか?」


「うん、ひとまずそれで問題ないよ」


 ユーリが確認し、ノエインが頷く。


「その後だが……我々が攻撃に出るのは三日後から五日後、敵が動き出してからになる。奇襲をかけるなら敵が進軍を開始した後、敵の隊列が森の中で伸びきって無防備になっているときが最善だからだ。そこで叩く。敵軍を襲撃して混乱させつつ、カドネ国王を狙う」


 ユーリの説明するこの方針については、ノエインも了承済み……というよりそもそもノエインの発案だった。


 大将首のカドネだけをピンポイントで殺す作戦を立ててしまうと、それが失敗した時点で全てが終わる。無傷の敵軍に領を蹂躙されてしまう。なので、侵攻部隊そのものにもある程度の損害を与えた上で、カドネを殺すか再起不能の深手を負わせるべきだとノエインは考えていた。


「ジェレミー、お前はカドネ国王の容姿を知っているんだな?」


「はい、カドネ国王は何度か侵攻路開拓の視察に来ていましたし、私が偵察に出る前には野営地入りしていました。あまり近くでは見ていませんが……カドネ国王の鎧は目立ちます。見れば一発で気づけます」


 ユーリが尋ねると、ジェレミーは首肯しながらそう答える。


「……嘘だったらどうなるか分かってんだろうな?」


「も、もちろんです」


 ラドレーに横からぼそりと言われて、ジェレミーは固まった。もしアールクヴィスト領を陥れるようなことをすれば、ジェレミーはノエインの想像力の限りを尽くして残虐に処刑されることになっている。


「侵攻部隊の進軍の際、カドネ国王が隊列のどのあたりにいるか分かるか?」


「私ははっきりとは知らされていませんが……少なくとも前方の500人の中にはいるかと」


「……随分と前に出てくるんだな」


 ぼそりと呟いたのはペンスだ。それにジェレミーがまた答える。


「カドネ国王は戦場では前線に立つ勇敢な王だと、悪く言えば目立ちたがり屋だと評されていますので。この親征でも兵士たちの前に立つことで、自分の存在感を誇示しようとするでしょう。それに……」


「それに、何だ?」


 ユーリが尋ねると、ジェレミーは少しためらうそぶりを見せつつも続けた。


「……ベゼル大森林を抜けて最初にたどり着くアールクヴィスト領は、取るに足らない小領だと言われていました。この領の占領は腕ならしのようなものだと。カドネ国王も前に出てこの領が蹂躙される様を眺めて楽しむから、全員奮闘せよと指示されていました。なのでカドネは確実に隊列前方にいます」


「……ちっ」


 ジェレミーの説明を聞いて、会議室内に嫌な空気が漂う。武家の従士たちは殺気立ち、他の者も不愉快な表情を見せる。リックが露骨に舌打ちをしてジェレミーを睨んだ。


「あははは、皆落ち着いて。別にジェレミーがそう考えてるってわけじゃないんだから……そうだよね?」


「は、はい。もちろんです」


 ノエインが笑いながら尋ねると、ジェレミーは上ずった声で返事をした。


「カドネ国王が前方500人の中にいるなら、その500人と後方を分断させてしまえばいいね。500人程度なら、こっちの戦力でも十分に勝ち目がある」


「分断の方法は……やはり爆炎矢ですかな?」


 森の中に切り開かれた侵攻路は、さほど幅はないという。爆炎矢を一列に撃ち込んで炎の壁を作れば隊列の分断は容易だ。


「だねー。バリスタは今あるのは8台だったよね?」


「他領への出荷用のやつも4台が完成してます! それも使えますよ!」


 鍛冶職人のダミアンが横から発言する。


「いいねえ。非常時だし、遠慮なく使っちゃおう」


「分断した後方の2500人はどうしますか? 爆炎矢で炎の壁を作っても、時間が経てば突破してくるでしょう」


 爆炎矢はある程度広範囲に炎をまき散らし、着弾後もしばらく燃え続けるが、それを横一列に並べて着弾させたところで敵を分断するにも限界がある。侵攻路の左右の森から回りこむかたちで、少数ずつでも合流されてしまうだろう。


「それはね……ちょっと思いついたことがあるんだ。これに関してはダフネにも協力してもらいたいんだけど」


「私ですか? ……お力になれるのであれば何でもします」


 ノエインが話を振ると、ダフネは少し驚いたような表情を見せたあとでそう言って微笑んだ。


「細かい戦略については、この後に領軍関係者で残って話し合う。他の者はいざというとき……アールクヴィスト領を一時的に放棄してケーニッツ子爵領へと避難するときへの備えをしてくれ。まずエドガーとケノーゼとマイ、お前たちは領民に避難準備をするよう伝えろ。フィリップも協力してほしい」


 ユーリの指示に、領民の半数以上を占める農民を統括するエドガーとケノーゼ、婦人会の広い伝達網を握るマイが頷く。また、商人ギルドの責任者であるフィリップも首肯する。


「次にアンナとクリスティ、そしてダミアン、お前たちは資料や機材をまとめろ。必須のものはすぐに運べるよう、そうでないものはいつでも破棄できるようにしておけ。要るものと要らないものの最終的な判断はノエイン様に仰げ」


 文官のアンナやクリスティ、技術者のダミアンが行うのは、もし一度アールクヴィスト領を放棄することになった場合、戦争後に領を再建するための備えだ。


 アンナはアールクヴィスト領の財務記録のうち必要不可欠なものをまとめることになる。クリスティとダミアンは商品作物の実験記録や工房の資料、兵器製造の道具などをまとめ、運びきれないものはランセル王国に情報を渡さないために破棄の準備をする。


「コンラートは引き続きこちらの状況と要請をケーニッツ子爵領に『遠話』で伝えろ。バートは一度レトヴィクに向かってケーニッツ子爵閣下とより詳細な話し合いをしつつ、コンラートとの連絡役にもなれ」


 コンラートの『遠話』は便利だが、細かな話し合いをするには直接顔を合わせる方が都合がよく、ケーニッツ子爵家の人間と何度も顔を合わせているバートはその役目に適任だ。


「とりあえずは以上だ……ノエイン様、何かあれば」


 ユーリに言われたノエインは、立ち上がって室内を見回す。


「……この領では今まで魔物も、盗賊も、僕たちの平穏な生活を脅かすものは全て撃退してきた。それが敵国の軍勢だろうと同じだ。僕たちが勝つ。勝ってこの領を……僕たちの全てを守ろう」


 この世界では、自身の幸福は自身で守らなければならない。守れない者は幸福になる権利を得られない。だからこそノエインたちは戦う。

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