第175話 尋問②

「偵察隊はお前たちだけか?」


「いえ、我々以外にももう一隊いました。その隊は我々よりもっと北の方に進んだはずです」


 それを聞いたユーリは再びノエインの方を向く。ラドレーがジェレミーたちを捕らえたのは領都ノエイナから見て北西の方向だ。そこよりさらに北となると、鉱山村キルデの方向にもう一隊の偵察隊が向かったことになる。


 ノエインが頷くと、ユーリはジェレミーの方に顔を戻した。


「この領都の北には別に村がある。その偵察隊が村に気づいたとして、ランセル王国軍の侵攻が早まる可能性はあるか?」


「……そもそも気づかないと思います。その村までたどり着かないはずです。今回の偵察は野営地からそれほど遠くまで行くことを予定していなかったので。我々もあなた方の兵に見つからなければ、この領都までもたどり着かずに引き返していました」


 ジェレミーの言うことが本当であれば、アールクヴィスト領の規模が想定より大きいことは、未だランセル王国軍に知られていないことになる。


「随分と緩い偵察だね? 敵国に攻め入る前準備なのに」


 そこへノエインが口を挟む。


「……先ほど申し上げた通り、この領地は取るに足らない小領だと見られています。わざわざ念入りに情報収集をせずとも、本隊で一気に圧し潰せばいいというのがこちらの認識です。我々も単に野営地の周辺偵察として出されただけでした。まさかあれほど森の深くまで見回りの兵が出ているとは……」


「……君たちがこっちを舐めててくれて助かったよ」


 ラドレーたちの哨戒範囲の広さも、それほど広範囲の哨戒を日常的に行えるアールクヴィスト領の戦力も、ランセル王国軍にとっては予想外のものだったらしい。


「お前の隊が野営地に戻らなかった場合、何か異常があったとして捜索されるまでどれくらいの時間がある?」


 今度はまたユーリが尋ねる。


「……おそらく捜索されません。見捨てられると思います。ベゼル大森林の中に侵攻路を作る過程で、偵察の兵士が帰ってこないことは頻繁にありました。森の中で魔物に食い殺されたか、遭難して野垂れ死にしたか……それを本隊がいちいち探すことももうありません」


 諦めたような声で答えるジェレミーを見て、次はノエインが口を開いた。


「数人の行方不明者なんて気にもされないわけか……その侵攻路作りで、これまでにどれくらいの損害が出てるの? ベゼル大森林のど真ん中を切り開くなら相当な犠牲が必要だったと思うけど」


「……千人では足りないと思います。数千人は死んだかと」


 ひとつの侵攻ルートを作るための犠牲としては度を越した人数に、ノエインもユーリも絶句する。


「それは……呆れたね」


「最初は罪人や奴隷が労働力として投入されました。それが足りなくなると王家が『森の開拓に参加すれば自作農になれる』と謳って付近の貧しい農民を集め、使い潰しました。侵攻路の情報を森の外に漏らさないために、弱った者もそのまま死ぬまで働かされました」


 ジェレミーは暗い声で、侵攻路作りの過酷すぎる背景を語る。


「森の奥深くを切り開くときには強力な魔物と遭遇することも数えきれないほどありましたから、私のような軍人も、ときには貴重な魔法使いでさえ、必要があれば捨て駒にされました。カドネ陛下の偉大な親征のための尊い犠牲だと言われて……」


 そう言いながらジェレミーは――なんと涙を流し始めた。


「……直接の犠牲だけではありません。カドネ陛下は国内の情勢を省みず南部での戦争とベゼル大森林の侵攻路開拓を続けさせたので、社会は荒れ果てて民にも多くの犠牲が出ました。いえ、今も出ています」


 シクシクと泣きながら話し続けるジェレミー。精神的にかなり危うげな彼の様子に、ノエインもユーリも少し驚いて顔を見合わせる。


「……君がやたら素直に情報を吐くのは、そんなランセル王国やカドネ国王に嫌気がさしてるからかな?」


 ノエインが尋ねると、ジェレミーは顔を上げ、泣き腫らした目でノエインを見た。


「そう……かもしれません。そうですね、考えてみれば、私はもうカドネ陛下に忠誠を誓う理由がありません。家族を失ってまで、なんであんな国王に……」


「家族?」


「……結婚したばかりの妻が故郷にいました。妊娠中でした。私が侵攻路作りに従軍している間に妻は出産して――そのときに出血が多すぎて死にました。生まれた子どももすぐに死にました。娘でした」


 ジェレミーが今度は自分の身の上を話す。彼は最初に「妻と娘に誓って」と言っていたが、どうやらそれは故人のことだったらしい。


「医者がいればどちらも助かっていただろうと、あとで妻の両親から聞きました。そのときは多くの医者が戦場や侵攻路作りの現場に駆り出されていて、私の故郷の町医者もそうでした。カドネ陛下の……あいつの野心がなければ、私の妻も娘も生きていたのにっ!」


 悲痛な叫びを上げるジェレミー。その痛々しい姿を前に重い沈黙が流れる。


「……少し休んでいろ。またあとで話を聞く」


 そう言ってユーリはノエインに目線をやり、牢屋から出た。ノエインもそれに頷き、マチルダを伴って退室する。


・・・・・


「……あれで嘘を言ってるってことはないよね。もしそうなら彼はいい役者になれるよ」


「そんな演技ができる者をわざわざ偵察隊に見立てて送り込んで、こちらを騙す小細工は向こうには不要だろう。本当の話と思っていいだろうな」


 領軍詰所の一室で、ノエインはユーリとそんな言葉を交わす。


「……にしても、早くて三日後に3000人の敵軍が襲来ですか。笑えない話でさあ」


 半ば呆れたような表情でペンスが呟く。この部屋には他にもラドレー、ダント、リック、グスタフが呼ばれていた。領軍の幹部がほぼ全員集まっていることになる。


「今思えば、南西部での紛争や一昨年の戦争は、ベゼル大森林の侵攻路作りからこちらの目を逸らすための陽動だったんだろうな」


「だね。南西部で派手に争ってればこっちの間諜もその情報収集で手一杯になるし、ランセル王国の経済が荒れてても戦争のせいで説明がつく。まさか国が傾くのを覚悟でベゼル大森林の中に道を作ってるなんて思わないよ」


「去年いきなり紛争が収束したのも、ベゼル大森林を抜ける侵攻準備が整って、戦う理由がなくなったからってわけですか」


「この親征が成功すればあっちは一発逆転が叶うからね。そうすれば一昨年の戦争の敗北も帳消しだし、きっと軍閥以外の貴族からのカドネ国王の支持も高まる。博打もいいとこだけど、正直うまい手だよ」


 ノエイン、ユーリ、ペンスが顔を見合わせて考察を巡らせる。


「こっちの兵力は……領軍兵士と領民の男をかき集めて500ってところですかい?」


「未成年や年寄りまで集めてそのくらいだな。まともに戦えるのは300人強といったところか」


 尋ねたラドレーに、苦い顔をしながらユーリが答える。


「十倍の戦力差か……覆して勝てば戦記物語の題材になれるでしょうね」


「そりゃあいい。俺の名前も吟遊詩人に語られるってわけですか」


 ポジティブな言葉とは裏腹に強張った顔でダントとリックが言った。軽口は内心の緊張を和らげるためか。


「私たちクレイモアは一人で数十人分の力があります。戦力差を大きく埋めて見せます」


 そう言い切るのは、今やゴーレム隊の隊長となったグスタフだ。


 ちなみに「クレイモア」とは傀儡魔法使い部隊の通称だ。古い物語に出てくる伝説の大剣の名をいつからかお調子者のアレインが使い出し、他のゴーレム使いたちも気に入り、元ネタを知っていたノエインも一緒に面白がって部隊名に認めたという経緯があった。


「そうだね、クレイモアの全員と僕のゴーレム二体が合わされば兵士300人くらいの力はあるかな……それでも敵との戦力差は五倍だ。正攻法じゃ勝てないね」


 城塞都市としてはまだ半端な出来の領都ノエイナで、農民までかき集めて揃った300人とゴーレムたち。対する敵は王家の親衛隊や王宮魔道士を含む精鋭3000人。仮にひたすら守りに徹したとしても何日耐えられることか。


「……ですが、他領からの援軍が加われば多少ましになるのでは?」


 そう発言したのはダントだ。


「敵の侵攻が最短で三日後となると、間に合うのはせいぜいケーニッツ子爵領軍とその寄り子の手勢くらいだろうな。まともな装備を整えて来られるのはどんなに多くても200ってところか」


「長くて五日の場合はもっと多くの北西部貴族が集結できるんじゃないですか? それに、ケーニッツ子爵が領民も徴集して軍を編成してくだされば……」


 答えたユーリに対して、続けてリックが意見を言う。


「確かに敵の集結に五日かかれば、もしかするとベヒトルスハイム侯爵領軍あたりも間に合うかもしれんが……ケーニッツ領の徴集兵は五日あっても間に合わんな。そもそも、敵がもたつくことに賭けて防衛の作戦を練るわけにはいかんだろう」


「それに、アルノルド様も領民まで徴集するならわざわざこっちに送らずに、レトヴィクで迎え撃つ準備をするだろうね。状況が状況だし、アールクヴィスト領は北西部全体のために切り捨てられるよ。幸か不幸か、アルノルド様の娘であるクラーラは政務で領外に出てるし」


 ユーリとノエインにあっさり提案を覆され、ダントとリックは黙り込んだ。


「僕たちが家も土地も捨てて、今すぐ全員でケーニッツ領まで逃げれば、アルノルド様は難民として受け入れてくださるだろうけど……そうしたい?」


 ノエインが少し挑発するように聞くと、


「そんなの御免でさあ」


「へっ、冗談じゃねえや」


「抵抗もせずに逃げるなんて……」


「新しい故郷を捨てるなんてできません」


「ここが俺たちの居場所ですから」


 ペンス、ラドレー、ダント、リック、グスタフが迷いなく一斉に答えた。


「よく言ってくれたね。それでこそ僕の部下だ」


 彼らの反応を見て、ノエインは満足げに頷く。


「……俺も同じ気持ちだし、他の従士も領民たちも皆そう言うだろう。だが、意地だけで勝てる戦でもない。勝算のある戦術が必要だ」


 そう言ったのはユーリだ。あえて現実的なことを言って感情的な盛り上がりに水を差すのも従士長の役目である。


「そうだね……逆に考えよう。敵に気づかれずに奇襲するために、少なくともあと二日は準備できると思えばどうかな?」


「こっちから打って出る気か?」


 ノエインの意図を察したユーリが眉を上げて聞き返す。他の者も驚いた表情を浮かべる。


「敵は侵攻がばれてると知らないし、こっちを舐めきってる。その油断をついて逆に奇襲することは簡単だし、その方が勝ち目のない防衛戦をするよりいいと思うよ。あっちにはカドネ国王っていう分かりやすい大将首もある。それに……僕たちには協力的な情報提供者もいるじゃない」


 不敵な笑みを浮かべてノエインが言った。

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