第171話 記念祭②

 ロードベルク王国で広く知られている競技に、レ・ギムリというものがある。


 そのルールは「二名が立った状態から戦い始め、相手の背中か胸、もしくは顔を地面に付けさせたら勝利」というシンプルなものだ。武器は使えないが、相手を殺したり重傷を負わせたりしなければ戦い方は問われない。


 もともとはドワーフの間で親しまれていた競技で、子どもの遊びとして、大人の賭け事の対象として、軍人の訓練の一環として、今では王国のさまざまな場面で行われている。


 そして、祭りの余興としても定番となっている。


「それではこれより、アールクヴィスト領開拓記念祭、レ・ギムリ大会を執り行う!」


 広場でそう宣言したのは、進行役を務める一人の領軍兵士だ。戦闘職の従士は揃ってレ・ギムリ大会の出場者側に回っているので、手の空いていた兵士が交代で司会をすることになっていた。


 兵士の宣言を受けて、広場に集まっていた領民たちが沸き立つ。時刻は午後二時を過ぎて祭りも後半戦に突入していることもあり、酒が入って気分が高揚している者ばかりだった。


 出場者は総勢64人で、戦闘職の従士以外では領軍、平民、奴隷とそれぞれの立場に枠が割り振られ、話し合いや予選などを通して誰が出場するか決められている。トーナメント方式で大会を進め、優勝者には領主ノエインから金一封が贈られる予定だ。


 出場する誰もが気合十分で、特に領軍兵士たちは異様なまでに目をぎらつかせている。もし上位入賞できれば軍内での出世が見込めるのはもちろん、領主の覚えがめでたくなって従士に登用されるのではないかという期待もあるためだ。


「さあ、賭けに参加する奴は誰を狙うかとっとと決めろよー、一番人気は従士長ユーリ様、次がラドレー様だ。大穴だとケノーゼ様なんかも狙いどころだぞー」


 そう言いながら観客たちの間を歩き、堂々と金を集めて回っているのは若い領軍兵士だ。


 禁止したところでどうせ賭けに興じる者が出るだろうからと、ノエインは領主自ら優勝者を予想する賭博を主催していた。


 こうしておけば個人賭博の勝った負けたで喧嘩沙汰が起きることを防げる上に、胴元として確実に儲かるので領の予算を少しばかり増やすこともできる。


 そのノエインは、午前中に演説を行った壇上の特等席でマチルダとクラーラとともに大会を見物している。


「いくらケノーゼが大穴だからって、本当に彼に賭けるのはさすがに無謀だよ……普通にユーリが優勝するんじゃないかなあ」


 そう呟いている通り、ノエインは個人的にユーリに100レブロほど賭けている。


「私もそう思います。他に優勝の可能性があるのはラドレー様くらいではないでしょうか」


「やっぱりそのお二人がずば抜けて強いんですね……私が賭けたペンスさんは厳しいんでしょうか」


 マチルダもノエインに頷き、一方でなんとなくペンスに賭けてみたクラーラは首を小さくかしげながら返した。


「そうだねえ。ペンスも普通に強いけど、彼はその他の色んな実務能力を鑑みての従士副長だから……単純な戦闘力じゃラドレーが数枚上手だと思うよ」


 そんな話をしているうちに、いよいよ試合が始まる。三回戦までは広場の四か所で同時に試合が進む予定だ。


・・・・・


 第一戦の組み合わせのひとつが、従士バートと、鉱山技師のヴィクターだった。


「ヴィクターさん! 商人ギルドの意地を見せてやれ!」


 酒が入って完全に出来上がった大工のドミトリと、その横で苦笑する御用商人フィリップに応援されるヴィクター。そのヴィクターを前に、バートは首や肩、手首を回して戦いに備えていた。


「バートさん頑張ってー! アマンダも見てるからー!」


 バートの後ろから声を張ったのは妻のミシェルだ。腕には昨年生まれた娘アマンダを抱いている。


 容姿端麗で愛想もいいバートは女性領民からの人気が高いので、ミシェルの周りでは若い娘たちが何人も黄色い声援を上げていた。


「皆ありがとう! ミシェル、アマンダ、愛してるよ!」


 応援してくれる女性たちに手を振り、愛する妻と娘には投げキッスまで送るサービスを見せながら、バートは内心で気合を入れる。


 最近はもっぱら外交官のような立場になっているバートだが、かつては傭兵として戦いの中に身を置いていたのだ。今だって十分に戦えるところを示したい。何より、男として妻にいいところを見せたい。


 審判役の兵士を間に、バートはヴィクターと対峙する。


「よろしくお願いします、ヴィクターさん」


「ええ、お手柔らかにお願いします」


 二人は軽く挨拶を交わして激突し――結論から言うと、バートは負けた。


 三十秒ほどは持ちこたえた。善戦したと言っていい。細身の体格を活かして軽快に動き、ヴィクターと距離を取りつつ隙を狙い……突如、ずんぐりとした体型からは想像もできない鋭い踏み込みで肉薄してきたヴィクターに腰を掴まれ、気がついたら仰向けで倒れていた。


「……あーあ」


 空を仰ぎながらバートはため息を吐く。


「おいおい一回戦負けかよ!」


「ぎゃははは! 情けねえぞバートぉー!」


「うるっさいなあ……どうせ俺はあんたらと比べたら弱いですよ!」


 飛ばされた野次はペンスと、酒が入って上機嫌なラドレーのものだ。特にラドレーの遠慮なしの物言いに、バートも仰向けに転がったまま言い返す。


「大丈夫ですかな?」


「ああ、どうも……お強いんですね」


 手を差し伸べてくれたヴィクターに礼を言いつつ立ち上がる。


「これでもドワーフですからな。子どもの頃はレ・ギムリに明け暮れたものです。それに、鉱山も場所によっては魔物が出ますからな。鉱山技師として一人前になる前は、雑用として魔物狩りも行っていました……この二十年ほどは自分が直接戦うことはありませんでしたが、一度覚えた戦い方はなかなか忘れません」


 相変わらず見た目に似合わない丁寧な口調で語るヴィクターの説明に、バートも納得する。


 エルフほどではないがドワーフも長命な種族で、ヴィクターも齢八十を超えていると聞く。今の話から考えても、彼はおよそ五十年も戦いの経験を積んでいたのだ。彼から見ればバートなど子ども同然だろう。


「なるほど……それじゃあ俺が勝てないはずです」


 バートは平均以上に戦える自負はあるが、特別に凄腕というわけではない。


「いえいえ、バートさんもとても強かったですよ。戦いの勘を取り戻せなければきっと私が負けていました」


「ははは……それならよかったです」


 本心か慰めかそう言ってくれるヴィクターに苦笑いで応えて、バートは少し気落ちしながら妻と娘のもとへと戻った。


・・・・・


「頑張れボレアスさん! 俺たち獣人の力を見せてやってくれ!」


「俺はあんたに賭けてんだ! 頼むぜ!」


 獣人の領民たちからそんな声援を投げかけられても、ボレアスの表情は冴えない。


「はあ……なんで俺が代表なんだ。喧嘩は苦手だってのに」


 獅子人という種族に恥じない大柄な体格と強面を持つボレアスだが、性格は至って穏やかなものだ。一昨年の戦争も生きるために仕方なく参加したのであって、本来は戦いは好まない。


 いつの間にか獣人代表、ついでに農民代表のポジションでこの大会に押し込まれているが、競技とはいえ誰かと殴り合うなど勘弁してほしいというのが本音である。


「まあいいじゃないか。これも獣人たちの顔役の仕事だ。うまく大会の盛り上げに貢献すれば、また普人と獣人の友好も深まるぞ」


 こんなときでも真面目なことを言うのは、領内の農業を統括する従士エドガーだ。獣人農民の顔役であるボレアスにとっては、最も日常的に接する上司でもある。


「そうですよ。ボレアスさんは性格はともかく力は強いんですから、上手くいけば優勝は無理でもけっこういいところまでいけるんじゃないですか?」


 エドガーの隣でそう続けたのは、自身は一回戦で早々に敗退し、大穴狙いの賭博参加者たちの夢を断ち切ってしまったケノーゼである。


「ケノーゼ、おめえ自分の出番が終わったからって気楽に言いやがって……エドガーさんなんてそもそも出場してねえじゃねえですか。従士なのに」


「私が出たって仕方ないだろう? もとは村長家の生まれだから多少は戦いの訓練を受けたが……本職の軍人たちに敵うはずもない。それに従士はどうしても一般平民と線を引かれるからな。私よりも君が奮闘する方が、農民たちも喜ぶはずだ」


「……そうですか」


 諦めたように息を吐いて、ボレアスは自身の対戦相手――従士リックと対峙する。


「あんたは確か……獣人たちの顔役だよな。一昨年の戦争でノエイン様にも仕えたっていう」


「はい、そうです。そう言うあなたは領軍所属の従士さんですよね。弓やクロスボウの名手だとか」


 リックが射撃に秀でた軍人であることは、従士であるケノーゼからボレアスも聞いていた。飛び道具が得物なら近接戦は苦手かもしれないと、自分でも勝てるかもしれないと考える。


「ああそうだ。まあ、よろしくな」


「よろしくお願いしやす」


 挨拶を交わして表情を引き締める二人。ボレアスもここまで来たらやれるだけやるしかないと覚悟を決める。


 試合開始の合図とともにボレアスはリックに突進し――その勢いをあっさりと受け流されて、背負い投げの要領で宙に投げられた。


「うわあああ全然勝てねえええっ!」


 見た目に似合わない情けない悲鳴とともに舞うボレアス。


「うおおおおっ!」


「すげえっ! 獅子人を投げ飛ばしたぞ!」


 その様を見た観戦客たちが熱狂する。リックも普人の中では大柄な方だが、それよりさらに一回り大きい獅子人のボレアスをぶん投げて見せたのだから無理もない。


「……ふうっ。これでも領軍の士官だからな。得物はクロスボウやバリスタだが、白兵戦の技術だって人並み以上に身に付けてるさ」


 背中から地面に落ちてそのまま寝転んでいるボレアスに対して、勝利をことさらに誇るわけでもなく軽い口調で話すリック。体格差があるとはいえ農民に負けるつもりは微塵もなかったらしい。


「……やっぱ似合わねえことするもんじゃねえや」


 大会を盛り上げるという意味では自身の役目を果たしたボレアスだったが、獣人農民たちの希望の星にはなれずに無念の敗退を遂げたのだった。

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