幕間 ショートエピソード3編

 春には大きな戦争を終え、また晩夏には王都での式典やら晩餐会やらの煩わしい用事を終え、ヴィオウルフ・ロズブロークはようやく自身の領地での平穏な日々を取り戻した。


 しかし、ランセル王国は性懲りもなく国境地帯での紛争を続けているらしく、いずれまた自分にも紛争地帯での小競り合いに参戦するよう求めが来るだろう。


 この平穏も、きっと一時だけのものだ。だからこそ一日一日を噛みしめねばなるまい。


 そう思いながら、ヴィオウルフはロズブローク家が所有する広い農地を土魔法で耕していた。


「若様、今日もこんな朝早くから畑仕事ですかい?」


「馬鹿、もう若様じゃなくて領主様だべ。何度言ったら分かるんだ」


「ああそうだった、すいやせん領主様」


 農道を通りがかった領民たちが、そうヴィオウルフに声をかける。


「いいさ、気にするな。お前たちも今から自分の畑に行くのか? 魔物や獣には気をつけろ」


 あまり礼儀正しいとは言えない、しかし悪気はない領民たちの言葉遣いを咎めるでもなく、ヴィオウルフは優しい声色でそう言って彼らを見送った。


 父が戦死して、二十代前半という若さで領地を継いでからそろそろ一年。ヴィオウルフの生活も、自身を取り巻く環境も、大きく変化していた。


 領主としての細かな事務仕事が増えたことはもちろん、「戦い」という逃れられない義務を負うようになった。


 ヴィオウルフはそもそも争いが嫌いだった。死んだ父にも呆れられるほどに平和を、平穏を愛していた。


 好きなのは開墾や農作業。神から授かった土魔法の多大な才も、そうした仕事に活かせるものだと喜んでいた。ヴィオウルフ一人いれば百人の農民に勝る働きができるからと、領主の息子でありながら畑仕事ばかりに耽っていても許された。


 しかし今となってはそうはいかない。ランセル王国という現実の脅威が王国南西部のすぐ隣にあり、おまけに奇しくも先の戦争で大きな武功を挙げて目立ってしまった以上、これからもヴィオウルフが戦いに呼ばれるのは必然だった。


 もちろん、この平穏な田舎領地とそこで暮らす民を守るためには、ときに戦わなければならないと理解はしている。


 紛争の影響で王国南西部は荒れ果てて久しい。僻地のこの村では、ヴィオウルフの土魔法もあって今のところ飢えるような心配はないが、このままいけばいずれはここにも混乱が波及する。


 そうならないために自分の力が役立つというのなら、戦うこともやむなしと分かってはいる。


 だが、せめて今は平穏を楽しみたい。そう思いながら、ヴィオウルフは牧歌的な農村の風景の中で土を耕す。


・・・・・


「おはよう、ディートリンデ」


「……」


 マクシミリアンが声をかけると、ディートリンデはそれに答えず、それどころかマクシミリアンの方をろくに見もせずに廊下を去っていく。彼女の傍付きのメイドが、当主であるマクシミリアンに一礼して慌てた様子でディートリンデの後を追っていった。


「……はあ」


「旦那様、お食事の用意ができております」


「ああ」


 妻に無視された主の間抜けな様など何も見ていないかのような口調で、メイド長を務める老メイドがそう声をかけてくる。マクシミリアンはその気遣いに内心で感謝しつつ、短く答えた。


 伯爵家一族用、と言っても今は親子三人しか使う者のいない食堂に入ると、そこに用意されている朝食は二人分。マクシミリアンと、もう一つはジュリアンの分だろう。


「ディートリンデは今日も?」


「はい、お部屋でお召し上がりになるとのことです」


「……そうか」


 分かりきったことを尋ねても、老メイドは人形のような無感情な声で答えてくれる。


 王都での晩餐会を終え、領地に帰って来て一週間。ディートリンデはまだマクシミリアンを許してくれない。寝室まで別にされている。


 彼女もさすがに王家に逆らってまで無茶な復讐に走ろうとはしないが、その分こうしてマクシミリアンに逆恨みがぶつけられるのだ。


 しかし、だからといって自分にどうしろというのか。


 王家から直接、アールクヴィスト家にちょっかいを出すなと釘をさされたのだ。それもマクシミリアンがノエインから小馬鹿にされ、復讐を決意する前に手は回されていた。こんなもの防ぎようがない。


 ノエインが王家に頼るなど、頼れるほどの伝手があるなど、どうやって予想できようか。これは自分の落ち度というわけではない。それがなぜ分からん。


「はあ」


 ため息をつきながらマクシミリアンは席につく。


 しかし、内心でどんなに不満があっても、マクシミリアンはディートリンデに逆らえない。


 若かりし頃、未婚でありながら妾と庶子を抱える羽目になって、かねてより婚約を交わしていたディートリンデの実家からは婚約を解消すると激怒された。これは当家への侮辱だと。


 しかし、ディートリンデは「それでも一度決めた相手なのだから結婚する」と言い張って、実家から追い出されるようにして嫁いできてくれた。


 頑固な性格故か、キヴィレフト伯爵家の財産に魅力を感じたのか、彼女の真意は分からない。だが、とにかくディートリンデはマクシミリアンの妻となり、嫡男を生んでくれたのだ。


 そんな彼女は、とにかくノエインのことを嫌っていた。あの忌々しい庶子に手を出せなくなったと聞いて怒らないはずがない。時間が彼女の苛立ちを薄れさせてくれるまで、マクシミリアンはおとなしくしておくしかない。


「おはようございます、父上!」


 暗い思考をぶった切るように挨拶をしてきたのはジュリアンだ。


「どうなされたのですか? あまり元気がないようですが」


 そう言うジュリアンは極めて元気そうに、はつらつとした声を出す。


「……ディートリンデのいないこの朝食の席を見れば分るだろうが」


「なるほど……今回の母上のお怒りは長引いていますねえ。私からも父上をお許しいただけるよう母上にお願いしてみます!」


 呑気なものだ、とマクシミリアンはため息をつく。


 この愚かな息子は、王都での晩餐会の翌日にはケロッとした顔で「父上、母上、おはようございます!」とのたまってきた。まるで前日の屈辱など忘れてしまったかのように。


 自分の息子が馬鹿だとはマクシミリアンも分かっているつもりだったが、このときばかりは息子の脳みそは鶏と同程度の大きさしかないのではないかと驚愕したものだ。


 それ以降も、ノエインの話題を出すと「許せません! 卑しい平民の血を引く庶子め!」と怒り出すが、しばらく経つと自分が怒っていたことも忘れたような様子だ。


 息子のこれはもはや、嫌な記憶を引きずらずに済む才能と見るべきかもしれないと最近思い始めているマクシミリアンである。


「……ジュリアン、いいから静かに食べなさい」


 大事な息子ではあるが、今話すのは疲れる。この後は仕事が控えているのだから朝から疲れを溜めるわけにはいかない。


 自分が真面目な領主であるとは思わないが、有力貴族としての地位を維持するためには最低限の仕事はしなければならないのだ。


「もうよろしいのですか?」


「ああ」


 尋ねる老メイドに答え、マクシミリアンは朝食にあまり手をつけずに席を立つ。「お仕事頑張ってください、父上!」と口をモグモグさせながら言ってくるジュリアンに軽く手を挙げて応えると、食堂を出た。


「……ふう」


 執務室へ繋がる廊下を歩きながら、ふと外を見る。伯爵家の屋敷の窓には贅沢にも全て板ガラスがはめ込まれている。よく晴れた爽やかな朝の空が見える。


 最近は無意識にため息ばかりが漏れる。


 我が子と敵対して負けた親とは、これほど惨めなものなのか。


 清々しい空と、ガラスに反射する自身の覇気のない顔を見ながら、マクシミリアンは内心で嘆いた。


 無論、この暗い気持ちも日を重ねれば薄れていくだろうし、ディートリンデもいずれはまた口を聞いて、一緒に食事をとって、同じ寝室で寝てくれるだろう。


 だが、王都から帰ってまだ一週間。心に、そして夫婦の間に入ったひびが埋まるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。


・・・・・


「おお、セシリアじゃないか」


「あら、グスタフさん」


 領都ノエイナの市街地でばったり出くわした二人は、お互いを見てそう言った。


 ノエインから課された訓練をそれぞれひとつ乗り越えたグスタフとセシリアは、アールクヴィスト領に移住して初めての休暇を与えられ、こうして市街地にくり出していたのだ。


 グスタフは妻を連れ、対するセシリアは、いい薬を買えるようになったことで随分と体力が回復した母を伴っている。


 同僚の家族として顔見知りである相手の連れにも、グスタフとセシリアはそれぞれ軽く頭を下げて挨拶した。


「やっぱりグスタフさんも出かけてるんですね」


「そりゃあ、せっかくの休みだからな。この領に来たときからゆっくり街を見て回りたいとは思ってたし」


 移住して新生活の準備を整えるとすぐに訓練を始め、以降は朝早くから夜遅くまでゴーレムを動かし続けていたグスタフたちだ。これまではノエイナの中を落ち着いて歩く時間もなかった。


「ここ、思ってたよりもちゃんと街ですよね」


「ああ。中心部には商店や露店もけっこうあるし」


 王国北西の最果てと聞いたときはどんな辺鄙なところかと思ったが、いざ来てみると領都ノエイナは小さいながらも立派な文明都市であった。


 もちろん王都とは比較にならないが、領主家の御用商人が営むというスキナー商会の小売店には日用品から嗜好品までさまざまな品が並んでいるし、他にも専門店が数店舗、さらに酒場を兼ねた料理屋もいくつかある。中央広場では行商人が露店を開いたりもしており、休日にちょっと出歩いて退屈しない程度には遊べる。


 人口がまた1000人そこそこであることを考えると店が充実し過ぎているようにも思えるが、ここは他領から流れてくる難民を受け入れることで加速度的に人口が増加しているらしく、今後の発展を見込んだ挑戦的な商人たちが進出している……というのは、領軍隊長であり従士長のユーリから聞いた話だ。


「公衆浴場まで作られてるのが凄いですよね。ここよりもっと大きな都市でもないことが多いのに」


「ああ、あれは最初は驚いたよ」


 領都の外れの川辺には、領主直営の公衆浴場がある。それも男女別に二棟が、グスタフたちでも訓練後に入りにいけるほどの時間まで格安で営業している。おかげでここの領民たちは平民はおろか、奴隷でさえも小綺麗だった。


「来る前は不安もあったけど、住み心地はいいし、傀儡魔法使いとしても大きく成長できそうだし、ここに来てよかったな」


「ええ、本当に……ただ本音を言えば、もっと定期的にお休みをいただけるくらいの立場になりたいですね.」


「ははは、そのためにも休み明けからまた頑張って、早く魔法使いとして戦力にならなきゃな」


「うふふ、そうですね……それじゃあまた」


「ああ、また訓練でな」


 夫婦水入らず、親子水入らずのところをあまり長く邪魔するのもよくないだろう。そう考えた二人は、立ち話を切り上げて別れた。

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