第143話 年の瀬②

「……それにしても、ランセル王国はよく崩壊しませんね?」


 そう発言したノエインに、他の三人の視線が集まる。


「ロードベルク王国の南西部の力を削るために何年も紛争を続けて、その上で大規模な戦争を挑んで、でも結局は敗北して……それなのにまだ紛争を続けるなんて。社会の負担は相当のものであるはずなのに、あちらのカドネ国王から貴族や民の心がよく離れないものだと思いまして」


「なるほど……確かに卿の疑問も尤もだな」


 ベヒトルスハイム侯爵がそう答えて、ため息を吐いた。


「だがそれも、ランセル王国の成り立ちから考えれば理解できるだろう。あの国が建てられたのは60年ほど前で、それまでは小国が乱立し、そのさらに前は蛮族がひしめく地と言われていたのは知ってるな?」


「ええ、存じています」


「ほんの数十年前まで、血で血を洗うような争いをしていた者どもだ。国の統一前のことを知る年寄りもまだ生きているし、そういう前世代から戦いの話を聞かされて育った子世代が現役で社会の中枢を担っているのがあの国だ」


 そこまで聞いて、ノエインもなんとなくランセル王国の事情を察したような顔になる。


「あちらの貴族や軍人には、戦いの日々を懐かしんだり憧れたりする者も多いのだろう。初代と二代目の国王が対外戦争をしないのを弱腰でつまらないと思っていた軍閥貴族も相当数いたそうだからな」


「……そうした層の支持をうまく取り付けて、カドネ国王は暴走している、と」


「そうだな、まさに暴走だ。それもいつまで続くかは分からんがな……野心を餌に軍閥をまとめているうちはともかく、これ以上失敗を重ねて国を傾けたらどうするつもりなのか。陛下など、カドネ国王を『ランセル王国のクソガキ』とお呼びでいらっしゃる」


 それを聞いてノエインも、アルノルドも、シュヴァロフ伯爵も苦笑した。一応は隣国の王をクソガキ呼ばわりとは随分な話だが、そのクソガキに悩まされる身としては痛快ではある。


「暴走に付き合わされる民はたまったものではないでしょうね」


「ああ、まったくだ……そう遠くないうちに、国として破綻するかもしれないな」


 ノエインの呟きに、ベヒトルスハイム侯爵は肩をすくめた。


「あちらの国力では、あれほどの軍備は早晩維持できなくなるでしょうからなあ」


「そうしてそのまま国内で自滅してくれれば、こちらとしては楽なのですがね」


 王歴214年の年末の派閥晩餐会は、ランセル王国との戦争で勝利したことを喜ぶ集いのはずであった。


 しかし実際は、こうして各貴族とも国内情勢を憂いたり、その原因であるランセル王国への恨みを吐き出したりする場となった。


・・・・・


 例年と比べてやや暗く、やや愚痴っぽい空気になった晩餐会がお開きになり、貴族たちはそれぞれの馬車で宿に引き上げることになる。


「ノエイン、本当に明日には帰路に就くのか?」


 アールクヴィスト家の馬車に乗りこもうとしたノエインに、アルノルドがそう声をかけた。


 年の瀬ということもあり、気温は極めて低い。暖房の魔道具が機能して暖かい空気を吐き出す馬車と、息を白く染める屋外の狭間で、ノエインは義父の方を振り返って答えた。


「そうですね、明日の朝には発つつもりです」


「やけに慌ただしく帰るじゃないか。何かあるのか?」


 問われたノエインは、やや言いづらそうに目を泳がせる。


「それは……笑わないでくださいね?」


「笑わないから早く言わないか」


「……早く家に帰ってのんびりしたいです」


「ぶふっ」


「ああ笑った」


 あまりにも個人的で何てことのない理由を聞いて、アルノルドは笑わないと約束した舌の根も乾かないうちに吹く。


 その貴族らしからぬやり取りが聞こえてしまい、馬車の前方では護衛のペンスが小さく肩を竦め、御者のヘンリクが苦笑した。その場にいて笑わなかったのはノエインの隣に付き従うマチルダだけだ。


「だって今年は戦争に行って、王都に行って、こうして年の瀬はベヒトリアまで来て……もう領外は十分ですよ。あとは家でゆっくり過ごしたいと思っても罰は当たらないでしょう?」


「……ああ、そうだな。君はそういう男だった」


 ぶうたれた顔で言ってのけるノエインに、アルノルドはまだ少し苦笑しながら返す。自分の義理の息子が領地に籠りたがる性格なのは彼ももう知っていた。


「ではアールクヴィスト準男爵、また来年な。帰りを急ぐあまり無茶をせんようにな」


「そこまで子どもじゃないですし、優秀な護衛や御者もいるので大丈夫ですよ。よいお年を」


・・・・・


「……えらくお早いお帰りで、閣下」


 予想よりも二日ほど早くアールクヴィスト領に帰ってきた領主を見て、出迎えの場でユーリは思わず尋ねた。


「だってほら、早く帰って落ち着ける我が家で愛する妻とゆっくり年末を過ごしたかったし? ねえクラーラ?」


「まあ、うふふ」


 おどけたようなノエインの言葉を聞いてクラーラはまんざらでもない顔になるが、一方のユーリは呆れから小さなため息をつく。


「……それで、晩餐会はどうだった?」


 楽しかったか、という意味ではない。


 晩餐会のような貴族の集まりは、貴重な情報交換の場でもある。他地域の情勢についてノエインが新たに知ったことは、側近であるユーリも共有しなければならない。


「色々あったよぉ、ランセル王国との紛争は前よりマシだけどまだ続いてるとか、南西部と北西部の境界あたりでも貴族の小競り合いが起こり始めたとか……まあでも、とりあえず、」


「とりあえず?」


「移動で疲れた。から、今日は休んで明日にでもゆっくり話そう」


「……それもそうだな。悪かった。じゃあ明日にでも」


「うん、出迎えありがとうね。お疲れさま」


 どうせもう冬明けまで世間が大きく動くこともないのだから、報告があるにせよ無理に急いで話し合いをする必要もない。


 まだ仕事があるのか領軍詰所の方へと去っていくユーリに、ノエインはひらひらと手を振った。


 他の従士や屋敷のメイドたちもそれぞれの仕事に戻っていき、自分たちもそろそろ屋敷に入ろうかというとき、


「……あ、雪」


 ノエインは空を見上げた。


 寒さをいっそう引き立たせる灰色の空から、ちらほらと雪が舞い落ちてくる。


「あっぶなー、あと何日かずれてたら雪で足止めを食らってたかもね。急いで帰って正解だったよ」


「あなた、屋敷へ入りましょう。雪に濡れたら体が冷えてしまいますわ」


 自分のことよりもノエインが冷えることを心配しながらそう言うクラーラに手を引かれ、反対の腕はマチルダに寄り添われ、ノエインは屋敷の扉をくぐった。


 ちなみに、馬車と馬はペンスやヘンリクたちが既に片づけてくれているし、荷物はメイドたちが既に運んでくれている。


・・・・・


 屋敷の居間でソファに体を預け、ふうっと息を吐くノエイン。


 目の前のテーブルにはいつものようにマチルダが淹れてくれたお茶の入ったカップが置かれ、右隣にはマチルダが静かに、そして左隣にはクラーラが微笑みながら寄り添う。三人がけの幅の広いソファだからこそできるくつろぎ方だ。


 暖炉のおかげで暖かく、静かで居心地のいい室内。愛する二人に囲まれながらノエインは窓の外を見た。


 いつでも外の風景を見られるようにと、この居間や領主執務室など一部の部屋の窓には、高価な板ガラスがはめ込まれている。


「……本格的に降ってきたね」


「はい、明日には積もっているかもしれません」


「雪景色の中で過ごす年末も素敵ですわ」


 窓ガラスの向こうでは、しんしんと降り注ぐ雪が白く繊細な夕暮れの景色を作り出していた。


 カップを手に取り、お茶を一口啜ってほっと息をつく。


 長く忙しい一年だった、とノエインは思った。


 自身にとって初めての本格的な対外戦争。辛く過酷だったあの戦いはもう随分と昔のことのように感じられるが、あれからまだ一年と経っていないのだ。


 そして、移動も含めたら一か月以上にも及ぶ王都への旅。陞爵と大規模な晩餐会。憎き父親との再会。刺激的ではあったが、こういうときに思い出してしまうとかえって疲れる。


 最後の派閥の晩餐会も、決して愉快な集まりとはならなかった。王国内が未だ荒れている以上、話題がどうしても暗いものばかりになるのは致し方ないが。


 これら出来事の中で新たな出会いもあったし、それがきっかけで移住してきた民もいるのは喜ばしいことだが、こんなに波乱万丈な日々を毎年送りたいかと聞かれたらそれは否だろう。


 できれば来年は、なるべくアールクヴィスト領の中で愛する女性たちや部下たち、領民たちに囲まれて穏やかに過ごしたい。そう思うノエインだった。



★★★★★★★


以上までが第六章になります。ここまでお読みいただきありがとうございます。

ノエインたちの物語はまだまだ続きます。引き続き本作をよろしくお願いいたします。



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大幅加筆によってWeb版から更に内容の深まった本作、お手元に迎えていただけますと作者として何よりの喜びです。何卒よろしくお願いいたします。

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