第130話 挨拶回り②

 全ての貴族の会場入りが確認されると、国王と王妃が登場して晩餐会の開始が宣言される。


 晩餐会と言っても、舞踏会から踊りの要素を省いた軽い立食形式の催しだ。この度の戦争の功労者や、ここ最近の内政で目まぐるしい成果を上げた者を讃えつつ、国内各地の貴族たちの交流を深める、というのがその趣旨である。


 それまでも貴族たちは思い思いに語らってはいたものの、一応は国王による開会宣言からが晩餐会の始まりとなる。宣言のあとに行われるのは、出席者たちによる国王夫妻への挨拶だ。


 まずは昼の式典で報奨を受けた者、すなわち今夜の主役たちが報奨を受けた順に国王夫妻のもとに向かう。本隊の将であったガルドウィン侯爵とベヒトルスハイム侯爵が最初で、次に挨拶に行ったのは本隊決戦の突破口を切り開いたマルツェル伯爵だ。


「……あんな明るい表情のマルツェル閣下を初めて見ました」


 機嫌が良さそうに国王夫妻と言葉を交わすマルツェル伯爵を遠目に見て、ノエインは傍らのアルノルドにそう感想を零した。


 ノエインの記憶の中では、マルツェル伯爵はいつも厳しそうな、言い換えればブスッとした顔をしている。笑顔であるだけでなく、ときには軽く笑い声さえ上げる彼を見るのは新鮮だった。


「無理もないだろう。マルツェル閣下にとって、先の戦争は待望の国家規模の大戦だったからな。大きな武功を挙げて見せたことで、北西部随一の武人として力を示せたわけだ」


 王国の建国当時から武家として知られるマルツェル伯爵家だが、貴族同士の本格的な紛争が減った現在では、派閥の境界線でろくに死者も出ない小競り合いをくり返したり、北西部内の魔物退治に貢献したりするくらいしか活躍の場がなかった。


 現当主であるエドムント・マルツェルも実力はともかく大きな戦争の経験は皆無で、他派閥からは「無敗の騎士」などと皮肉で呼ばれることもあったという。


 そんな中でようやく大きな戦争に参加する機会を得て、さらに文句なしの武功を挙げた。自身が勇猛な武将であることを見事に証明したのだから、嬉しくないはずがない……といった事情をアルノルドはノエインに説明してくれた。


「なるほど……平和な時代が長く続くとそういう問題もあるんですか」


「ああ。本来なら戦時のために実力を維持してくれている武人たちには感謝しなければならないはずだがな。実際はそうして陰口を叩く貴族もいるのだ。そしていざ戦時になると、悪く言っていた武人たちに頼る……嘆かわしいことだ」


「難しいですね」


 そうした事情を指して「嘆かわしい」と言うことができるあたり、やはりアルノルドは貴族として真っ当な方なのだろう。ノエインは内心で自身の義父の評価をあらためて高めた。


・・・・・


 マルツェル伯爵のあとには上級貴族たちの国王夫妻への挨拶が続き、ヴィオウルフの次にはノエインの番が来る。


 ノエインは婦人たちの集まりにいたクラーラとこの時ばかりは合流し、並び立って国王夫妻の前に進み、挨拶の口上を述べた。


「国王陛下、並びに王妃殿下。こうして王家主催の晩餐会に出席する機会を賜りましたこと、この上ない喜びにございます」


 そう言いながらノエインは片膝をついて頭を下げ、その横でクラーラはドレスの裾をつまんで腰を落とす。


「アールクヴィスト準男爵、此度の戦争での働き、大儀であった。あらためて褒めて遣わす。今宵は存分に楽しむがよい」


 国王は鷹揚に言って見せるが、その横にいる王妃はやや不愉快そうな顔を見せた。


「陛下、何故アールクヴィスト準男爵は獣人の奴隷をこのような場で連れているのでしょうか?」


 国王夫妻の面前ということもあって護衛のマチルダとダントは距離を置いているが、それでもやはり兎耳のあるマチルダは目についたようだ。


「そこよ。このアールクヴィスト卿は見ての通り、変わり者として知られているそうだ……だが戦争では大きな成果を上げているし、アールクヴィスト領もただの森だったのがわずか数年で街へと成長を遂げているという。大したものだ」


 国王がノエインの功績をそう語って聞かせると、王妃も少し感心したような顔になる。


 イングリッド・ロードベルク王妃殿下。年は国王の3歳ほど下で、王国北端にある公爵家から10年ほど前に嫁いだ女性だ……と、ノエインは頭の中で彼女のことを思い出す。事前にアルノルドから聞いていた情報だ。


「歴史を紐解いても、偉人というのは風変わりな人物が多かったと聞くではないか。此奴も王国の歴史に刻まれるような偉業を成すかもしれんぞ? それにこういう酔狂な者もいた方が社交の場は面白い。変わり者であるのも結構なことだ」


「……陛下がそう仰られるのであれば構いませんわ。アールクヴィスト卿、今後も汝の活躍に期待しています」


 国王の言い方は臣下への自分の寛容さを見せようとするようにやや大仰だったが、王妃は素直に彼に従った。


「王妃殿下より直々に激励のお言葉をいただきましたこと、感激の極みにございます。まだまだ未熟な身ではありますが、王国貴族としてご期待にお応えできるよう尽力いたします」


 無難に言葉を返すノエインだったが、臣下として申し分ないへりくだった態度だったためか、王妃も満足げな顔になる。どうやらノエインの奇特な振る舞いは彼女に許されたらしい。


「先ほど挨拶に来たロズブローク男爵然り、汝然り、王国にも若き才能が台頭し始めている。汝らがいれば余の治世も安泰だな、ははは」


「私などには勿体なきお言葉です」


 機嫌よさそうに笑った国王は、ノエインの隣に視線を移した。


「そして、嫁の方はケーニッツ子爵の娘だったか。去年結婚したばかりと聞いたが、夫との仲はどうか?」


「は、はい。夫にはいつも優しく接してもらっております。私もまだ貴族の妻として至らぬ点が多々ありますが、少しでも夫の助けになれるよう努めております」


「そうか。貴族にとって伴侶の存在は大きな支えになるからな。これからも仲睦まじくあれ」


「ほほほ、可愛らしい奥方ですこと」


 クラーラは国王夫妻を前に緊張気味だったが、その初々しさがかえって夫妻には好評だったようだ。


 こうして、ノエインとクラーラの挨拶はそれなりの成功で終わった。


・・・・・


 その後、アルノルドの国王夫妻への挨拶が終わると、ノエインは再び彼に連れられて貴族たちとの挨拶に回る。


 北西部の貴族たちには年末の集まりでもまた会うことになるので、今回は他派閥の貴族との顔合わせがメインだ。


 とはいえ、派閥同士の仲はお世辞にもいいとは言えない。個々の家同士では事業などで派閥を越えて交流を持つ場合もあるが、全体的にはいがみ合うことが多い。


 自然と、こうした社交の場でも表面的な挨拶に終始することになる。もし揉めることになった場合に、いきなり決定的に敵対しない程度に友好的な言葉を交わしておくのだ。たとえ上辺だけのものであっても。


「……さすがに頭がこんがらがってきますね」


「君は国中の貴族が集まる場は初めてだったな。顔と名前を一致させるだけでも大変だろう」


 小休憩をとりながらノエインが呟くと、アルノルドは微苦笑を浮かべながらそう返した。


 各地方の主な貴族の名はアルノルドから事前に教えられていたが、その家名に数十人の顔を当てはめていく作業はノエインにとっても楽なことではなかった。今日この場ではともかく、今後ずっと彼らの顔と名前を一致させておく自信はない。


 会場の反対側では、おそらくクラーラも同じような苦労をしていることだろう。


「さて……休憩を終えた後の挨拶だが、あの方のもとには行くかね?」


 そう言いながらアルノルドが見たのは――ノエインの生みの親であるマクシミリアン・キヴィレフト伯爵だ。


「もちろん。キヴィレフト伯爵閣下は南東部でも屈指の大領を治める偉大な方だと聞いていますから。ご挨拶をしなければ失礼でしょう」


 そう皮肉を吐きながらノエインは目を輝かせる。マクシミリアンを意識した途端にまた反射的に邪悪な笑みを浮かべてしまったが、すぐに表情を取り繕った。


「……分かったから、せめて表向きは穏やかな顔を保ってな。くれぐれも揉めないでくれよ」


 しかし、ノエインの一瞬の笑顔を見てしまったアルノルドは慄きながらそう注意する。


「ええ、大丈夫ですよ……むしろ、あちらが平常心でいてくれるか心配ですけど」


 努めて穏やかな微笑みを浮かべながら、ノエインは言った。

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