第131話 親子の再会

「キヴィレフト卿? 何やら心ここにあらずといったご様子ですが、大丈夫ですかな?」


「……ん? ああ、これは失礼。どうやら王都への移動で溜まった疲れが抜けておらんようで。年は取りたくないものですな」


 酒の入った杯を片手に、マクシミリアン・キヴィレフトは横にいた知り合いの貴族とそんな会話を交わす。


 何とか動揺を隠しながら晩餐会の中に立っているものの、その内心は穏やかではない。それも全て、ノエイン・キヴィレフト……今ではノエイン・アールクヴィストと名乗るようになった血縁上の息子のせいだ。


 自身の願いに反してノエインが野垂れ死んでいないのは知っていた。アールクヴィスト領産のラピスラズリは一部が王国南東部にまで流れてきて、南方大陸のベトゥミア共和国にも輸出されていると傘下の商人どもから聞いている。


 予想外ではあったが、それもまた仕方なかろうと、王国の真反対方向の辺境でささやかな成功に満足してひっそりと生きているのなら見逃してやってもいいと思っていた。


 しかし、王家の晩餐会のために王都まで来て、顔見知りの宮廷貴族どもと話したところ、なんと先の大戦の功労者の一人にノエインの名前があるではないか。武功を挙げて国王から直々に報奨を受け、陞爵を果たして晩餐会にまで出席するという。


 マクシミリアンと鉢合うことはノエインとて分かっているはずだ。しかし、ノエインは実際に晩餐会にやって来た。マクシミリアンの前に姿を現した。


 ノエインは目障りな存在だが、幸か不幸か馬鹿ではない。自分がマクシミリアンの庶子であることを考えなしに吹聴し、安易にキヴィレフト伯爵家を敵に回すようなことはしないだろう。


 そうと分かっていても、やはり不安なものは不安なのだ。自分の醜聞の生き証人が同じ部屋にいると分かっていて、酒と社交を楽しめるほどマクシミリアンは図太くなかった。


「父上!」


 そこへ寄ってきたのは、マクシミリアンの息子――庶子ではなく、正妻との間に生まれた嫡男であるジュリアンだった。


 齢は16歳。昨年成人したこともあり、宮廷や他の地域の貴族にも合わせようと連れてきてやったのだ。


「……おお、ジュリアン。楽しんでおるか?」


「はい! 若い宮廷貴族の方々と友好を深めております」


 マクシミリアンの問いかけに、ジュリアンは楽しげな表情で返す。先ほどまで会場の端で下級の宮廷貴族どもに話しかけていたようだが、本人としては上手くいったようだ。


 親の自分から見てもジュリアンの頭の出来はよくないが、宮廷貴族に知り合いを増やすのは悪いことではない。案外、こいつには社交の才能が幾ばくかあるのではなかろうか。


 そんなことを考えて少しだけ機嫌が持ち直したところへ――それをぶち壊しに不安の元凶が近づいてきた。


「失礼、キヴィレフト伯爵閣下。ご無沙汰しております」


 そう話しかけてきたのはノエインではなく、彼を連れたケーニッツ子爵だ。北西部でそれなりの有力貴族として知られる子爵とは、マクシミリアンも挨拶をしたことくらいはある。


 彼の後ろに立つノエインは「私は無害な若者です」と言わんばかりの微笑みを浮かべている。


「……これはこれは、ケーニッツ子爵ではありませんか。お久しぶりですな」


 マクシミリアンも表情を取り繕って返事をする。横に立つジュリアンはノエインを見ても無反応だ。幼い頃から庶子のノエインとはほとんど会わせていなかったので、成長したノエインの顔を見ても気づけないらしい。


「実はつい昨年に、私の末の娘が結婚しまして……その夫、私から見れば義理の息子となった彼を紹介させていただこうと思いまして。此度の戦争でも武功を挙げて陛下より報奨を賜った、ノエイン・アールクヴィスト準男爵です」


 そうきたか、とマクシミリアンは考えた。気鋭の若手貴族である義理の息子を周囲に紹介する、という体なら、こうしてノエインを接触させてきても不自然ではない。


「なっ! 貴さ――」


「ご紹介感謝します。、アールクヴィスト準男爵」


 ノエインにアールクヴィスト領を押し付けて縁を切ったことはジュリアンにも伝えている。目の前の相手が誰かようやく気づいて声を上げようとしたジュリアンだが、初対面(という体)の相手を貴様呼ばわりするなど言語道断だ。


 こいつは馬鹿か、と思いつつマクシミリアンはジュリアンの肩を掴み、その言葉をさえぎってノエインに声をかけた。


、キヴィレフト伯爵閣下。伝統ある大領をお治めする閣下にお会いできて光栄です」


 ノエインも穏やかな微笑みを保ったまま、そう言葉を返してくる。どうやら「お互い初めて会った」ということにして話す気はあるらしいと、マクシミリアンは内心で安堵した。


 二人の会話を見て、ジュリアンもようやく合点がいったような表情を浮かべて黙る。マクシミリアンとノエインの今の関係を考えればすぐ分かることだろうに、嫡男の頭の悪さに目まいを覚えそうになる。


「……嬉しい挨拶をどうも。我が領のことを知ってくれているとは」


「もちろんです。王国でも屈指の豊かさを誇るというキヴィレフト伯爵領については、私もよく存じ上げております」


 皮肉を零したマクシミリアンに、ノエインも皮肉で返してくる。


「だが、アールクヴィスト卿の名は私も聞いている。何でも、王国の北西に自然豊かな領地を持っていて、卿のもとで産出されるラピスラズリは見事な質を誇っているとか。此度のランセル王国との戦争でも武勇を立てたとは、素晴らしいことだ」


 マクシミリアンは“自然豊かな領地”に精一杯の悪意を込める。森だらけの田舎領だと遠回しに馬鹿にする。


「私の領地や功績など、閣下とは比較するのもおこがましいほどささやかなものです。後ろ盾も資金もない状況から小領の開拓をなんとか軌道に乗せたという自負はありますが、まだまだ力不足の身です」


 事情を知らない他人が聞けばよくある貴族のお世辞合戦だが、実質は皮肉の応酬だ。


「ところで……そちらはもしや、閣下のご嫡男でいらっしゃいますか?」


 そこでノエインが、ジュリアンの方に目を向けてきた。それまで無言を貫いていたジュリアンは、自分を話題にされるや否や、目を泳がせながら助けを求めるようにマクシミリアンを見る。ノエインを相手に上手く話せる自信がないのだろう。


「……ああ、私の継嗣のジュリアンだ。昨年成人したので、こうして王都での社交にも参加させてみようかと」


 情けない嫡男の有り様に内心でため息をつきながら、マクシミリアンはそう答えた。


「じゅ、ジュリアン・キヴィレフトです。以後おみ、お見知りおきを」


 マクシミリアンに軽く背中を小突かれて、ジュリアンは苦笑いを浮かべながらそう言葉を発する。


「ジュリアン殿、こうしてお会いできて嬉しく思います……キヴィレフト伯爵閣下ののお噂は、かねがね聞いております」


「そ、そうなのですか?」


「ええ、もちろん。閣下のご長男はとても聡明なお方で、王国の未来を担う新進気鋭の若手貴族として注目を集めておられるとか。既に初陣も済ませ、勇猛さを示されたと聞き及んでおります」


「い、いやあ、そんな……」


 手放しの賞賛を聞いて、まんざらでもない顔になるジュリアン。それを見て、マクシミリアンは愚かな嫡男を殴り飛ばしたい気持ちを必死で抑える。


 ノエインは最初にジュリアンのことを「ご嫡男」と呼び、今はマクシミリアンの「ご長男」を褒めているのだ。


 マクシミリアンの長男とは誰か。ジュリアンではない。この世で最初にマクシミリアンの血を引いて生まれたのはノエインだ。


 つまりノエインはジュリアンを褒めるふりをして、ただ自画自賛をしているのだ。それなのにジュリアンは自分のことだと思って照れている。これではまるで道化だ。


「本当に、閣下のご長男は大変な才能がおありだと北西部でも話題になっていますよ。国王陛下までもがご長男の活躍に関心をお持ちだとか」


「そんなにですか? いやあ、あははは」


 そもそも、ノエインの褒め方はおかしいと気づけそうなものだ。


 ジュリアンはこれまで何度か派閥の社交に顔を出して、昨年には箔をつけるためキヴィレフト伯爵領軍の形だけの大将としてパラス皇国との紛争に赴いたが、たったそれだけで国王の覚えがよくなったり、名声が北西部の端まで届いたりするわけがない。


 そんなことも理解できず、ジュリアンは呑気に照れている。一体どこまで愚かなのか。


「……ごほんっ」


 アルノルドが横を向いてやや不自然に咳払いをする。彼もノエインの言う「ご長男」が誰なのか気づいて、笑いをこらえたのだろう。


 ジュリアンはこの期に及んで気づく気配もない。マクシミリアンとしては、嫡男の恐るべき鈍感さに驚愕するばかりだ。同じ息子なのに、庶子と嫡男でどうしてこれほど差がついたのか。


「や、今日はこうして卿と知り合うことができてよかった。今後また会うことがあれば、何卒よろしく頼む」


「……はい。高名なキヴィレフト閣下とそのご嫡男にお見知りおきをいただけたことは、大きな喜びです。ぜひまたお会いしましょう」


 マクシミリアンがやや強引に挨拶を切り上げようとすると、ノエインは素直に応じた。散々こちらを小馬鹿にして満足したか。


「それでは、失礼いたします」


 あの兎人の女奴隷を連れ、楽しげな表情で離れていくノエインの後ろ姿を見ながら、マクシミリアンは拳を強く握りしめて怒りと屈辱に耐える。


「いやあ父上、あいつは卑しい平民の血を継ぐ男ですが、意外と悪い奴ではないのかもしれませ――」


「黙れ」


 マクシミリアンは低い声で一言だけ発し、何も分かっていない嫡男を黙らせた。あと一つでも不愉快なことが重なれば、場所をわきまえず怒鳴り散らしてしまいそうだ。

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