第129話 挨拶回り①

 同じ室内に、目に見える場所にマクシミリアンが、憎き父がいる。


 彼がノエインを認識している。領主貴族として功労を重ねて陞爵し、マチルダとともに幸せに生きるノエインを見ている。


 それがノエインはたまらなく愉快だった。縁を切られた当初こそ二度と会いたくないと思ったが、自分が幸せを手にした上でいざマクシミリアンと顔を合わせたら、これほどまでに喜びを覚えるとは思わなかった。ざまあみろという気持ちが沸き起こる。


 今この瞬間、ノエインは夢心地の中にいる。一方のマクシミリアンは、悪夢の中にいることだろう。消えてほしかった目障りな庶子が、元気に出世して幸せいっぱいの顔を見せてきたのだから。


 ノエインとマクシミリアンの視線が交錯する。互いを認識している。


「行こう、マチルダ」


「はい、ノエイン様」


 しかし、ノエインもマクシミリアンも、努めて表情を動かさない。そのままノエインはアルノルドの後を追って歩き、憎き生みの親から離れる。


 アールクヴィスト準男爵とキヴィレフト伯爵が親子であることはほとんど知られていない。南東部の大貴族と北西部の新興貴族。表向きは二人の接点は皆無なのだ。いきなり近づいて話したり、睨み合ったりするわけにはいかない。それをお互いよく分かっていた。


 ノエインが歩き去るのを確認して、マクシミリアンも視線を戻す。傍から見れば、他の貴族たちと同じように好奇心でノエインに視線を向けていたようにしか思われないだろう。


 後で言葉を交わす機会があるか。それは晩餐会の流れ次第だ。


・・・・・


 ひとまずマクシミリアンのことを頭の片隅に追いやったノエインは、アルノルドとともにベヒトルスハイム侯爵に近づく。彼の横には、見慣れない男がいた。


「おお、ケーニッツ卿。今日の主役の一人を連れてきたな。アールクヴィスト卿、式典ではなかなか立派な振る舞いだったと宮廷貴族たちから聞いているぞ」


「これで彼も準男爵です。義父としても誇らしいことですな」


「若輩の身ながら、北西部閥の一員として恥じることのないよう精一杯に努めました」


 めでたい席ということもあり、機嫌のよさそうなベヒトルスハイム侯爵に答えるアルノルドとノエイン。


 その後、ベヒトルスハイム侯爵は自身の隣に立つ男を手で示す。


「アールクヴィスト卿は初めて顔を合わせるだろう。こちらはガルドウィン侯爵だ。南西部閥の盟主を務めておられる」


「お初にお目にかかる、アールクヴィスト卿。卿の活躍はベヒトルスハイム卿より聞いておるぞ。この度の陞爵、まことにめでたく思う」


 当代ガルドウィン侯爵は、立場や権勢からノエインが想像していたよりも小柄で、物静かな印象の人物だった。年齢はベヒトルスハイム侯爵とあまり変わらないくらいか。


 優しい口ぶりでノエインに言葉をかけるガルドウィン侯爵だが、一瞬だけ視線を細めてノエインの後ろに立つマチルダに目を向けた。獣人差別が激しい南部の貴族である彼には、マチルダの存在は愉快ではないのだろう。


「名高きガルドウィン侯爵閣下にお見知りおきをいただき光栄です。また、御祝いの言葉をいただき恐悦至極に存じます」


「ほう……まだ若いのにちゃんと挨拶ができるのだな。少々変わり者のようだが、そのわりになかなかどうして立派な貴族ではないか」


 礼をしながら丁寧に言葉を返すノエインを見て、ガルドウィン侯爵は小さく笑いながらそう呟く。嫌味か、それとも単なるからかいか。


「ははは、あまり虐めてやらんでください。この通り妙な振る舞いをする若者ですが、貴族として非常に優秀であるのは間違いない。何せ、陛下も彼の功績をお認めになるほどですからな」


「いや失礼。ベヒトルスハイム卿がそう仰るのであれば、相当な傑物なのでしょうな……気を悪くしたなら謝ろう。卿の戦場での奮戦によって、結果的に我々本隊も南西部も救われたのだ。あらためて礼を言わせてほしい」


「そんな、恐縮です。私のような若輩者が王国のため、南西部の皆様のために貢献できたのであれば、喜びもひとしおであります」


 個人的な好き嫌いと、南西部の盟主としての立場を分けて考えることができる人物のようだ。ガルドウィン侯爵を内心でそう評しながら、ノエインは人好きのする笑顔を作った。


「おお、そうだ。せっかく北西部の若き英雄と知り合えたのだから、我ら南西部の若き英雄も紹介させてほしい……ロズブローク卿! こっちへ来てくれ」


 ガルドウィン侯爵がそう声をかけたのは、ノエインがかねてより気になっていた男だった。


「ケーニッツ卿、アールクヴィスト卿。これは南西部閥の一員であるヴィオウルフ・ロズブローク男爵だ。此度の戦争では、要塞地帯の前線にあるローバッツ砦を、土魔法を駆使してほぼ独力で守り切るという武功を挙げている」


「……お初にお目にかかります。ヴィオウルフ・ロズブロークであります」


 式典の控室でも見かけたヴィオウルフは、深紅の髪とは裏腹に瞳は透き通るようなグリーンだった。年はまだ20代くらいだろうか。長身やその武功も合わさって存在感があるが、表情や声色を見るに荒々しい人物ではなさそうだった。


「ロズブローク卿、彼はノエイン・アールクヴィスト準男爵。卿と同じく、前線の砦を守り切った英雄だ」


 ガルドウィン侯爵が説明すると、ヴィオウルフは少しハッとしたような表情でノエインの方を向いた。同じような活躍をした者同士、彼もノエインの名前は聞いていたのだろう。


「初めまして、ロズブローク男爵閣下。お会いできて光栄です。この度は陞爵おめでとうございます」


「……卿も、陞爵おめでとうございます」


 長身で精悍な顔立ちのヴィオウルフと向き合うと、童顔で背の低いノエインの幼さがますます際立つ。ノエインが声をかけると、彼はぼそりと呟くように言った。


「……私は部下たちや王国軍士官の方々の活躍もあって砦を守ることができましたが、閣下はほぼ独力で砦を守り切られたのだと伺っています。素晴らしいご活躍に感服するばかりです」


「……私は神より土魔法の才をいただいているので。厳しい戦いでしたが、無心で敵を埋め続けました」


「なるほど、埋めたのですか」


「ええ」


「……」


「……」


 そこで会話が途切れた。ヴィオウルフは別に愛想が悪いわけではないが、どうやらかなりの口下手らしい。


「この通りロズブローク卿は少々無口な男でな、社交の場があまり得意ではないのだ。アールクヴィスト卿は年も近かろう。どうか仲良くしてやってくれ」


「はい。私のような変わり者でよろしければ、是非とも親しく接していただければと存じます」


 場をフォローするように言ったガルドウィン侯爵に、ノエインはとりあえずそう答えた。


 とはいえ、どう考えても自分とヴィオウルフでは人間としてのタイプが違いすぎる。同世代というだけで、無口な武人とひねくれ変人小僧が友人になるのでは難しいのではないだろうか。


 その後、ガルドウィン侯爵がベヒトルスハイム侯爵やアルノルドとしばらく歓談する間、ノエインはヴィオウルフと盛り上がらない雑談に興じることになった。


「……卿は私が想像していたより小柄だったので驚きました……ああ、失礼」


「お気になさらず。私も自分の背や容姿が子どもっぽいのは自覚しています。領主貴族なのに貫禄がつかなくて困ってるんです、ははは」


「そう、ですか……」


「……」


「……」


「……ロズブローク閣下は背がお高いので、私から見れば羨ましいです」


「……確かに、長身で損をしたことはそれほどありませんね。たまに低い扉で頭をぶつけるくらいでしょうか」


「あははは、それは悩ましい問題ですね」


「はは……」


「……」


「……」


 ノエインはこれまでの人生で身分や世代が近しい友人などいたことがない。盟主たちは派閥の緊張緩和のためにも有望な若手同士を仲良くさせたいのだろうが、やりづらいことこの上ない。おそらくヴィオウルフも同じように思っていることだろう。


 早く歓談を切り上げて次に行かせてくれ、と内心でアルノルドに訴えるノエインだった。

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