第121話 帰還

「ケノーゼ、ボレアス、皆の調子はどう? 疲れてない?」


「私たちは大丈夫です。子どもや怪我人は多少疲れも出ているようですが、それでもこれからの生活への期待が勝っています」


「もうすぐ新天地に着くと思えば、少しの疲れくらい何てことねえです」


 ノエインが尋ねると、ケノーゼとボレアスは明るい表情でそう答えた。


「それなら良かった。歩けそうにない人がいたら、荷馬車にはまだ少し余裕があるから言ってね」


「分かりました」


「ありがとうごぜえます」


 獣人たちの調子を確認し終えると、ノエインは彼らのもとを離れて自分のテントへと戻る。


 ここはロードベルク王国北西部の主要街道であるヴァレリアン街道のはずれ。緩やかな丘と小さな湿地に囲まれた平地だ。およそ300人という大所帯で移動しているアールクヴィスト領軍と元徴募兵たちは、道中の夜はこうして野宿をしている。


 都市や村を通ったときも、宿に泊まれるのはノエインとマチルダ、せいぜいユーリやペンスまで。それ以外の者は市街地の外でテントに泊まっている。


 王国南西部ではそもそも獣人を泊めてくれる宿自体が少なく、北西部でも今は戦争のために領主や代官が不在、もしくは帰還したばかりでばたついているところが多い。300もの人間を受け入れる余裕のある街や村は皆無に近く、ノエインたちが野宿続きになるのも仕方のないことだった。


「はあ、ようやくここまで来たね」


「お疲れさまです、ノエイン様」


 テントに入って人目がなくなった途端に、ノエインは床面に敷かれた毛皮にだらしなく寝転がった。その横に寄り添うように座りながらマチルダが労いの言葉をかける。


 アールクヴィスト領まではあと3日ほど。鍛えられた領軍兵士だけで行軍していた往路と比べると、怪我人や子どもが加わっていることもあってやや時間がかかっている。


「ありがとう……マチルダも疲れてるよね」


「私は平気です。ノエイン様と一緒に生きて帰れるのだと思うだけで疲れも感じません……それに、こうして触れていただけますので、幸せです」


 寝転がったノエインの手に背中を撫でられながら、マチルダは微笑んだ。それにノエインも笑い返す。


 もう戦争は終わった。なのでノエインは部下の目のないところでは触れてくれるし、夜は抱き締めてくれる。宿に泊まれた夜は恋人として抱いてもくれる。それがマチルダは何より嬉しかった。


「ノエイン様、いいか?」


 テントの外からユーリの声が響く。ノエインは起き上がると、「いいよー」と気の抜けた返事をした。


 ノエインの返事を確認してテントの入り口を開いたユーリは、外から用件を伝えてくる。


「食糧が少し心許ない。アールクヴィスト領まではギリギリ足りない……って程度だ。さっき通り過ぎた村があっただろう? そこで麦や干し肉を買い足そうと思う」


「ああ、それじゃあ……はい、これでお願いね。買い足すのにかかった正確な金額も記録しといてね。出征費用があやふやだと僕があとでアンナに怒られちゃうから」


 そう言いながら、ノエインは数枚の大銀貨を手渡した。


「分かってるさ。領軍兵士を数人連れて行ってくるぞ」


「行ってらっしゃい。気をつけてね」


 まるで近所に買い物に出かけるのを見送るような(実際そうなのだが)気軽な口調でノエインは言った。帰れないかもしれないと覚悟を決めていた行きと比べれば、全員無事どころか新領民を大勢連れてのんびりと進む帰路は気楽なものだった。


 ちなみに、ペンスはここにはいない。ノエインたちの帰還と獣人たちの件を伝えるために、2日ほど前に先触れとして発っているためだ。


「……喉が渇いたな」


「お茶を淹れましょう」


 日没に備えて野営の準備は早めに済ませた。あとは明日の移動に備えて体を休めるだけだ。


・・・・・


 3日後。ノエインたち一行は隣のケーニッツ子爵領を抜け、アールクヴィスト領に入った。


 夕刻前には森に囲まれた街道を抜け、領都ノエイナが視界に入る。


「……帰ってきたね、マチルダ」


「はい、ノエイン様」


 領を空けていたのは二か月ほど。短くはないが、とてつもなく長い期間というわけでもない。しかし、ノエインには自身の領都を見るのがまるで数年ぶりであるように感じられた。それほど戦争が長く辛いものに思えたということだ。


 先頭を行く兵士はアールクヴィスト士爵家の家紋――鋼色の枠の中にゴーレムを模した絵が描かれている――が印された旗を掲げているので、領都の門から見てもノエインたちが帰り着いたことはすぐに分かるはずだ。


 門の横の物見台に立つ兵士が周囲に指示を飛ばし、慌ただしく出迎えの準備に入っているのが遠目に見えた。


 農民たちに頭を下げられながら農地を抜け、門にたどり着く。その頃にはすでに到着が伝えられていたようで、領都内にいた領民たちも手が空いている者は沿道に出てきて、領主一行の帰還を出迎えた。


 全員無事であることは先触れのペンスによって伝えられていたはずなので、出迎える領民たちの表情も明るい。


 ちなみに、いきなり大勢の獣人が領都に入って来ては驚かれたり警戒されたりするかもしれないので、ケノーゼやボレアスたちは一旦外で待たせてある。


 屋敷の敷地にたどり着くと、そこにはクラーラが貴族夫人としての正装で立っていた。顔も日常用の薄化粧ではなく、しっかりとした化粧をしている。夫の帰還を迎える彼女なりの喜びと誠意の表れなのだろう。


「ノエイン様……ご無事でのご帰還を心より嬉しく思います。お帰りなさいませ」


「出迎えありがとう、クラーラ。ただいま」


 出迎えには居残りの従士やクリスティをはじめとした奴隷たち、さらにメイドたちも並んでいる。部下や使用人たちの手前、丁寧な言葉と仕草で迎えるクラーラに、ノエインは微笑みながらそう返した。


 従士や奴隷、メイドたちも口々にノエインの帰還を喜ぶ言葉をかけてきた。ノエインもできる限り一人一人に応える。ラドレーやバート、エドガーなど一部の者はいないが、おそらく領都外で仕事をしているのだろう。


「ノエイン様、お疲れさまでした」


 先触れとして一足先に帰っていたペンスも声をかけてくる。


「ありがとう。ペンスもお疲れさま……その、腕にくっ付いてるロゼッタは?」


「これは……見ての通りロゼッタでさあ」


 ペンスの腕に「私が妻です」と言わんばかりに絡みついたロゼッタを見てノエインが尋ねると、そのままの答えが返ってきた。他に答えようもないだろう。


「俺が先触れとして帰ってきてから、この数日ずっとこんな調子で……」


「え~、でも、ちゃんと最低限の仕事はしてますよ~?」


 そう言いながら、ロゼッタはペンスの腕から離れない。実に仲睦まじい。


「仕事をこなしてるならいいさ、幸せそうだし。よかったねロゼッタ」


「はい。ノエイン様、ペンスさんを無事に連れ帰ってくださってありがとうございます~」


 出征前はドタバタしていた二人だが、こうして無事にくっついたのなら言うことはない。ノエインも領主としてペンスの行く末は気にしていたので、これは喜ばしいことだった。


 と、そこへやって来たのはエドガーだ。農地での仕事を中断して駆けつけてくれたらしい。


「出迎えに間に合わずすみません、北の農地で仕事をしていたので……」


「大丈夫だよ、ご苦労様。むしろわざわざ仕事を中断してまで来てくれてありがとう」


「いえ……ところで、領都内に戻るときに東門の方で大勢の獣人たちを見ましたが、彼らが例の移民ですね?」


 250人もの獣人を受け入れるには、アールクヴィスト領側も準備が要る。ケノーゼたちのことは先触れのペンスがちゃんと伝えておいてくれたようだ。


「そうだよ。帰る場所のない徴募兵たちを連れて来ちゃったんだけど、受け入れる準備はできてるかな?」


「市街地を西側に広げるために森林の伐採は続けていたので、最初は少し手狭かもしれませんが大丈夫でしょう。彼らにはテント暮らしから始めてもらうことになりますが……」


「これから暖かくなっていくし、問題ないよ。開墾や家屋建設を彼ら自身にも手伝ってもらえばいいしね……あんまり待たせても可哀想だから、彼らを迎えにいこうか」


「はい、行きましょう」


 ノエインの留守中、エドガーは都市開発や開拓作業の管理もしてくれていた。ひとまず移民たちのことは彼に任せれば大丈夫だろう。


・・・・・


 出征部隊の解散作業はユーリに、獣人たちの以降の世話はエドガーやペンスに、そして事務系の後処理はアンナに任せ、ノエインはマチルダとクラーラとともに、ひとまず屋敷に入る。


 部下や使用人たちの目を避けるために、とりあえず寝室に移る三人。


「……ノエイン様っ!」


 部屋に入ってドアを閉めた途端、クラーラは我慢できないといった様子でノエインに飛びついた。ノエインもそれを抱き留め、二人はしっかりと抱擁する。


「あなた……ご無事で本当に良かったです……おかえりなさい」


「ただいま、クラーラ。会いたかったよ」


 領主と領主夫人ではなく、ただの男女として再会を喜び合う。傍らではマチルダがそんな二人を微笑ましく見ていた。


「……マチルダさんも、おかえりなさい。生きて帰って来てくれてありがとう。そして、ノエイン様を守り抜いてくれてありがとう」


 しばらくノエインと抱き合っていたクラーラは、一旦彼から離れると、今度はマチルダを抱き寄せた。クラーラにとって、彼女も大切な家族だ。


「クラーラ様……はい、無事に戻りました。約束も果たしました」


 クラーラはアールクヴィスト領を守り、マチルダはノエインを守る。同志としての二人の約束は果たされた。


「……正直に言うと、とても寂しかったです。贅沢でわがままな悩みだとは分かっていても、毎日一人で眠るのが辛くて仕方なかったです。だから、今日からしばらくは私と一緒に寝てくださいね?」


 二人に向けて甘えたように言うクラーラを見て、ノエインもマチルダも小さく笑う。


「もちろんそのつもりだよ、今夜からはまた三人で一緒だ」


「……そして、戦場では辛いことも悲しいこともあったのだと思います。アールクヴィスト領でも色々なことがありました。お互いのこと、お話しましょう」


「そうだね、話したいことも聞きたいこともたくさんある……細かい戦後処理は明日からにして、とりあえず今日はゆっくり過ごそう」


「では、お茶をお淹れしましょう。いつものように」


 戦争を生き延びたノエインとマチルダ、そして領主代行としてアールクヴィスト領の危機を乗り越えたクラーラは、こうして日常に戻っていく。




★★★★★★★


以上までが第五章になります。ここまでお読みいただきありがとうございます。

引き続き本作をよろしくお願いいたします。



書籍版『ひねくれ領主の幸福譚』、全国の書店や各通販サイトにて発売中です。

大幅加筆によってWeb版から更に内容の深まった本作、お手元に迎えていただけますと作者として何よりの喜びです。何卒よろしくお願いいたします。

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