第120話 帰りを待つ⑤

 自分たち目がけて飛んでくるクロスボウの矢に対して、巨体のオークは咄嗟に棍棒を振り、何本かを弾き落とす。子どものオークはそこまでの反応は示せなかった。


 巨体のオークの棍棒に阻まれなかった矢が、二匹の体に刺さる。全てが命中したわけではないが、外れた矢よりは当たった矢の方が多い。


 本来であれば、威力に優れたクロスボウとはいえそれだけでオークに大きなダメージを与えることは難しいだろう。しかし、矢を食らったオークたちには変化が見られた。


「よしっ! 『天使の蜜』が効いたぞ!」


 後方でそう叫ぶダントの声がラドレーの耳に届いた。


 矢には「天使の蜜」の原液が塗られていた。本来はノエインの許可なしに持ち出すことが厳禁となっている「天使の蜜」だが、クラーラの権限と責任においてこの実戦に投入されているのだ。


 液が体内に入り、まず子どものオークの動きが明らかに鈍る。


 人間であれば一発で全身が麻痺するはずだが、オークは厚い毛皮を持ち、筋肉量も同じ背丈の人間より多い。魔物であるので体内に魔石も持ち、魔法薬である「天使の蜜」には多少の抵抗力もある。即座に沈黙させるには至らなかったようだ。


 苦しそうに座り込んでしまった子どものオークに対して、巨体のオークの変化はそれほど極端ではなかった。


「グボッ! ブオオオッ!」


 全く動きが鈍っていないわけではない。しかし、しっかりと両足で立って棍棒を振るっており、まだ十分に強敵と言える状態だ。妙なものを撃たれて怒り狂っている分、質が悪いかもしれない。


「ちっ、これだけでかいと無理か……」


 巨体のオークから距離をとりつつ、ラドレーは舌打ちする。ここまでの巨体ならば毛皮はことさらに厚く、毛そのものも相当に硬いはずだ。十分な量の「天使の蜜」が体内まで届いていないのだろう。


「ラドレーさん! 俺も――」


「来るんじゃねえ!」


 子どものオークが戦闘不能に陥ったのを確認して、バートが援護に回ろうと走ってきた。決して巨体のオークに対して無警戒な動き方ではなかったが、ラドレーは咄嗟に叫ぶ。


 嫌な予感が――戦士の勘とでも呼ぶべきものが働いたのだ。


 しかし、警告は遅かった。多少は動きが鈍っていたはずのオークは驚くべき俊敏さで動き、走り寄って来るバートに向かって棍棒を振り抜く。


 バートは反射的に足を止め、そこから後方に退避しようとしたが、あと一歩遅かった。体を庇うように前に出した剣にオークの棍棒の先端が当たり、その剣ごとバートの体が吹き飛ぶ。そのままバートは後ろの木に叩きつけられた。


「おいバート!」


 ラドレーの声に、バートは片手を挙げて応える。寸前で後方に跳んだことで攻撃の勢いを殺せたのか、意識までは失っていないようだ。しかし、挙げていない方の手はありえない方向に曲がり、剣も折れていた。戦闘には復帰できまい。


 一方で、オークは動けなくなった子どもを庇うように林道の真ん中に立つと、目の前でまだ健在のラドレーに向けて咆哮を放つ。我が子を守ろうとする本能が、先ほどの限界を超えた動きを見せたようだ。


「……ちっ」


 やりづれえ、と思いながらラドレーは懐の小瓶を取り出す。その口の栓を抜くと、手にしていた槍の穂先に小瓶の中身――天使の蜜の原液をぶちまけた。


 その槍を構えると、オークに向かって一気に肉薄する。あまりにも大胆な行動に、後方のクロスボウ隊からどよめきが起こった。


 本来ならオークは10人以上の槍兵で囲み、強弓や魔法を何発も叩き込んで仕留めるものだ。「天使の蜜」で少しばかり動きを鈍らせたからといって、たった一人で、槍一本で相手取れるものではない。


 最初こそオークに単身で突っ込んだ彼だが、あれはフェイントをかけて隙を作らせるためのものだ。まともに白兵戦を挑むのとはわけが違う。


 しかし今、ラドレーは肉薄した。オークが棍棒を振るうのを紙一重で躱し、巨体で圧し潰そうと体当たりしてきたら後ろに飛び退き、その大技のあとの隙をついて再び接近する。


 一撃でも食らえばおそらく死ぬだろう。しかし、ラドレーはためらいなく、何度もオークに近づく。その巨体からくり出される猛攻を躱しながら、こちらの攻撃を当てる隙を探す。


 ラドレーの体は並外れて頑丈だ。この打たれ強さに任せて、傭兵時代は戦場でかなり無茶な接近戦を敵兵に仕掛けることもあった。その結果として身に着けたのが、この異常なまでのクソ度胸だった。


 巨体のオークも我が子を守るために奮戦するが、「天使の蜜」に侵された体を振り回していてはいずれ疲れる。気力だけではどうにもならない限界を迎える。


 そうして生まれた隙をついて、ラドレーの突き出した槍がオークの足に深々と突き刺さった。


「ブガアッ!」


 痛みを訴えるように吠え、苛立ったように腕を振り回すオークに対して、ラドレーは槍を手放して距離をとる。


 足に槍が刺さったままのオークは、間もなく動きを鈍らせ、膝をついた。これだけ深く刺せば「天使の蜜」もしっかりと効いたらしい。それを確認したラドレーは、後方に合図をするように手を挙げた。


 そのまま体を傾けたオークは、荒い息をしながらも憎しみのこもった目でラドレーを睨む。


 後ろに守るべきものがあるからこのオークも必死なのだろうが、それはラドレーとて同じだ。自分の後ろには討伐隊がいて、その後ろには領都ノエイナがある。そこにはラドレーとの子を妊娠中の妻ジーナもいる。


「……恨むなよ」


 ラドレーがそう呟くと同時に、極太の矢がオークの胴体を貫き、その命を奪った。装填が終わったバリスタからの2射目だ。


・・・・・


 巨体のオークを倒してしまえば、「天使の蜜」の効果ですでに眠りについている子どものオークを仕留めることは簡単だった。


 無事に全てのオークを倒した討伐隊は、鉱山村にもう大丈夫だと伝えるためにダントと他数人を伝令に送り、あとの者はひとまず領都ノエイナへと帰還する。


 魔石や肉、毛皮が大きな利益となるオークは後ほど回収しなければならないが、あれだけの巨体を運ぶとなればそれなりの人手と準備が必要だ。


 領都ノエイナへと戻り、オークを無事に仕留めたことをラドレーが語ると、領民たちからは歓声が上がった。


「バートさん! ひ、ひどい怪我……」


「大丈夫だよミシェル、見た目ほど重傷じゃない。右腕が折れただけだ……あと左足も少しおかしいかな」


 そんな中で、唯一の負傷者であるバートにミシェルが駆け寄る。泣きそうな顔の妻に対してバートはそう言った。笑ってはいるが、満身創痍なので説得力がない。


「馬鹿野郎、それは十分重傷だ。セルファース先生、あいつを診てやってくだせえ」


「ええ、お任せください。診療所に行きましょう」


 ラドレーはバートへぶっきらぼうに言葉を投げると、負傷者に備えながら討伐隊の帰還を待っていたセルファースに頼む。それに頷いたセルファースは領民の男数人に手伝わせてバートを担架で運んでいき、ミシェルもバートに付き添っていった。


 討伐に参加した領軍兵士やザドレクたち労働奴隷は、他の領民から労いの言葉をかけられつつ、装備を戻すためにひとまず領軍詰所へと向かう。彼らの面倒を見るのをリックに任せると、ラドレーは取り急ぎの報告をするために領主家の屋敷へと向かった。


「ラドレーさんっ! ご無事で何よりですっ!」


「……おぉ。そのクロスボウはどうしたんだ、おめえ?」


 屋敷で出迎えてくれたのはメイドのメアリーだ。いつものエプロンドレスにクロスボウを所持した姿がなんともちぐはぐで物々しい。


「もし討伐隊と行き違いになってオークが領都ノエイナに侵入して、万が一屋敷まで到達したら、私が盾になってでもクラーラ様をお守りするつもりでいましたっ。これは屋敷の防衛用の備品ですっ。本来はマチルダさんが使うものですがっ!」


 屋敷の門には居残りの領軍兵士が護衛として立ってはいたが、メアリーはさらに最悪の事態に備えてくれていたらしい。


「……そうか、ご苦労だった。だけどもういいぞ、オークは仕留めた」


「分かりましたっ」


 健気なメアリーを労い、ラドレーは領主執務室へと向かう。安全のため、また窓から領都ノエイナの様子をよく見渡せるため、彼女は二階のこの部屋にいるという。


・・・・・


「――という風に、無事にオーク三匹を仕留めました。番や親子以外でオークが群れることはほとんどないので、近くに出没したのはこれで全部だと思います。オーク自体が滅多に出るもんじゃないので、他の番や親子がいることはあまり考えられねえです」


「分かりました……それで、バートさんのご容体は?」


「片腕が折れただけです。呼吸や喋るのは問題ないみてえですから内臓は無事でしょう。片足にもひびくらい入ってるかもしれねえですが……自分で立ち上がれるくらいだ、すぐにセルファース先生に診てもらえるなら大丈夫でしょう」


 死者も、後遺症が残るような負傷者も出ていないと聞いて、クラーラは胸をなでおろした。


「本当にご苦労様でした。アールクヴィスト領と民を守ってくださってありがとうございます。心より感謝します」


「いえ、これが仕事ですんで。当たり前のことをしただけです」


 不器用な口ぶりでそう返すラドレーに、クラーラは小さく微笑む。


「このあと領軍詰所に出向いて、他の皆さんにも労いの言葉をかけさせていただきます……これで、不意の危機からもアールクヴィスト領を立派に守り切ったとノエイン様にご報告できます。私の貢献など些細なものですが……」


 クラーラはそう言って笑った。未だにノエインの生死が分からない不安を無理に抑えているのか、その声はやや不自然に明るい。


 ラドレーとて出征組のことは心配であるが、戦いの中で生きてきた身である以上、彼らの出発を見送った時点で覚悟はできている。しかし、これまで戦争を知らなかった領主夫人の心細さはどれほどのものか。ラドレーには想像もできない。


「……へい。きっとノエイン様も、クラーラ様のことを誇らしく思われます」


 こういうときは自分の不器用さが恨めしい。そう思いながらなんとか無難な返事をしたラドレーに、クラーラは「ええ、ありがとうございます」と微苦笑を返した。




 それから数日後、「間もなくアールクヴィスト領軍が全員無事に帰還する」という先触れが領都ノエイナに届いた。

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