第103話 着任

 野営地を発った翌日にはバレル砦に到着し、砦の維持管理をしていた少数の当番兵と交代して防衛の任に就く。


 バレル砦は、平屋の本部と倉庫、厩、物見台を石の城壁で囲んだ小規模な施設だった。


 移動中に見かけた他の砦よりもやや小さく、確かに250人もいれば防衛には事足りるだろうと思える。


 砦があるのは緩やかな丘の上。ランセル王国のある西側と、後方である東側に門が備えられている。


 北西部――すなわち敵側を見据えて右手前方には森があり、左手側にも小さな森がちらほらと並ぶ。それ以外は平原が続いていた。


「本部となる建物には司令室や医務室、調理場の他に、いくつか個室も備えられている。ひとまず私やノエイン殿、士官たちで使うことにしよう。兵たちはテント泊まりだ」


 司令室に幹部陣が集まり、今後について話し合う。


「それと、私か私の副官のどちらか一方は常に起きているようにする。ノエイン殿も、君と従士長殿、従士副長殿の少なくとも一人は起きている状態を保ってほしい」


 精鋭の第一軍団所属ということで、フレデリックはさすがに優秀だった。彼の的確な指示によって瞬く間に砦に人員や物資が配置されていき、見張りや指揮のシフトなども作られていく。


 到着した日の夕方には、バレル砦は戦に向けて防御施設として機能し始めていた。


 その日の夕食は、隊の結束を深めるために幹部と獣人の代表者たちで共にする。


「じゃあ、ジノッゼはもとから他の獣人たちの長だったんだ」


「はい。ガルドウィン侯爵領の中にある獣人の集落で代々村長を務めていました。ですがランセル王国軍の襲撃や経済の悪化で、集落での暮らしが立ち行かなくなり……生きるために選択の余地はないと、戦えそうな村人は揃って徴募兵となりました」


 会話の中で、バレル砦に配置された獣人たちが徴募兵となった背景が明かされる。


「このボレアスもまた別の集落で村長を務めていたのです。彼の集落とは多少の交流があり、見知った仲でした」


「そうだったのか……同郷の者が散り散りにならなかったのは不幸中の幸いだったな。お前たちが知った者同士なのは指揮する立場としてもありがたい」


 やはりフレデリックも獣人への嫌悪感はないらしく、食事は和やかな雰囲気を保っている。


「私の息子も、次期村長として教育していましたのでお役に立つと思います……あいつです。ケノーゼと言います。何かあれば使ってやってください」


 ジノッゼが指差す先には、どことなく彼と顔立ちの似た若い鼠人の男が他の獣人たちと食事をとっていた。


「皆はこの戦いが終わったらどうするの? もとの集落に戻るの?」


 ノエインが聞くと、ジノッゼもボレアスも表情を暗くする。


「以前、集落の様子を見に一度戻ったのですが……ランセル王国軍に焼かれてしまっていました。ボレアスの集落も同じく。家も畑も失ったので、おそらくもとの暮らしには戻れないでしょう。戦後のことは分かりませんが、生き残ってから考えます」


 ジノッゼが語ると、場の空気が重くなる。ノエインの横では、マチルダが苦悩するように表情を少しだけ変化させた。同じ南部出身の獣人として、思うところがあるらしい。


 ノエインはそんなマチルダを見やり、目を合わせると、小さく頷いた。


・・・・・


「いいか、自分の目線とクロスボウの射線が一直前上に並ぶように構えるんだ。脇は引き締めろ。引き金は絞るように引くんだ」


「弦を引くときはあぶみにかけた足に重心を置け。腕の力だけじゃなく、全身を使ってしっかり引っ張るんだ」


 バレル砦に到着した翌日から、徴募兵たちのクロスボウ射撃訓練が始まった。


 指導役を務めるのはユーリとペンスで、アールクヴィスト領軍の兵士たちがそれを補佐する。2人の指示に従って、徴募兵たちは10人ずつの小隊を組んで的を射る練習を行い、クロスボウの扱いに慣れていく。


「やっぱり大柄な種族の方が装填が速いね。小柄な種族の人たちは弦を引くのに少し苦労してるかな」


「はい。ですが、的への命中率については小柄な種族の方が優れているようです」


 射撃訓練の様子を眺めながら、ノエインはマチルダとそんな会話を交わす。戦闘が始まるのはまだ少し先なので、今のノエインは正直言って暇だった。


「ノエイン様、バリスタの組み立てが終わりました」


 何をするでもなく訓練を見物していたノエインに声をかけたのは、バリスタの準備を任せていた領軍兵士たちだ。


「お疲れさま。爆炎矢の魔道具はどうだった?」


「持ってきた50発のうち、3発だけ割れてしまっていました。やはり輸送中の振動で……申し訳ありません」


「いや、仕方ないよ、気にしないで。箱への収納方法や輸送方法については帰ってから改善方法を考えよう」


 爆炎矢の鏃となる魔道具は、着弾点で割れて油をまき散らすために陶器で出来ている。その分、長距離の輸送で割れないように注意する必要があった。


 魔道具を入れる木箱の内部を細かく仕切ったり、布や綿で緩衝材を作ったりと対策はしていたが、全て無事に運ぶことは叶わなかったようだ。


「ノエイン殿、あのバリスタという兵器は? 要は巨大なクロスボウか?」


 ノエインに近づいてきたフレデリックが興味深げに問いかける。


「そうですね、原理はクロスボウと同じです。大きい分威力も凄まじいので、大型の魔物狩りや攻城戦で使えます」


「なるほど……しかし、砦の防衛戦では活用できるのか?」


「通常の矢でも敵を盾ごと貫くほどの威力で驚かせることができますし、先端に使い捨ての魔道具を取りつける特殊な矢もあります。防御兵器としても凄まじい効力を発揮すると思いますよ。僕たちはこれを”爆炎矢”と呼んでいます」


 ノエインが爆炎矢について説明すると、フレデリックは少し引いたような表情を見せる。


「炎をまき散らして敵の集団を焼くとは……なかなかえげつない兵器だな。つまりは火の上級魔法を再現するようなものか」


「ええ。これなら運が良ければ一発で数十人を無力化できます。敵にとっては災難でしょうが……使う側としては心強いと思いますよ」


 ノエインがニッコリと笑って言うと、フレデリックもやや引きつった笑顔で応えた。


 そうこうしているうちに、城壁外へ偵察と伝令に出ていた兵が戻ってくる。フレデリックの副官を務めているという叩き上げの中年士官だ。


「報告を頼む」


「はっ。他の砦も概ね準備を整え、開戦に備えています。本隊の戦闘が始まるのはおよそ3日後だそうです」


「そうか。ということは、こちらの戦闘が始まるのもそれ以降だろうな……ご苦労だった、ゆっくり休め」


 副官を下がらせたフレデリックは、ノエインに向き直る。


「そういうことだ。油断するわけではないが、あと3日はあまり気を張らずにいこう。戦いが始まれば長丁場になるからな」


「そうですね……今のうちにできるだけたくさん寝ておきます。敵と対峙したら安眠するのは難しそうですから」


 努めて気楽な口調で言ったフレデリックに、ノエインも冗談めかして返した。

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