第102話 揉め事

「規定量の食糧をもらえなかっただと?」


 フレデリックがそう聞き返すと、物資の集積所へ食糧の受け取りに行っていた獅子人のボレアスが申し訳なさそうな顔で頷いた。


「物資を管理してる貴族様に言われたんです。獣人に腹いっぱい食わせる食料はねえと……一日一食もあれば死にはしねえから、獣人の分はそれだけしかやらねえと」


 戦いが予想外に長引いた際の備えとして、砦には三週間分以上の食糧を蓄えるはずだった。しかし、ボレアスの率いる大柄な獣人たちが運んできた食糧は、250人が三週間かけて食べると考えると明らかに量が少ない。


「フレデリックさん、軍全体で食糧が足りてなくて節約させられてたりすることは?」


「いや、そんなはずはない。全員が当分食えるだけの量を確保してあるはずだし、今も酒保商人によって後方から続々と物資が届いている……おそらくその物資管理役の個人的な嫌がらせだろう。南西部貴族なのだろうな」


 ノエインが尋ねると、フレデリックはため息をつきながらそう返した。


「出発準備に軍人を一人でも多く割くために、獣人たちだけで物資の受け取りに行かせたのが失敗だったな……」


「申し訳ねえです」


「いや、お前たちのせいじゃない……とはいえ参ったな。準備が遅れ気味だし、指揮官の私がこの場を離れるわけにもいかん」


「あの、僕が行ってきましょうか?」


 困った表情を見せるフレデリックに、ノエインはそう申し出る。


「君がか?」


「はい、僕はこれでも現役の貴族当主ですから。あまりないがしろにされる心配はないんじゃないでしょうか」


「……分かった。済まないが頼む」


 フレデリックは少し考えるそぶりを見せたあと、ノエインの申し出に頷く。


「マチルダ、ユーリ、ペンス、一緒に来て」


「はい」


「了解だ」


「分かりました」


「あと、ゴーレムも二体とも連れていこうかな」


「渋られたら脅しの道具にするのか?」


「嫌だなあ、僕はそんな乱暴な人間じゃないよ? ただ食糧を運ぶのに便利かなと思っただけさ……相手がゴーレムの動きを見て勝手に怯えたら知らないけど」


「ははは、確信犯でさあ」


 そんな軽口を叩きながら、ノエインは自身の部下とボレアスたち獣人と連れ立って、ぞろぞろと集積所に歩いていった。


・・・・・


 野営地の後方に備えられた物資集積所は、いくつもの天幕を木柵で囲った大規模な施設だった。天幕の下はもちろん、外にまで食糧の入った木箱やら袋やらが山積みにされている。


 その周囲は多くの兵士に警備されていた。食糧の盗み食いなどを防ぐための措置だろう。


 そんな集積所の入り口にノエインたちが近づくと、そこに立っていた数人の男たちがジロリと睨みつけてきた。


「おい、何だお前らは……その小汚い獣人どもにはさっき食糧を渡したはずだ。とっとと失せろ」


 男たちのリーダー格と思われる一人がそう言い放つ。身に着けている武具を見ても明らかに上級貴族と思われた。その周囲にいるのは取り巻きの下級貴族か。


「ノエイン・アールクヴィスト士爵です。王国北西部より助力に参り、バレル砦防衛の任に就きます」


「……ちっ、ヴァーガ・デラウェルド男爵だ。物資集積所の警備をガルドウィン侯爵閣下より任されている」


 ノエインが綺麗な敬礼をしながら名乗ると、相手の男――デラウェルド男爵も忌々しげに答礼し、名前と職務を名乗る。やはり南西部貴族のようだった。


 ロードベルク王国では、こうした戦場で相手が敬礼に応えなかった場合、不審者として切り捨てても良い……という古い慣習がある。


 今となっては答礼しないだけで実際に切り捨てる者などまずいないが、そういう慣習が語られるほど、敬礼を返すのは軍人の最低限の礼儀だとされているわけだ。


 様になる敬礼のやり方や、こうした戦場のルールを、ノエインは元傭兵団長であるユーリからあらかじめ学んでいた。それが早速役に立ち、相手の名前や立場を聞き出すことに成功する。


「先ほど部下の徴募兵たちを食糧受け取りのためにこちらにやりましたが、何か行き違いがあったようで……受け取る食糧の量に誤りがあったらしいのですが」


「こちらは渡す物資の量を誤ってなどいない。卿の領軍と王国軍兵士たちの分は三食の三週間分を渡したし、獣人どもの分も死なない程度は渡しているはずだ」


「死なない程度ではなく、獣人たちの分まで三食分をいただけなければ困ります。部下が提示した司令部からの書類にもそう記されていたはずです」


 人道的な理由以外にも、腹を空かせた兵士は弱くなり、兵が弱れば砦が落ちるという現実的な問題がある。王国軍の軍団長や派閥盟主たちで構成される司令部が、わざわざこんなときに獣人差別のためにここまで非効率的な措置を取るはずもない。


 つまりこれは、このデラウェルド男爵の個人的な嫌がらせだ。獣人たちや、北西部の下級貴族であるノエインが嫌な目にあうのが面白い……というだけのことだ。


 そして、上層部の目が届きづらい末端ではこういう嫌がらせが起こり得るのが、貴族閥の対立や獣人差別が続くロードベルク王国の悲しい現実だった。


「くどい! この物資は我ら南西部貴族が地元商人の伝手を使い、苦境の中でかき集めた貴重なものだぞ。それをなぜ獣人の腹を満たすために使わねばならんのだ!」


「ですが軍がそう定めています。どうか誠実なご対応を……」


 そこまで言って、ノエインは言葉を切って咄嗟に目を閉じた。デラウェルド男爵の取り巻きの一人が一歩前に進み出て、ノエインに向かって拳を振り上げたためだ。


 ノエインの顔に向かった打撃は、しかしその手前でマチルダによって阻まれた。


 素手の拳がマチルダの腕の手甲にぶつかる鈍い音が響き、鉄製の手甲をもろに殴ってしまった取り巻きは「ぐうっ!」と痛そうにうめく。


「なんだこの女は! 私も部下たちも歴とした貴族だぞ! 獣人奴隷の分際で……」


「彼女は私の護衛です。それにその方が勝手に手甲を殴っただけで、彼女は何もしてませんが」


「黙れ! くそっ、これだから北部貴族は……こんなところまで愛玩動物を連れてきて、あまつさえ自分を守らせるとは。貴族の誇りはないのか? 何のために戦場に来た? 砦の中で兎相手に腰を振るためか?」


 侮蔑の目を向けて言うデラウェルド男爵を、ノエインも目をスッと細めて睨んだ。


「そうやってこちらの護衛を侮辱するわりに、あなたの取り巻きも随分と頼りなさそうですね。寄り子は寄り親に似るということでしょうか。そこの彼、僕を殴り損ねた手はまだ痛みますか?」


 挑発に挑発で返された男爵は、血管が切れるのではないかと思うほど顔を赤くしながら腰の剣に手をかけた。


「言うに事欠いて貴様ぁ!」


 男爵に続いて取り巻きたちも剣を抜こうとする。それに対して、ノエインのゴーレムたちが威嚇するように両腕を振り上げる。


 鈍重なはずのゴーレムがいきなり素早い動きを見せたことで、男爵と取り巻きたちは度肝を抜かれて怯んだ。


 一触即発の騒ぎに、周囲も何事かと目を向ける。


「……とりあえずこの件は私から直々にベヒトルスハイム侯爵閣下にお伝えさせていただきます。閣下をお連れして再びこちらへ参りますので、それまでお待ちいただきますよう」


「な、何を馬鹿なことを! たかが士爵の貴様に北西部閥の盟主がいちいち取り合うわけがなかろうが!」


「それが取り合ってもらえるんですよ」


 ゴーレムを警戒しつつもそう声を上げたデラウェルド男爵に、ノエインはヘラヘラと笑いながら言い放つ。


「北西部貴族の軍が持ってる新種の弓みたいな武器がありますよね。あれ、うちの領で開発されて北西部に広まったものなんです。その過程でベヒトルスハイム閣下には僕も特別に目をかけていただいて」


 クロスボウの話を出すと、見かけた覚えがあったのかデラウェルド男爵もハッとした表情になる。


「僕が一士爵でありながら200人以上の徴募兵を充てられたのも、ベヒトルスハイム閣下が直々にご采配をくださったからなんです。それなのに閣下のご采配を無下にするような行為をあなたの一存でしたら、どうなるでしょうね。ああ、あと僕は北西部の重鎮であらせられるケーニッツ子爵閣下の義理の息子です」


 ノエインが淡々と話すほどに、デラウェルド男爵は顔を青くしていった。


 ノエインがただの底辺弱小貴族ではなく、北西部閥の大物とズブズブに繋がっていると理解したらしい。そして同時に、ノエインがこの揉め事を「北西部閥対デラウェルド男爵」という構図に発展させようとしていることにも気づいたようだ。


「そういうわけで、ベヒトルスハイム閣下に伝えてきますね」


「ま、待たれよ!」


「待ちません。では」


「待たれよ! 待たれよ……分かった! 食糧の受け渡しに誤りがあったと認める! 不足分の食糧を渡すからどうか待ってくれ! 頼む!」


 先ほどまでの威張りっぷりが嘘のように情けない顔で懇願するデラウェルド男爵を、ノエインは大きなゴミでも見るかのような目で見上げた。ノエインを囲むマチルダやユーリ、ペンスも同じように男爵とその取り巻きを睨む。


「最初からそう言えばよかったんですよ。こっちも急いでるので、早いとこ出してくださいね」


・・・・・


 十分な量の食糧を抱えて帰ってきたノエインたちを、フレデリックは少し驚いたような表情で迎える。


「無事に食糧を受け取れたようでよかった……よく素直に出してもらえたな。少し心配していたんだが」


「意外と簡単でした。僕が仲良くさせていただいてるベヒトルスハイム閣下やケーニッツ閣下の顔を立てると思って何卒、とお願いしたらあっさり」


「……なるほど、つまりは派閥の重鎮方の名前をちらつかせて脅したわけか。君も意外としたたかだな」


 ニッコリと笑って言ったノエインに、フレデリックも苦笑を返す。


「よし、それでは急いで食糧を荷馬車に積みこもう。ボレアスたち、頼むぞ」


「分かりました……士爵様、俺たち獣人なんかのためにありがとうございました」


「いいさ。君たちはこれから一緒に戦う仲間だからね」


 食糧の積み込みは問題なく終わり、ノエインたちは昼過ぎにはバレル砦へと出発した。

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