第104話 緒戦①

 ノエインたちがバレル砦に到着して4日後。本隊が敵の主力と戦闘を開始したという報せが要塞地帯に届いた。


 報せを受けて、それぞれの砦は本格的な戦闘準備に入る。もちろんバレル砦も例外ではない。


 城壁の上には全方位に向けて見張りが立ち、兵士たちはいつでも戦いに臨めるよう武器を常に身近に置き、覚悟を決める。出会った当初は疲れた様子だった徴募兵たちも、この数日しっかりと食事をとったことで体力は回復していた。


 ノエインも、防刃仕様のローブと頭を保護する兜という魔法使いの戦装束に身を包んでいた。その傍らには胸当てや手甲、戦闘靴などの武具を身に着け、盾を持ったマチルダが立つ。


「ノエイン殿、あまり緊張していないようだな?」


「そうですね……意外と冷静だなと自分では思います。以前に大規模な盗賊団と戦った経験があるからでしょうか」


「そういえば、そんな話を父からも手紙で聞いていたな……本格的に戦った経験があるのなら、落ち着いて構えられるのも納得だ。共に戦う身としても頼もしいよ」


 フレデリックの語り口を聞くに、彼は盗賊騒ぎに関するノエインとアルノルドのひと悶着を知らないようだった。これから戦友となる相手にその父親との因縁をわざわざ話す意味もないので、ノエインは何も言わずに微笑んで見せる。


「これまでにも話したように、敵も最初は奇策をとらず正攻法で攻めてくるだろう。まずは様子見がてらに一度ぶつかって、互いの戦力を探り合うことになる」


 そう話すフレデリックとそれを聞くノエインがいるのは、砦の中心にある本部の建物内、やや広い一室だ。司令室として使われているここには、他にもフレデリックの副官やユーリ、ペンスといった士官クラスの人間が集まって今後の動き方を確認している。


「だが、ある意味ではこの緒戦が最も重要だ。バリスタやクロスボウをうまく使って敵の度肝を抜かせれば、それ以降の襲撃を渋らせることができる。運が良ければ、敵はこちらの前に陣取るだけで攻めて来なくなり、睨み合っているだけで戦いを終えられるだろう」


 こちらの各砦に対応するために敵も戦力を分散させるので、バレル砦が対峙する敵の人数は限られる。攻城戦を仕掛けても勝ち目なしと敵が判断したら、お互い攻めも逃げもしない膠着状態のままで楽に終戦を迎えられる可能性もあるのだ。


「なので、アールクヴィスト領軍の面々のご活躍を期待している」


「お任せください」


「徴募兵たちのクロスボウ訓練もできる限り重ねましたから、あとは敵を前に怖気づかなければ、あいつらも十分な働きができますよ」


 フレデリックに目を向けられて、ユーリとペンスがそう応えた。


 と、その時。


「敵襲! 敵襲ぅー! 西側よりランセル王国軍が接近!」


 本部建物の横にある物見台の上から、見張りに立っていた王国軍兵士がそう叫んだ。その声とともに、敵襲の合図である鐘がけたたましく鳴らされる。


 司令室にも緊張が走る。


「……来たか。では各々、武勇を示そう」


 フレデリックの言葉を合図に、ノエインたちは自身の配置に向かった。


・・・・・


 ランセル王国で男爵家当主を務めるその男は、今回の戦争で要塞地帯の攻略部隊のひとつを任されていた。


 彼が攻めるのは、敵であるロードベルク王国の最前線の砦でも最小のひとつ。間諜からの情報によると「バレル砦」という名前が付いているらしい。


「これだけの兵力で砦ひとつを攻めろとは……陛下もなかなか無茶を仰られる。攻城戦は三倍の兵力を以て臨め、という戦の常識をご存知でないのか」


「そう仰られますな、閣下。ロードベルク王国は要塞地帯に重きは置いていないでしょう。敵兵の練度も知れているはず。必ずや戦果を上げられますぞ」


 男が自らの損な役回りをぼやくと、側近の士官が言う。


「まあ、それもそうか。戦う前からぼやいていては戦の神に見放されてしまうな……」


 そう呟きながら、男は自身の手勢として目の前に並ぶ兵士500人を、そしてその先にあるバレル砦を眺める。


「よし、前進!」


 男の命令で、一度停止していた500の軍勢が再び進み出す。


 砦を見やると、城壁の上に敵兵が並び、迎え撃つ準備をしているのが分かった。


「閣下、敵兵は獣人ばかりのようですな。おそらく徴募兵です、弓も剣もまともに扱えますまい」


「ああ、そのようだ……そんな奴らが配置されているということは、敵は弱軍だろう。この戦い、もらったな」


 難しい任務を与えられてしまったと考えていたが、この様子なら十分に武功を立てられそうだと、男はほくそ笑む。


 砦に十分に近づいたところで、男はまた軍を停止させた。


「弓兵、構え!」


 その指示を受けて、隊の左右に分かれて配置されていた弓兵、総勢100が弓を構えた。


・・・・・


「敵はやたらと余裕ぶって近づいてくるね」


「相手方はクロスボウを知らないでしょうからね。こっちに弓がほとんどないと思って油断してるんでさあ」


 ノエインが傍らのペンスに話しかけると、ペンスもそう返す。


 二人が立つのは砦の西門より右手側の城壁の上。ここに並ぶ50人ほどを指揮するのが役目だ。とはいえ、兵たちに実質的な命令を下すのはペンスで、ノエインは高みの見物をするだけだが。


 門を挟んで反対側ではフレデリックと彼の副官が、こちらも50人ほどの徴募兵を指揮する。


 こうして小柄な獣人たち100人が城壁の上で敵を撃ち、下では大柄な種族の獣人たち100人が腕力を活かして素早くクロスボウを装填する……というのがノエインたちの考えた配置だ。


 そして、門の後ろではアールクヴィスト領軍の兵士たちが、ユーリの指揮のもとでバリスタを撃つ準備をしていた。


 ノエインがペンスと話している間にも敵は近づいて来て、やがて停止すると弓を構える。


「矢が飛んで来るぞ、盾の用意!」


 フレデリックが指示を飛ばし、士官たちも「盾を構えろ!」と口々に叫ぶ。それに合わせて兵士たちが身を隠すように木盾を掲げる。


 マチルダがノエインを庇うように抱き包み、自分ごと盾で覆い隠す。


 次の瞬間、一斉に空気を切る音が敵側から響いたかと思うと、矢が砦に降り注いだ。


「うわああっ!」


「ぎゃあっ!」


「落ち着け! 怯むな! あの距離じゃ盾は貫けねえ! ただのこけおどしだ!」


 浮足立つ獣人たちにペンスが怒鳴る。門を挟んだ反対側でも同じような光景がくり広げられているようだった。


 ペンスの言葉通り、矢はほとんどが兵を外し、当たったものも盾に弾かれるか突き立っただけで止まる。


「死傷者はいるか!」


「城壁の下で一人、盾で隠し損ねた足に矢を食らった奴がいます!」


「よし、じゃあそいつは医務室に行っていい……あとは戦闘準備! クロスボウを構えろ!」


 大した被害がないことを確認し、ペンスはすぐさま次の指示を飛ばした。


 多少のもたつきがありつつも、獣人たちは各々のクロスボウを構えて敵を見る。牽制の矢を撃ち終えた敵は、武器を構えてこちらへ突撃を開始した。


「ノエイン様、従士長に伝えてください。あと10秒ってとこです」


「分かった……ユーリ、あと10秒だって」


『了解だ』


 ペンスに言われてノエインが伝えると、ユーリの返事が脳内に直接響く。


 戦場で喧騒に邪魔されず会話ができるように、ノエインはバリスタ隊を率いるユーリと「遠話」を繋いでいるのだ。


 下から「門を開けろ!」というユーリの声が聞こえ、分厚い木製の門が開かれるのが分かった。


「あと5秒」


『よし、あとはこっちの判断で撃つ』


 バリスタの角度や爆炎矢の飛距離をもとに、敵がどの位置に来たら発射すべきかは事前に計算してある。上から敵を見ているノエインとペンスの報告をもとに、


「放てっ!」


 ユーリは絶妙なタイミングで2台のバリスタから爆炎矢を発射させた。


 先端に魔道具を取りつけられた二本の極太の矢が、一塊になって突っ込んで来る敵軍のど真ん中に着弾。その刹那、炎がまき散らされる。


 直撃を受けた数人が火だるまになり、さらに周囲の兵にも炎が燃え移って大混乱が生まれるのが、城壁の上からよく見えた。


「うわー、熱そー」


「……生身の人間相手だと、えげつなさが際立ちまさあ」


 呑気に感想を漏らすノエインと、顔を引きつらせて言うペンス。


 敵の阿鼻叫喚を見る獣人たちの間にもざわめきが起こり、「あっち側じゃなくてよかった……」という誰かの声が漏れ聞こえてきた。国境近くに集落を作っていた彼らは、ランセル王国側に連れて行かれて徴兵される可能性もあったのだ。


「大成功だねユーリ。さすがに百人隊を丸焼きとはいかなかったみたいだけど」


『よっぽど風向きなんかの条件が良くないとそれは無理だな。だが初戦果としちゃあ上出来だろう』


 焼かれた敵兵は目算でざっと30人ほどだろうか。しかしその数字以上に、敵に与えた心理的ダメージは大きいはずだ。

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