第74話 アールクヴィスト領婦人会①
年も明け、冬も厳しさを増す1月。アールクヴィスト士爵家に仕える従士マイは、ある催しを開こうとしていた。
かつては傭兵団の一員として戦いの中を生きてきたマイだが、従士長ユーリの妻となり、冬前には第一子の男児を出産して子育てに励む身となってからは、既に自分が「戦う人間」ではなくなったと感じていた。
今でも最低限の鍛錬は続けているが、家庭を持ち、育てるべき子を持ったことで、自分が前線に復帰することはもうないだろうと悟っていたのだ。
そこで従士として自分にできることを考えた結果、マイが立ち上げたのが「アールクヴィスト領婦人会」である。今日はその活動の第一回として、立食形式での食事会が開かれようとしていた。
会場は領都ノエイナの中央広場。空は晴れて日差しもあり、暖を取るための焚き火がいくつも用意されているので、冬の屋外でも寒さはそれほどでもない。広場にはテーブルが並び、料理や酒が並んでいる。
「えー、それじゃあ、今からアールクヴィスト領婦人会の食事会を開催します。今日は従士も、平民も、奴隷も、立場や身分に関係なく交流しましょう。新しい友人を作って、旧知の友人とはさらに仲を深めて、私たち女性の結束を強めることでアールクヴィスト領の社会に貢献していきましょう。乾杯」
マイがそう宣言して杯を掲げると、食事会に参加する女性たちも声を上げた。
難民を中心として成り立ってきたアールクヴィスト領では、家庭の運営や子育てについて本来頼れるはずの母親や姑がいない女性が大半だ。
一昨年に結婚して既に子どものいるマイなどはもちろん、昨年結婚してこれから子を持つであろうアンナやジーナ、ミシェルといった新妻たちも心細い思いをする場面があるだろう。
そうした問題を改善するために、マイはこの婦人会を立ち上げた。その目的は、主に子育てや家庭生活における悩み、そしてノウハウを共有し、お互いに助け合うことだ。
女性従士の中でも古参であるマイが、自身にできる貢献のかたちを考えた結果がこの婦人会だった。その意義が認められ、領主であるノエインからもこの食事会の運営予算が下りている。
「女性たちの互助組織を作るって、すごく斬新だけどいい考えですよね」
「本当ですね。私はこの領に移住したばかりですし、バートさんは家を空けることも多いので……他の女性の皆さんと交流できるのは助かります」
「そう言ってもらえると開催した甲斐があるわ。今日は女同士、話したいことを遠慮なく話しましょう。家庭への愚痴でも夫との惚気でも、何でもありよ?」
エドガーと結婚したアンナ、バートの妻となったミシェルにマイはそう笑いかける。
女性の互助組織とは言っても、今のところは緩やかな共同体だ。気負うことなく交流して仲良くなることが最大の目標だった。
「2人は今のところ夫婦生活の悩みはないの?」
「悩み、ですか……今のところはないですね。エドガーさんはすごく誠実で優しいし」
「私も、バートさんにはまるでお姫様みたいに優しく接してもらってます」
「あら、ミシェルいいじゃない。そういう話もっと聞きたいわ」
友情を深めるために最も手っ取り早い話題は恋の話。それは世代や性別に左右されない不動の真理だ。
「で、でも、ちょっと恥ずかしいですう……」
「今日は照れずにお互い赤裸々に話しましょう。私もユーリの家庭内での振る舞いを話しちゃうから」
「えっ、ユーリさんのですか?」
「そ、それはちょっと気になります……」
普段は従士長として堂々とした立ち振る舞いを見せ、ノエインとも率直な意見を交わし合って頼れるユーリ。その家庭内での顔というのは、アンナとミシェルも興味を引かれた。
「あの人ね、家だと意外と甘えん坊よ? 傭兵時代から、普段は強い男でいないといけない反動で私と2人だとすぐにくっつきたがってたの。今も変わらないわ」
「へえ~」
「ちょっと意外です……」
「でしょ? おまけにヤコフが生まれてからは帰って来て真っ先に抱っこして、変顔をして見せてあやしてるの。その後で今度は自分が私に甘えてくるんだから、大きな子どもと小さな子どもを同時に面倒見てるみたいだわ」
ヤコフはユーリとマイの息子の名前だ。
「ユーリさんも可愛いところがあるんですね」
「男の人はいくつになっても甘えん坊だってバートさんが言ってましたけど、本当なんですね」
「私がこの話をしたこと、あの人には内緒ね?」
意外そうな顔をするアンナとミシェルに、マイはそう言っていたずらっぽく微笑んだ。
「アンナ、エドガーはどうなの? 何か意外な一面とかあるの?」
「エドガーさんは……ほとんど結婚前の印象のままですね。いつも自分を律して、農民の皆の手本になろうと気合を入れて、って感じです」
「見たまんまなのね……正直な人」
従士たちの間でのエドガーの評価は、良くも悪くも「クソ真面目」だ。感心する反面、たまには気を抜いてだらしなくしたっていいのにと心配になるほどである。
「でも、私がたまに気遣って『無理してない?』って頭を撫でてあげると、『私は大丈夫だ』って言いながらすごく締まりのない顔になるんです。本人は表情を引き締めてるつもりみたいですけど」
「何それ、すっごい面白いじゃない……」
「エドガーさんも甘えん坊ですか……やっぱりバートさんの言葉は真理でした」
アンナの暴露を聞くマイとミシェルの目は輝いていた。
「それでミシェル、さっきも聞いたけど、バートは家でも相変わらず王子様やってるのよね?」
「王子様……はい、ほんとにそんな感じです。毎日『今日も可愛いよミシェル』『君の料理は世界一だよ』『君がいるから頑張れるよ』って……あんなに褒められてばかりだと、ほんとに自分がお伽噺に出てくるお姫様になったみたいです」
「うわあ……」
「さすが優男ですね」
バートの女たらし時代を知るマイはやや引いた顔を見せ、レトヴィクでの彼の人気ぶりを実家から聞いていたアンナは苦笑いする。
「でも、いつまでもフラフラしてて心配だったバートもようやく生涯の伴侶を見つけて幸せにしてるならよかったわ、傭兵時代からの同僚として」
「そういえば、元傭兵の人たちの中でペンスさんだけは恋愛関係の話を聞きませんね?」
アンナがふと浮かんだ疑問を口にすると、マイは顔をしかめた。
「ペンスさんね……どうするのかしらね、あの人」
「モテないんですか? ペンスさん」
「いつも領都ノエイナ内を見回ってくれて頼もしいと思いますけど……」
「確かに仕事は何でもそつなくこなせる小器用な人だけど……何て言うか、隙がない? 可愛げがない? のかしら。昔から何故かモテないのよね。男としては全然悪くないと思うんだけど」
そう言ってマイがため息をつくと、
「ところがですねっ! 朗報があるんですよっ!」
とメアリーが会話に乱入してきた。彼女の後ろにはメイド仲間のキンバリーとロゼッタもいる。
「朗報って、ペンスさんの恋愛関係に進展があったってこと?」
「まだペンスさん本人は気づいてないみたいですがっ、ペンスさんに好意を持ってる女の子が現れたのですっ!」
「それって……」
マイたちがメアリーの後ろを見ると、ロゼッタが顔を赤らめてモジモジしながらキンバリーの後ろに隠れている。
「ろ、ロゼッタのこと!?」
それを見て全てを察したマイは、意外な恋の芽生えに思わず声を上げたのだった。
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