第73話 晩餐会のその後②

「容易には切り捨てられない重要な貴族家、か……」


「はい。仮に私が『盗賊討伐を果たした優秀な若手貴族』として北西部閥に迎えられたとしても、所詮は士爵。もしもいつか私がキヴィレフト伯爵と対立することにでもなったら、あなた方に切り捨てられる可能性がないとは言えません」


 そんなことはない、派閥の仲間として守ってやる、とベヒトルスハイム侯爵は言いたかったが、北西部閥の盟主という重責のある立場がそれを許さなかった。


 キヴィレフト伯爵が属するのは王国南東部の派閥だ。鉱山開発を主産業とする王国北部と、海洋貿易が盛んな南部は気風が違うので伝統的に仲が悪い。


 もしアールクヴィスト領とキヴィレフト伯爵領が対立すれば、それがそのまま北西部閥と南東部閥の対立に発展することもあり得る。


 そして、南方大陸との貿易で栄えている分、この王国は南部の方が北部より発展している。本格的な紛争になれば北西部の方が分が悪いのだ。そうなれば、アールクヴィスト領を切り捨ててでも北西部全体の安定を保つ可能性もあるだろう。


「だからこそ、私は多くの手土産を提供し、王国北西部の軍事的・社会的な発展に貢献することで、北西部閥の中でも中心的な貴族の一人となることを試みたのです。人脈が皆無の状態から派閥の重要人物へと躍進するために、クロスボウとジャガイモは最初から捧げるつもりでした」


「なるほどな……確かに、クロスボウとジャガイモによってこの北西部が様変わりすれば、お前の北西部閥での立場は盤石なものになるだろう」


「はい。それに、どうせクロスボウとジャガイモのことはいつか領外に漏れたでしょうから。下手によく知らない貴族に知れ渡る前に、近しい派閥に提供していち早く広めるべきだと考えました。強くなるのは遠くの他人より近くの友人の方がいい」


 ノエインの笑みが少しいたずらっぽいものに変わる。


「さらに併せて申し上げれば、強力な武器の普及と安定した食料供給手段の確立によって北西部が発展し、他の派閥を上回る権勢を得ることも狙っています」


「北西部そのものを自領の強靭な盾とし、さらに派閥の中で重要な立ち位置を得ることで、安寧を手にしたい。そういうことか」


「率直に申し上げてしまえばそういうことになります。これが私の嘘偽りない真意であり、これからもこの考えのもとに我が領で生み出された技術や知識を派閥に提供させていただくつもりです」


 つまり、ノエインは北西部閥に「強くなって自分を守る後ろ盾になってくれ。そのための技術や知識は差し出す」と言っているのだ。


 それは随分と上から目線の生意気な考え方だったが、辺境を開拓しながらわずか2年足らずでクロスボウを量産し、さらにジャガイモの効率的な栽培方法を確立した手腕を見れば、決して大言壮語ではなかった。


「……はっはっは! お前の考え方は面白いな! 過剰なまでに自領の安寧を求める姿勢はひどく臆病にも見えるが、その安寧を得るために利益の種を思い切りよく手放す決断力は勇敢にも思える。貴族らしくはないが、気に入ったぞ」


「ありがとうございます。私は出自からして貴族らしくありませんから。ただ自分と領民の平和を守り、幸せに暮らしたいだけなのです」


「そうか。では私が北西部閥の盟主としてお前の安寧を守ろう。そのためにお前から派閥へと差し出される技術や情報も有意義に使わせてもらおう。共に北西部閥を発展させていこうではないか」


「はい、私はまだまだ若輩の身ではありますが、北西部閥の力になれるよう尽力して参ります」


 ベヒトルスハイム侯爵とノエインは、しっかりと互いの目を見ながら力強い握手を交わした。


・・・・・


 貴族たちとの契約、ベヒトルスハイム侯爵との対話、さらに侯爵から誘いを受けての夕食を終え、ノエインとマチルダが宿に帰ったのは夜も遅くなってからだった。


「ノエイン様、お帰りなさいませ~」


「随分とくたびれた顔でさあ」


 出迎えてくれたのはロゼッタと、宿での今日の護衛当番であるペンスだ。


「疲れたよ……ほんとに疲れた。今日はもう無理、何もできない。貴族たちとの契約だけでも疲れたのに、その上でベヒトルスハイム侯爵から腹の内を探られたんだもん。あんなに緊張したのは初めてだったよ」


 そう言いながら外套を脱ぎ散らかし、ドカッとベッドに倒れ込むノエイン。


「そんなにベヒトルスハイム侯爵って手強かったのか?」


「はい。私から見ても、ケーニッツ子爵がほんの雑魚に思えるほどに手強い方だったかと。何が何でもノエイン様から真意を引き出すという気迫を感じました」


 本気で参っているノエインを横目にペンスが聞くと、マチルダはそう応えた。


「そうか……そいつは大変でしたね。お疲れ様でした」


「ありがとうペンス……まったく、北西部閥の盟主様は怖いね。さすがはこの地方随一の大貴族だ。あれが無事に味方になったからよかったけど」


 ベヒトルスハイム侯爵が建前よりも実利を重んじる気質だったからよかったが、「下級貴族の身で派閥を利用しようとするなどけしからん!」などと言うタイプの人間だったらノエインの思惑もパーである。


 ケーニッツ子爵から事前に侯爵の人となりを聞き、晩餐会で実際に本人の人柄を見定めた上で今日の会話に踏み切ったのであまり心配はしていなかったが、それでもいざ結果が出るまでは油断はできない。大貴族の逆鱗がどこにあるのかなどノエインには分からないのだから。


「領主様って大変です~」


「まったくだ。俺には絶対に真似できねえ」


「僕だってできることなら面倒な社交なんかせずに、ずーっと領都ノエイナに引きこもってたいけどさ。うちはまだまだ小領だから、他貴族との繋がりも強めないといけないんだよね……今回の成功でこれからはだいぶ楽になると思うけど」


 北西部閥の盟主に認められ、派閥の所属貴族たちにも恩を売り、この派閥の中で強い立場を手にした。これでノエインは無名の木っ端貴族から、地方で一目置かれる有力貴族へと躍進したのだ。


 気苦労は多かったものの、この度の晩餐会への参加と、ベヒトルスハイム侯爵との対話は大成功と言えるだろう。


「にしても……僕が一生懸命働いてる間に2人とも随分とベヒトリア観光を楽しんだみたいだね。休日をあげたのは僕だけどさ」


 ノエインの帰りを待つ間、夜食として焼き菓子らしきものと独特の香りのするお茶を楽しんでいたペンスとロゼッタに、ノエインはジトッとした目を向けながら言う。


「いやあ、おかげさまで大都会を満喫しましたよ。土産もこの通り」


「ノエイン様とマチルダさんもお茶とお菓子いかがですか~?」


「もらうよ。マチルダも隣においで」


「はい、ノエイン様」


 マチルダを横に侍らせてモソモソと焼き菓子を頬張りながら、ノエインはようやく一息ついて一日の疲れを癒すのだった。


・・・・・


 晩餐会出席のために領都ノエイナを発ってからちょうど10日後。そろそろ年の瀬と言える時期に入って、ノエインの一行は無事に領都ノエイナへと帰還した。


「愛しの我が家だー!」


「帰ってきましたね~!」


 屋敷の前に到着した馬車の扉が開き、はしゃぎながらノエインが飛び降りる。その後には同じくはしゃいだ様子のロゼッタが続き、最後にマチルダがいつもの無表情で降りた。


「領主様の久々のご帰還のわりには随分と子どもっぽい登場だな」


 いつもの如く呆れ顔でそれを出迎えたのは、ノエインが不在の間、領主代行を務めていた従士長ユーリだ。


 彼以外にも、ノエインの留守中に領地運営を担っていた部下たちが出迎えに並んでいる。メイドとして屋敷を維持管理していたメアリーとキンバリーもいた。


「だって、領主になってからこんなに長くアールクヴィスト領を離れたのは初めてだったんだよ? 領地が恋しくもなるさ」


「そうか。まあひとまず無事で何よりだ。従士たちへの報告はどうする?」


「せっかく皆集まってるんだし、今からやっちゃおうかな……とりあえず一言でいうなら、大成功だったよ」


「それは何よりだな」


 ヘラヘラと笑うノエインは、ユーリ以外の出迎えの面々からも声をかけられる。


「ノエイン様、お帰りなさい」


「お疲れさまでした。大勢の貴族との社交は大変だったでしょう」


「ありがとう。成果は大きかったけど、確かにかなり大変だったね。もう当分はやりたくないかな」


 アンナとエドガーから労いの言葉を受けて、そう愚痴をこぼす。


「私、ノエイン様が不在の間も頑張りました! 新しい報告もあるんです!」


「クロスボウ、いつでも輸出できるように作りまくってますよ!」


「2人ともお疲れさま。仕事熱心なのは嬉しいけど、ちゃんと寝てる?」


 相変わらずワーカーホリック気味で、目が少しギラついているクリスティとダミアンを逆に労う。


「ノエイン様っ! お屋敷はばっちり綺麗にしてます!」


「ご休憩も湯浴みもお食事も、お望みのときになさっていただけます」


「ご苦労様。ロゼッタが2人にお土産をたくさん買ってたみたいだから、楽しみにしておくといいよ」


 元気なメアリーと生真面目なキンバリーにそう微笑む。


 自身を慕う従士や奴隷、使用人たちに囲まれながら、ノエインは屋敷に入った。


 ノエインにとって初めての本格的な外交は、こうして大きな成果と疲労を伴って終わったのだった。

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