第72話 晩餐会のその後①
「お待たせしました、季節の果物のタルトです」
ベヒトリアの大通りに面した喫茶店のテラス席で、店員がそう言いながらテーブルに置いたのは、何種類もの果物を乗せ、生地にもバターや砂糖を贅沢に使ったタルトだ。
「わあ~、すごいです~!」
それを見て感嘆の声を上げたのはロゼッタだった。
「たかが菓子によくもまあ高い金を払えるもんだな」
テーブルを挟んだ反対側では、ペンスが呆れたようにタルトとロゼッタを見ている。彼の前にはお茶だけが置かれていた。
菓子は高い。貴重な果物やバター、砂糖を使っているのなら尚更だ。このタルトも、田舎領のごく普通のメイドであるロゼッタにとっては相当な高級品だった。
「だって~、こんな贅沢なお菓子、きっとレトヴィクでもなかなか見られないですよ~。私はペンスさんと違って滅多に領都ノエイナから出られないんですから、お給金はこういうときに奮発して使わないと」
そう言いながらロゼッタは豪華なタルトにぱくつき、ペンスは「まあ、好きにすりゃあいいさ」と呟きながらお茶を啜る。
ノエインの旅に同行していた従士たちも、メイドのロゼッタも、今日は休暇をもらっていた。
若い女性で、おまけに都会慣れしていないロゼッタが一人だけで行動するのは危ういということで、ペンスが彼女の警護……もとい、お目付け役を言い渡されてこのような状況になっている。
今ごろはラドレーとバートもベヒトリアの商店街を巡り、妻への土産でも買っているのだろう。
「ペンスさん、私のためにごめんなさい。本当はラドレーさんたちと一緒に街を回りたかったですよね~?」
「気にすんな。大方あいつらは嫁への土産を何にするか悩んでるところだろうからな。そんな面倒な買い物に付き合わされるなんて俺もごめんだから、これでいいんだよ」
「……ペンスさんって、優しいんですね~」
ペンスから気遣われたと思ったのか、ロゼッタはにんまりと笑いながらそう言った。
「そんなに優しいのにどうしてペンスさんはお嫁さんがいないんですか~?」
「お、お前、人が一番気にしてることを……他の奴らに言わせれば、俺は小器用だから可愛げがねえんだと。面倒見る甲斐がないらしいぜ」
ロゼッタの言葉に心を抉られながら、ペンスはブスッとした顔で返す。
「そうなんですか~? でも、それって逆に言えば何でもできて頼れるってことですよね~? 私だったらむしろ素敵だと思います~」
「そうか、ありがとよ……」
「お世辞じゃないですよ~? 私は家事しかできないし、いつも周りからおっとりし過ぎって言われちゃうので、ペンスさんみたいな頼りになる人が旦那さんになってくれたらいいな~って思います」
「ははは、そいつは嬉しいね。お前があと5年早く生まれてたらその言葉も本気で受け取ったんだがな」
やっと成人した歳のロゼッタに対して、ペンスはもう30歳近い。場合によっては親子でもおかしくない年齢差だ。
なのでペンスはロゼッタを軽くあしらい、お茶を啜りながら賑やかな大通りを眺める。
子ども扱いされたロゼッタが不満そうに頬を膨らませていることに、ペンスは気づかない。
・・・・・
従士とメイドたちが休暇を満喫している一方で、その主であるノエインは今日も働いていた。
「昨日の今日にもかかわらず、こうして契約の席を設けてくれて感謝するよ。アールクヴィスト卿」
「恐縮です、閣下。私も北西部閥の発展に有効な武器や物資はいち早く広めたいと考えておりますので、こうして早々に閣下と契約を交わせて嬉しく思います」
晩餐会から一夜明けた午後。ノエインは北西部閥に所属する、とある男爵家当主とそう言葉を交わして握手した。
ノエインが今日こうして面会しているのは、彼で24人目だ。顔に微笑を張り付けてはいるが、本心では「挨拶はいいから早く帰ってくれ」と思っている。
本来ならアールクヴィスト領に帰還してから各領主に遣いを送ってもらい、契約書を往復させてからクロスボウとジャガイモを売る予定だった。
しかし、晩餐会でのデモンストレーションがあまりにも大きな反響を呼び、「すぐにでも契約してほしい」という声が相次いだため、こうして翌日には北西部閥の全貴族と順番に面会しているのだ。
ノエインとしては、屋敷の応接室を提供し、さらに自身の文官たちまで契約書をしたためる人手として貸してくれたベヒトルスハイム侯爵に大感謝である。
「……次は誰だっけ?」
男爵の退室を見届けてから、微笑を取り払ったノエインは言う。
「アルゼント子爵の予定になっています、ノエイン様」
「そっか、ありがとうマチルダ……アルゼント子爵か、確か領地はマルツェル伯爵領の南側だったっけかな」
そう言いながらノエインは各貴族の情報を記したメモを開いた。
ノエインの後ろで護衛に就き、さらに契約手続きのサポートまで務めているのはマチルダだ。
本来なら同行した全員に休暇を与えたかったノエインだったが、貴族たちと契約を交わすとなっては自分の側に誰も従者がいないわけにはいかない。基本的に貴族は一人では行動しないのだ。
マチルダが「ノエイン様がお仕事をされるのに私がお休みをいただくわけにはいきませんし、ノエイン様と一緒に休暇を楽しめないのでは意味がありません」と言ってくれたので、今日は彼女に付き添ってもらっていた。
ほどなくして25人目の契約相手……アルゼント子爵が訪ねてきて、手短に契約を交わす。
次はとある男爵、次は士爵、次はまた男爵、次は準男爵、さらに子爵……とその後も10人以上の貴族と契約を交わし、誰がどこの閣下だったかで頭が混乱するほど多くの閣下と言葉を交わし、夕方になってようやくノエインは全ての契約手続きを終えた。
「だあ……つ、疲れた……」
「本当にお疲れさまでした、ノエイン様」
ノエインは人の家であることも忘れて応接室のソファに身体を沈め、マチルダも心の底から労いの言葉をかける。
「ありがとう、本っ当に疲れたよ……何せこれまでの人生で交わした契約より今日一日で交わした契約の方が多いんだからね……」
そう言いながら甘えるようにマチルダに両手を伸ばし、マチルダもそれに応えるように表情を崩してノエインに近づいたところで、
「アールクヴィスト卿、ようやく契約作業が終わったようだな」
と言いながらベヒトルスハイム侯爵が入室してきた。ここはベヒトルスハイム侯爵の屋敷であるから、彼がいきなり入ってきたのを咎めることなど到底できない。
ノエインは慌てて手を引っ込めて立ち上がり、マチルダも瞬時に顔を引き締めてノエインの横に控える。
それに気づかなかったのか、気づかないふりをしてくれたのかは分からないが、ベヒトルスハイム侯爵は特に何も言わずノエインの向かい側に座り、ノエインにも座るように促した。
「今日はありがとうございました、ベヒトルスハイム閣下。応接室だけでなく文官の方々までお貸しいただき、何とお礼を申し上げればいいか……」
「構わん。北西部閥の貴族たちが一刻も早くクロスボウとジャガイモを手にして領地の強靭化を図ろうとするのは喜ばしいことだからな。契約の場所くらい貸してやるのが盟主の器量というものだろう」
礼を述べるノエインに鷹揚に頷いたベヒトルスハイム侯爵は、表情は笑ったまま、スッと気を引き締める。
彼の纏う空気が変わったのはノエインにも分かった。
「……さて、アールクヴィスト士爵。私と少し話をしよう」
「はい、何でしょうか?」
どんな話をするのか何となく予想しつつも、ノエインは尋ねる。
「私も侯爵家の当主になってからは長い。これまでに多くの貴族と会ってきた。その中でもお前は異質だ」
「私も自分の奇特さは理解しているつもりです」
「はっっはっは! そうか、ならば話は早い……私は北西部閥の盟主だ。才気ある若者が派閥に加わったことは喜ばしいが、その若者が新技術や知識を惜しみなく提供してくる理由を知らねばならん」
口調は穏やかだが、ベヒトルスハイム侯爵の声には異様な迫力があった。有無を言わさず本音を引っ張り出す。そんな意思が込められた声だ。
「お前が北西部閥に加わる際の手土産は、盗賊討伐の戦果だけでも事足りたはずだ。はっきり言って、お前の持ってきたクロスボウとジャガイモは手土産としては大きすぎる。そんな土産を受け取った側として、その裏にある真意を見極める必要があるのだ。分かるな?」
「はい、分かります」
「そうか。では真意を明かしてもらおう……普通は自領で画期的な技術や知識を確立したら、それを簡単に他領に明け渡そうとはしないものだ。情報を抱え込んでしまえば自家の強い武器となるのだからな。それなのにお前は何故私たちに明かした?」
そう問いかけるベヒトルスハイム侯爵の目は鋭い。
「……それは私の貴族としての出自にあります。畏れながら閣下、私の出自はご存じで?」
「ケーニッツ子爵から聞いている。お前は『マクシミリアンの若気の至り』の結果なのだろう?」
久しぶりに憎き父の名前を聞いて、ノエインは思わず邪悪な笑みを浮かべる。その顔を見て、ベヒトルスハイム侯爵は眉を少し上げた。
侯爵が口にした『マクシミリアンの若気の至り』は、使用人に手を出して妊娠させ、未婚でありながら妾を持つことになったキヴィレフト伯爵を揶揄した当時の流行り文句だ。
「仰る通りです。元はキヴィレフト伯爵家の飛び地であったベゼル大森林の一片、そこを押しつけられるかたちで妾の子であった私は伯爵家を追い出され、アールクヴィスト士爵位を得ました。キヴィレフト伯爵にとっては、厄介な庶子と飛び地を同時に処分できる良い機会だったのでしょう」
「彼を父とは呼ばんのだな」
「私は既にキヴィレフト伯爵との縁は切れていますので。私の姓がアールクヴィストに変わった今となっては、あの方と私の繋がりを知る者も少ないですし、おいそれと父などと呼ぶわけにも参りません。それにあの方は嫌いですから」
平然とした様子で言うノエインに、ベヒトルスハイム侯爵は少しだけ同情の視線を向けた。しかし、マクシミリアンへの恨みを思い出しているノエインはそれに気づかない。
「そういった事情で、私には縋れる親族はいません。社交の場に出たこともなかったので、貴族としての知り合いすら皆無でした。おまけに我が領は2年前まではただの森。今も吹けば飛ぶような小さな村でしかありません」
200人の盗賊を壊滅させられる力があっても、アールクヴィスト領がまだ村ひとつの小領であることに変わりはない。
「なので、私は自領の立場を、貴族としての自分の立場を安定させる方法を模索してきました。幸いにも隣人に恵まれ、ケーニッツ子爵閣下とは一定の友好的な交流を続けてきましたが、それも大盗賊団という脅威を前にすれば反故にされる程度のものでした」
「だから、より強く大きい結びつきを得るために北西部閥に加わったというわけか? しかし、それでは過剰な手土産まで提供したことの説明にはならないだろう」
「いえ、私はただ北西部閥への加入を目的にしたわけではないのです……北西部閥にとって、容易には切り捨てられない重要な貴族家になることを目的にしていたのです。そして、それが今回で見事に叶いました」
ノエインはそう言いながら、にやりと笑った。
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