第56話 従士たちのロマンス①
「エドガーさん、もしかして緊張してる?」
「当り前さ。婚約者の家族に挨拶に行くのに、緊張しない男なんていないだろう」
領都ノエイナからレトヴィクへと向かう道すがら、馬車に揺られながらエドガーとアンナはそんな会話を交わしていた。
財務担当と農業担当という仕事柄、話し合いなどで何かと顔を合わせる機会の多かった2人は、冬明け頃には「早くくっついちゃえよ」「結婚しちゃえよ」と周囲の誰もが思うほど明らかにお互いを意識していた。
その後もじれったく距離を縮め、ついに先日エドガーがアンナに想いを伝えたのだ。周りからすれば「やっとかよ」と言いたくなるゴールインである。
そして、ノエインの計らいもあって何かと忙しい2人の休みを合わせ、今日はレトヴィクにいるアンナの家族に、エドガーの挨拶を兼ねた結婚報告に向かっていた。
エドガーにとっては、お義母さんとお義兄さんへのご挨拶だ。かつては故郷で村長家の嫡男としてリーダーシップを発揮し、今はアールクヴィスト領で農民たちのまとめ役を務めるエドガーとはいえ、緊張するのは無理もないことだった。
「大丈夫よ。エドガーさんが誠実で真面目なのは誰が見ても分かるから。うちのお母さんもきっと気に入ってくれるわ。それにマルコ兄さんはエドガーさんより年下よ?」
「ああ、俺もそんなに心配してるわけじゃないさ……だが、緊張するものはするんだよ、どうしても」
アンナにとっては久々の帰郷だが、エドガーとしてはワクワクしつつも不安も感じるイベントだ。
レトヴィクまでの距離はノエインから借り受けた馬車でわずか半日足らず。エドガーが不安を抱えてそわそわしているうちに、昼頃にはあっさりと到着してしまう。
「うふふ、いよいよね、エドガーさん」
「あ、ああ……楽しみだよ」
・・・・・
レトヴィクの西門からアンナの実家である食料品店まではほど近い。あっさりと店の前まで到着する。
「家を出て1年も経ってないのに、すごく久しぶりな気がする……」
感慨深げにそう呟くアンナ。
生まれてからずっとレトヴィクで暮らしてきたアンナにとって、アールクヴィスト領での日々は全てが新鮮で濃密だ。実家を出たのがもう数年前のことのようにも感じられる。
「とりあえず、ご家族に顔を見せて来たらどうだい? 私の紹介はその後でいいから」
「う、うん。ありがとうエドガーさん」
エドガーの気遣いに甘えて、アンナは馬車を降りると店の扉をくぐった。
「ただいま、お母さん、マルコ兄さん」
「いらっしゃ……あ、アンナ!?」
「うおっ、アンナじゃないか!」
いきなり帰ってきた娘を見て声を上げるイライザとマルコ。事前に連絡も受けていなかったので驚くのも無理はない。
「どうしたんだい急に! 士爵様のとこの仕事は?」
「ちょっと報告したいことがあって、今日はお休みをもらって帰ってきたの」
「そうだったのかい……あんた、雰囲気が変わったね。ちょっと大人の顔になったかね」
「なんだか喋り方も大人びたな。元気にやってるか?」
イライザもマルコも、アールクヴィスト領でのアンナの様子についてはノエインや物資輸送係のバートから聞いている。しかし、こうして久々に顔を合わせると感慨深いものがあった。
実家を出るときはまだあどけない娘の顔だったアンナだが、外の世界で一人前の従士として仕事をするうちに随分と成長したように見える。
「ええ、元気よ。ノエイン様も同僚の皆も優しいし、仕事もすごくやりがいがあるわ。自分たちで少しずつ新しい村を作り上げてるって感じがするの」
活き活きとした表情からも、アンナが充実した日々を送っているのがイライザとマルコに伝わった。
「そうかい、それならよかったよ。それで報告っていうのは……もしかしていい人でもできたのかい?」
「えへへ……実はそうなの」
アンナはそう言って振り返り、店の入り口に立っていたエドガーの方を見る。エドガーも店の中に進み入り、
「イライザさん、マルコさん、初めまして。アールクヴィスト領の従士エドガーと申します」
と名乗った。
・・・・・
結果として、エドガーの緊張や不安は杞憂に終わった。彼はアンナの家族から歓迎され、この日はこのままアンナの実家に泊まっていくよう勧められ、今は共に夕食の席を囲んでいる。
「エドガーさんは真面目ねえ。こうして話してるだけで誠実な性格なのがよく分かるわ」
「いえ、そんな……生まれた村では村長家の出自だったもので、父親の教育もあってこうなりました。自分では少し堅物すぎるとも思っていますが」
「いいじゃない。人間、真面目で困ることなんてないわよ……はあ、それにしてもこんないい人がアンナの夫にねえ」
「本当に、あの内気なアンナがよく1年足らずでこんな結婚相手を……未だにちょっと信じられん」
「お母さん! それに兄さんも! 何回も同じこと言うのやめてよ!」
そう声を上げるアンナは、アールクヴィスト領でエドガーが見てきたおしとやかな姿とはまた違った雰囲気がある。久々に実家に帰り、酒が入っていることもあって、彼女も素が出ているようだ。
「そんなにはしゃいでていいのかい? エドガーさんに子どもっぽいと思われるよ」
「えっ……違うのよエドガーさん、この2人が」
「いや、いつもと違うアンナの顔が見られるのもいいものさ。俺のことは気にせずくつろいで」
エドガーは優しくそう言うが、一方のアンナは照れた表情だ。顔が赤いのはワインのせいだけではないだろう。
「それで、エドガーさんが農業の責任者なのは分かったけど、あんたの仕事はどうなんだい? 財務と事務の全責任を持ってるんだって?」
「そうよ。ノエイン様の直轄で仕事をしてるんだから。今は部下だっているのよ?」
「へえ、あんたが人の上に立つようになったのかねえ……いつもオドオドしてたのに、立派になったもんだよ」
「アールクヴィスト領に移住したい」と言い出した日のアンナと比べれば、現在の彼女は別人のようだとイライザもマルコも思う。
表情は引き締まり、話し方も堂々としている。家族として不安も抱えながらアンナを送り出したが、その決断はいい方向に働いたようだと分かって2人とも安心していた。
「まあそれでも、あんたはいつまでもあたしの娘だよ。困ったことがあったらいつでもうちを頼りな」
「ここはずっとお前の実家なんだからな」
「お母さん、兄さん……ありがとう」
こうして家族が絆を確かめ合う光景は、エドガーには眩しかった。
アールクヴィスト領は行き場を失くした者たちが集まった領地だ。エドガーもその例外ではなく、故郷も家族も失っている。
そんな中でアンナは珍しく、生まれ育った故郷が、帰る場所がある。自分には決して取り戻せないものを持っているアンナのことが、少し羨ましく思えた。
「それにエドガーさんも」
「えっ」
イライザとマルコから急に顔を向けられて驚くエドガー。
「アンナと結婚するんだから、あなたももう家族も同然だよ。うちのことを実家だと思って頼ってちょうだい」
「これからよろしくお願いします、エドガーさん」
「……はい。ありがとうございます。よろしく」
エドガーは涙を堪えようとしたが、一筋だけ零してしまった。イライザたちがそれに気づかなかったのか、気づかないふりをしてくれたのかは分からない。
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