第55話 試行錯誤の日々

 クリスティの「再教育」、ノエインのエルド熱、さらにダミアンの移住といくつかの出来事が立て続けに起こり、それらがひと段落して、ノエインは淡々と開拓をこなす平穏な日々を取り戻した。


 従士や奴隷たちのおかげで多くの雑務がノエインの手を離れ、仕事の負担も随分と減っている、今は森林を伐採して平地を広げたり、移住希望者と面談したり、開拓・開発に関する領主としての判断を下すのが主な仕事だ。


「ノエイン様、ジャガイモの栽培実験についての報告に参りました!」


 その日、領主の執務室に入室してきたのは、アンナの財務・事務を手伝う傍らで作物の栽培実験も手がけるクリスティだ。


「ありがとうクリスティ。聞かせてもらうよ」


「はい。今回は芽かきの有無と、追肥の量や回数で12のパターンに分けて栽培した結果なんですが――」


 ノエインがジャガイモを知ったのは南方大陸について紹介した手記からであり、ジャガイモが優れた食物だということはあらかじめ理解していたが、その栽培方法については「芋を日に当てて発芽させ、それを切って植える」というざっくりとした知識しかなかった。


 なので、より効率的な栽培・収穫のためにクリスティが果たしている役割は大きい。


「――というわけで、芽かきはしっかりと行い、追肥は1回より2回した方がより成長が見込める、という結論になりました。それと、ジャガイモの成長に合わせて土寄せも都度行うべきだと農奴たちから意見が出ています。具体的な収穫数の変化はこの通りです」


 説明とともにクリスティが差し出した表を眺め、確かな成果が表れているのを確認してからノエインは言う。


「……うん、よく分かった。しっかりと目に見える成果も出てるね。これをもとにジャガイモ栽培の手順をまとめよう」


 樽ひとつから始まったジャガイモも、昨年の春植えと秋植え、そして今年の春植えを経て、日々の食料とするに十分な量へと増えた。


 ノエインはそう遠くないうちにジャガイモをアールクヴィスト領の外へも広めるつもりであり、それに際して体系的な栽培手順をまとめようとしていたのだ。今回のクリスティの働きで、それが実現したことになる。


「素晴らしい働きだよ、さすがはクリスティだ」


「あ、ありがとうございます! 今後はこれまでの実験結果をもとに、連作障害などの長期的な記録をとっていくつもりです。大豆の方の栽培実験も、最初の収穫を経れば一度結果をまとめられると思います」


「そっか。引き続きよろしく頼むよ。だけど無理はしないでね? 最近働きづめでしょ?」


「再教育」を経てクリスティはとても忠実な奴隷になったが、少々ワーカーホリック気味な部分もあった。


 彼女を愛し慈しむ領主としても、彼女を購入するために大きな投資をした主人としても、働き過ぎで体調を崩される心配をしないわけにはいかない。


「そ、そうですよね、私の身はノエイン様の財産でもありますからね……休息と睡眠はしっかりとるように意識します!」


「うん。そうしてね」


 クリスティにそう微笑みかけ、退室する彼女を見送る。


 それからしばらくして、次にやって来たのはもう一人のワーカーホリック……つまりダミアンだった。


 ドンドンドン! とドアを破らんばかりのノックが鳴り、「ノエイン様! 俺です! ダミアンです! 入っていいですか!」と元気が良すぎる声が響く。


 ノエインが苦笑しながら入室許可を出すと、ダミアンは文字通り部屋に飛び込んできた。


「ノエイン様! クロスボウの試作品第4号ができましたよ! 3号よりも遥かに威力を強めて、各部品の角度を調節したので命中率も改善されているはずです! ぜひ試射を! 今すぐにでも!」


 最初の頃のダミアンはノックもせずドアを開けて飛び込んできていたので、それを思えば今は随分と従士らしい振る舞いができるようになったと言える。


 落ち着きのない態度は見る者が見れば無礼だと感じるだろうし、横に控えるマチルダもあまり愉快な顔はしていないが、ノエインはダミアンに関してはこれでいいと考えていた。


 むしろこの破天荒な振る舞いを無理に矯正して、職人としての熱意や独創性まで失われたら困る。


「そっか。それじゃあさっそく試してみよう。僕も丁度外に出たいと思ってたところだから」


 執務室に籠ってばかりでも頭が煮詰まってしまう。こうした実験やら領内の視察やらで屋敷を出るのは、ノエインにとっては貴重な気晴らしでもあった。


・・・・・


「ユーリぃ、遊ぼう」


 ゴンゴン、と従士長ユーリの家のドアを叩きながら呼びかけるノエイン。その後ろにはマチルダと、クロスボウの試作品第4号を抱えて浮かれるダミアンが並んでいる。


 ほどなくして家のドアが開き、この家の主であるユーリが姿を現す。


「……その呼び方は呼ばれるこっちが恥ずかしい。普通に呼んでくれ」


「まあいいじゃない、ちょっとした茶目っ気だよ」


 微妙な表情のユーリに対して、ノエインはヘラヘラと笑いながらそう答える。


 以前のユーリはラピスラズリ原石の採掘作業を監督するため、レスティオ山地に月の半分以上は拘束されていた。


 しかし、ノエインが採掘作業に奴隷を投入したことで労働力不足が大幅に改善され、短期集中で毎月のノルマ分を掘れるようになり、その分ユーリも領都ノエイナで過ごす時間が増えていた。


「今日は休みでしょう? 新しいクロスボウを試射するから、ちょっと手伝ってよ」


 ノエインはゴーレムを操れば強いが、一個人としては体も貧弱で筋力も戦闘技術も乏しい。新兵器の扱いを試す人員としては力不足だ。


 なので、クロスボウの試射を行うときは、こうして従士長のユーリに任せることになる。


「もう新しいのが出来たのか。もちろん俺は構わないが……」


 そう言いながらユーリが家の中を振り返ると、こちらもノエインに仕える従士であり、今ではユーリの妻となっているマイが顔を出す。


「やあマイ。ちょっとだけユーリを借りてもいいかな?」


「ええ、構いませんよ。好きに使ってやってください」


「ありがとう。ところで、経過は順調かな?」


 ノエインがそう声をかけるマイのお腹は、服の上から見ても分かる程度には大きくなっていた。


 ユーリからマイの懐妊の報告を受けたのは、春先のことだ。


「ふふふ、おかげさまで母子ともに健康そのものです」


「それは何よりだよ。数か月後が楽しみだね。ねえユーリ?」


「まあな。まさか俺が人の親になるとは……もう何回こうつぶやいてるか分からんが」


 照れ隠しで顔をしかめながらそう言ったユーリは、「すぐに戻る」とマイに一声かけると家を出てドアを閉めた。


 ノエインとユーリ、マチルダ、ダミアンの4人で向かうのは、屋敷の裏庭に作られた射撃場……といっても、土を盛って的を立てただけの簡易的なものだ。


 この急ごしらえの射撃場に着くと、ダミアンに急かされるようにしてユーリはクロスボウの試作品の弦を引き、矢を番え、的へと真っすぐに向けて引き金を引いた。


 バシュッという鋭い音とともに矢が放たれ、的の中心からやや右のあたりに突き刺さる。


「どうですか!? どうですか!?」


「……まず、命中率はかなり良くなったな。この矢を番える部分のここ。ここをあとほんの少し狭めるといいんじゃないか?」


「なるほど! 次はそうしてみます! 威力はどうですか!?」


「威力は十分すぎる……というか少し過剰だな。弦が固すぎる。俺でも引くのに少し苦労したぞ。これじゃあ線の細い奴が扱うのは相当に骨が折れるだろう」


 ユーリは獅子人や虎人などの大柄な獣人に勝るとも劣らない偉丈夫だ。その彼が弦を引くのにそれなりに苦労するということは、確かに小柄な者では装填に苦労するはずだ。


「そうですか……前回は威力が弱すぎたのでとにかく強く強くと意識してましたが、ちょっとやりすぎたみたいですね」


「あと、ここの部品だがな、この留め方だとたぶん20発も撃てばガタガタになるぞ。そしたら矢がまともに真っすぐ飛ばなくなるだろう。台座に埋め込むように付けた方がいいんじゃないか?」


「耐久性にも難ありでしたか……分かりました、次はそれらを改善したものを作ります! ありがとうございました!」


 そう言って工房へと走っていこうとするダミアンを、ノエインは慌てて呼び止める。


「ちょっと待ってダミアン」


 以前は聞かずに走り出していたダミアンだが、ちゃんと声がけに応じて足を止めるようになったもの大きな成長のポイントだ。


「な、何ですか!?」


「メイドたちから聞いたけど、君、ちゃんと屋敷に戻ってないらしいね?」


「いえ、ちゃんと戻って寝てますよ! 2日に1回は! それに飯はメイドさんが持ってきてくれてます!」


 それを聞いてノエインはため息をつく。


「それじゃ駄目だよ。君が倒れたらクロスボウの開発も止まっちゃうし、過労で死にでもしたら君自身がクロスボウの完成を見届けられなくなる。それは嫌でしょ?」


「い、嫌です! 俺の発明品なんだから俺が見届けないと!」


「でしょ? だから屋敷には必ず毎日戻って、毎日寝ること。守らないなら予算を減らして開発の自由を奪ってでも無理やり休んでもらうからね?」


「そ、それは困ります! 分かりました! 絶対に毎日帰ります!」


「よし。じゃあ行っていいよ」


 クロスボウ試作品第4号を抱えてドタバタと走っていったダミアンを見ながら、ノエインは苦笑いを浮かべる。


「……まったく。自分よりクセの強い人なんて今まで相手したことなかったから疲れるよ」


「確かに変な奴だが、職人としての腕は大したもんじゃないか。クロスボウも実用化まであと数歩というところまで来たしな」


「それはまあ、そうだね」


 農作技法の改善に、新兵器の開発。


 アールクヴィスト領の産業は、こうして試行錯誤を重ねながら少しずつ進化を遂げているのだった。

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