第45話 奴隷たちの日常

 大勢の奴隷たちがやって来たことで、アールクヴィスト士爵領の生活は様変わりした。


 何せ人口が一気に増え、しかもその増加分が全て働き盛りの成人奴隷だ。不足しがちだった労働力が大量に確保されたことで、領全体の発展スピードも増し、生活レベルもまた上がっている。


「ノエイン様に買われてよかったなあ」


「ああ、この水汲み作業はちっときついが、掃除や湯沸かしなんかの仕事はそうでもないし、何より怒鳴られたり殴られたりすることがないのはいいよな」


 そう話しながら川辺で水汲みをするのは、公衆浴場の管理や整備を任された奴隷たち。彼らは桶で水を汲んでは川辺に建てられたタンクにそれを流し込む作業をくり返している。


 このタンクに入った水は、タンクから伸びるパイプを通って浴場内の浴槽に注がれる。わざわざ水を抱えて川と浴槽を何往復もしなくていいようにと考えられた仕組みだ。


「住むところもきれいだし、飯も美味くて量も多いし……言うことなしだよなあ」


「おまけに、何年か真面目に働いたら女の奴隷と結婚もさせてくれるって話だ。ここまでいい扱いを受けていいのかと思っちまうな」


 衣食住を満足に与えられているだけでなく、いずれ家庭や子どもを持つことも許してもらえるという。奴隷としてこれ以上何を望むことがあるのかと思うほどの待遇の良さだ。


 奴隷落ちした時点で死んだも同然だと覚悟していた彼らにとっては、拍子抜けするほど快適で幸せな日々である。


「ノエイン様は凄い方だな。俺たちにとってはあの方はもう神様みたいなもんだ」


「そうだなあ。こんだけ良くしてもらえるなら、文句なんかあるわけねえや」


・・・・・


 商店のない農村では、小売りのパン屋というものもない。


 農民たちは自分の農地で収穫した小麦を水車小屋で小麦粉にしてもらい、その小麦粉で作ったパンを今度は共用のパン焼き窯に預けて焼いてもらうのが一般的だ。


 ここで問題になるのが、粉ひき職人やパン焼き職人に支払う利用料。


 大抵は小麦粉やパンの一部を利用料として納めることになるが、職人がその量をちょろまかして揉め事になるのはどこの村でも見られる光景である。


 必然的に、水車小屋やパン焼き窯の職人と村人は仲が悪くなり、ときには暴力沙汰や刃物沙汰に発展することもある。


 そうした事態を防ぐために、ノエインは水車小屋やパン焼き窯の運営にも自身の奴隷を充ててしまった。


「おい、粉ひきを頼む」


「はいよ、そこに置いてください」


 水車小屋に勤める若い奴隷の男は、小麦を持ち込んできた農民の男にそう指示する。


 農民の男から受け取った小麦を臼へと移し、手際よく小麦粉へと変えていく。領主ノエインに買われてから毎日ひたすら粉ひきを行っているだけあって、その動作はすでに慣れたものだった。


「終わりましたよ」


「おう、ありがとよ」


「いえいえ、これが俺の仕事ですから」


 ひかれた粉はそのまま全て農民の男へと渡される。


 領主ノエイン曰く「水車小屋やパン焼き窯の運営費は税として既に回収済み」だそうだ。


 学のない奴隷の男にはノエインの言っている仕組みがいまいち理解できなかったが、とにかくここで領民たちが水車小屋を利用することによる支払いは発生しないらしい。


「小麦粉の一部を利用料として納める」というやり取り自体がないので、奴隷の男と農民の男が揉めるはずもない。


 パン焼き窯で働いている奴隷から聞いた話だと、あっちでも同じように、焼かれたパンは全て元々の持ち主に渡されるそうだ。なので、パン焼き職人に取り分として渡すパンの数や大きさで揉めることもないという。


 職人としての取り分がないとはいえ、奴隷の男がそのことに不満を抱くはずもない。寝床も食事も奴隷としては相当に質のいいものを与えられており、さらに奴隷全員が給金として多少の小遣いまで与えられ、その上いずれは妻を持つことも許されると言われているのだ。


 下手をすれば貧しい村で平民やっていたときよりも幸せかもしれないな、と思いながら、奴隷の男は今日も水車小屋で粉をひき続ける。


・・・・・


「やあザドレク、今日も皆よく働いてるみたいだね」


「これはノエイン様。はい、ご覧の通り私も他の奴隷たちもしっかりと農作業に励んでおります」


 領主所有の農地の様子を見に来たノエインから声をかけられて、作業の指揮をとっていたザドレクは淀みない敬語でそう返事をした。


 そのやり取りの声が聴こえたのか、他の奴隷たちも作業の手を止めてノエインの方に頭を下げてくる。


 奴隷商会の商会長から勧められたこのザドレクは、労働奴隷たちのリーダーとして申し分ない実力を発揮してくれていた。


「君たちは本当によく働いてくれてるね。主人としても嬉しいよ」


「ノエイン様は奴隷の私たちにとても良くしてくださいます。これほどの待遇をいただいているのですから、できる限り懸命に働いてそのご恩をお返ししたいと思うのは当たり前のことです」


 獣人の身で奴隷になった時点で、ザドレクは自身の残りの人生がろくなものにならないだろうと覚悟していた。


 それなのに今は、虐待されることもなく、毎日せっせと農作業に励む穏やかな日々だ。住居は清潔で、食事は美味くて量も多い。いずれは虎人の女性奴隷を探して結婚もさせてくれるという。


 当初の予想と比べたら天国のような人生だ。奴隷に落ちたのにこんな人生を与えられて、感謝しないはずがない。


「君たち奴隷も僕にとっては大切な領民だからね。君たちの幸せは主人である僕の幸せさ」


「ノエイン様……感謝いたします。何とお礼を申し上げればいいか」


 ノエインの言葉に嘘はなく、実際にノエインはザドレクたち奴隷のことも領民として見ているし、領主として彼らを愛すると決めている。そうすることで、彼らも心からノエインに尽くして懸命に働いてくれるだろうと期待している。


 住居や食事の環境を整え、いずれ彼らを結婚させると約束して将来への希望を与えたのも、彼らの心身の健康と、労働への意欲を保つためだ。


 こうして領民への愛を実利をもって示すことこそが、真に領民から愛され、彼らの最大の働きを引き出すことにつながるとノエインは考えていた。


 ノエインによる奴隷の扱いの裏にはこうした思惑もあるが、彼の行動が奴隷たちに幸福を与えているのは間違いない。


・・・・・


 農地の視察という名の気晴らしを終えて、屋敷の執務室へと戻ったノエインは考える。


 労働奴隷たちの働きは申し分ない。


 奴隷たちが来たおかげで領主所有の農地も実験畑も手入れが行き届くようになったし、男女それぞれ週に一度だけの稼働だった公衆浴場も毎日稼働させられるようになった。


 水車小屋やパン焼き窯も順調に管理運営されているし、ユーリによる『遠話』の報告ではレスティオ山地の採掘現場にいる奴隷たちもよく働いているらしい。


「彼らには何の問題もないのにな……」


 肉体労働の労働力不足は解決した。問題は頭脳労働の方である。


「ノエイン様、失礼します」


 ノエインが思考に耽っていたところへ、ノックの後に入ってきたのはアンナだ。


「今週の財務報告書をお持ちしました」


「ありがとうアンナ。あとで確認するから机に置いてて」


「分かりました」


 書類をノエインの執務机の上に乗せるアンナに、何とはなしに尋ねる。


「それで、クリスティの働きぶりはどんな感じ?」


「……相変わらず、でしょうか」


「そっか。やっぱりまだそんな感じか」


 少し困ったように答えたアンナに、ため息をつきながら答えるノエイン。


 実際に仕事を教えてみると、クリスティは能力的には優秀さを見せたらしい。仕事の効率などの実務面では叩き上げのアンナに叶わないものの、慣れていけばアンナと並ぶ戦力になるだろうとのことだった。


 しかし、組織の中で働く一職員としては、そして奴隷身分の労働者としては失格もいいところだという。


 クリスティとの初日の会話にも表れているように、彼女はとにかくプライドが高い。


 元々そこらの下級貴族よりも裕福な豪商の娘だったというから仕方ないのかもしれないが、上司であるアンナや奴隷頭のマチルダ、さらには屋敷のメイドたちにも事あるごとに食ってかかり、その言動は聞くに堪えないそうだ。


 ノエイン自身も、仕事中のクリスティに声をかけて攻撃的な返事を食らったのは一度や二度ではなかった。


「さすがにあれほど頑なだと、私もこれから彼女とうまくやっていけるとは思えません。現状の仕事も効率的に回ってるとは言い難いですし……」


「畏れながらノエイン様、お許しをいただければ私が今すぐにでもクリスティを折檻いたしますが」


 アンナに続いて、ノエインの隣に控えるマチルダもそう発言する。普段はサポートに徹する彼女が、ノエインの指示を待たずにこのようなことを言い出すのは相当珍しいことだ。


 マチルダもクリスティに何度も絡まれているし、何よりクリスティが主人のノエインに無礼な言動を続けていることに相当腹を立てているらしい。


「ああいうタイプは単純に力で言うことを聞かせるのは難しいだろうからね……あまり使いたくない手だけど、一応は『教育』の方法を考えてはいるんだ。そのためには少し準備が必要になるから、悪いけど2人とももう少しだけ辛抱してほしい」


「ノエイン様の直々の『教育』ですか……クリスティがどんな目に遭うか考えると少し可哀想ですね」


 そう言いながらも、可笑しそうにクスッと笑うアンナ。


「こういうことで笑えるようになるなんて、アンナもこの領に来て強くなったね?」


「それはもう、私も部下としてノエイン様の気質にはすっかり慣れましたから」


 冗談めかしてアンナが言うと、素朴な町娘だった彼女の変貌ぶりにノエインも苦笑した。

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