第44話 青い髪の少女

 馬車から降ろされたその少女の髪は青色だった。


 ラピスラズリのような深い青とは違う、やや金色交じりの輝くような青。利発そうな顔立ちと合わさって、およそ奴隷らしからぬ知的な存在感を放っている。


 その表情は硬く、目つきは鋭い。


「こら、なんて目をしてるんだ! この方はここの領主様だぞ、失礼だろう! 挨拶をしないか!」


 商会長が怒鳴ると、少女は渋々といった様子で奴隷の礼を見せる。


「……クリスティと申します」


 ぼそっと呟くように名乗る声も、表情と同様に硬かった。


「まったく……閣下、大変申し訳ございません。こちらの奴隷は南西部ガルドウィン侯爵領の豪商の娘だったのですが、景気の悪化で家が破産して借金のかたに売られたのです。元々の出自が良く、奴隷落ちして間もないため躾の方が……」


 ばつが悪そうに説明する商会長。どうやらノエインの要望に応えようと知識人奴隷の彼女を用意したものの、商品としてはまだ手入れが万全ではないようだ。


「お気になさらないでください。知識人の奴隷は見つけるだけでも大変でしょうから……能力的には彼女は問題ないのですよね?」


「それはもちろんでございます。裕福な商家の娘として高い教育を受け、高等学校も平民枠で卒業したと確認がとれております。知識人奴隷としては最上級の商品です」


 王国のいくつかの主要都市に置かれた高等学校は、貴族や裕福な商人、豪農などの子弟が通う教育機関だ。そこを卒業したということは、王国内でもトップレベルの教育を受けたことの証左でもある。


 それほどの出自でありながら奴隷に落ちるとは運が悪い、とノエインは彼女に少し同情心を抱く。顔には出さないが。


「それは素晴らしい。まさに私が欲していた人材です。お幾らでしょうか?」


「高等学校を卒業済みの奴隷となると……相場は30万レブロほどになります。躾が不十分な点を差し引いて、28万レブロではいかがでしょうか?」


 提示された額は実に金貨28枚分。普通の労働奴隷が金貨数枚であることを考えると凄まじい高額だ。


 しかし、ノエインが事前に調べた知識人奴隷の相場とは一致している。さすがにケーニッツ子爵領一の奴隷商会ともなると、このような場面でぼったくる気はないらしい。


「いいでしょう。買わせていただきます」


 とてつもない高額だが、高い教育を受けたクリスティにそれだけの価値があるだろうと判断したノエインは購入を決めた。


 こうしてノエインが買い物を終える頃には、他の従士や領民たちもどの奴隷を購入するか既に決定している。


 ユーリとマイは若い農奴の夫婦を買い、ペンス、ラドレー、バート、エドガーもそれぞれ丈夫そうな農奴を1、2人選んでいた。さらに、ドミトリも屈強な男の奴隷を数人選んでいる。


 たった1日で30人以上の奴隷を売り上げた商会長は、上機嫌でノエインに丁寧に礼を述べると、従業員と売れ残った奴隷たちを連れて帰っていった。


・・・・・


 ノエインは奴隷たちを迎えるために、屋敷の離れにあらかじめ彼らの住居となる長屋を建てていた。


 各部屋は狭いものの全員が個室で、下手な貧民の家よりもしっかりした造り。労働奴隷としてはこれ以上を望むべくもない高待遇だ。


 そして、彼ら労働奴隷とは別で、クリスティには住み込みの使用人と同じように屋敷内に個室が与えられた。これもまた奴隷としては破格の待遇であり、感謝されて然るべきである。


 しかし、クリスティのノエインに対する反応は予想とは違った。


 部屋を与えられたクリスティが落ち着いたであろう頃を見計らい、彼女の今後の仕事などを説明するために話をしに行くと、


「近寄らないで! 私に触らないで!」


 と激しく拒絶される。近寄っても触ってもいないのにこの騒ぎようである。


「僕としては君の経歴や能力を見込んで、できる限りの高待遇で迎えたつもりだったけど……不満かな?」


「私は本当は奴隷になんてなるはずない人間よ! こんなの間違ってる! 解放しなさい!」


 苦笑しながら尋ねるノエインを見下ろし、指を突きつけて怒鳴るクリスティ。彼女の背が高い(というよりノエインの背が低い)ので見下ろすのは仕方ないが、上から目線で主人を指差して解放を命じるとは奴隷にあるまじき無礼な行為だ。


「……ノエイン様、よろしければ私が彼女に身の程を分からせますが?」


 ノエインの横に控えるマチルダが、クリスティに冷徹な目を向けながらそう発言する。


「いや、いいよマチルダ。あまり力で分からせようとしても彼女は能力を発揮してくれなくなるだろうからね」


 クリスティの仕事は肉体労働ではなく、頭脳を使う労働だ。いくら殴ろうが蹴ろうが、彼女自身が働こうという前向きな意思を持ってくれなければ意味がないのだ。


(問題は彼女が時間とともに奴隷身分であることを受け入れてくれるか、それとも大がかりな「教育」が必要になるかだけど……)


 そう思いながら、ノエインはクリスティの部屋にある椅子に勝手に腰を下ろす。


「クリスティ、君にとってはものすごく不幸なことだろうけど、残念ながら君は奴隷になった。そして僕がその主人になった」


「こんなのおかしい! 私は高等学校まで出たのよ!? それなのにどうして私が奴隷なのよ! それもこんなド田舎で、こんなふんぞり返った貴族の子どもに買われるなんて!」


 ヒステリーを起こしたように喚き続けるクリスティ。


「辛いね。理不尽だよね。だけど過酷でもこれが現実だよ。今日からは僕が君の主人だ。明日から君には――」


「ふんっ! こんな田舎で私の高度な学力や知識が必要なわけないわ! どうせ頭のいい女を権力で屈服させて辱しめて肉欲を満たしたいんでしょう!? この変態貴族!」


「うわあ、めんどくさい子だな」


 口ではそう言いつつも、ノエインはヘラヘラと楽しそうに笑った。


「な、何が可笑しいのよ! 馬鹿にしてるの!?」


「君は自分が女として随分と魅力的だと勘違いしてるみたいだけど、高等学校では自惚れ方も学んだのかな? 僕にはこのマチルダがいるんだ。君の貧相な体に興味はないよ」


 ノエインはできる限り嫌味に聞こえるように言いながら、彼女に見せつけるようにマチルダの体を抱き寄せる。


 クリスティの容姿は美人と言って差し支えないが、マチルダも相当なものだ。おまけに胸の大きさや身体の肉づきといった面ではほとんどの普人は兎人には敵わない。


「顔や身体が男から見て魅力的か」という点では、マチルダが完勝だと客観的に評されるだろう。


 クリスティの無礼な言動にノエインもあえて下品な物言いで返したわけだが、彼女はまんまとそれにハマって激昂する。


「なっ……じゅ、獣人とこの私を比べるの!? ふざけないで!」


「うるさいなあ。とにかく君を買ったのは夜伽をさせるためじゃなくて、事務や財務の仕事を手伝わせるためなんだよ。こんな田舎領でも実は机仕事ってけっこう大変なんだ。学校のお勉強ばかりしてきた君は分からないだろうけど」


 ノエインは口喧嘩ごっこを切り上げて、彼女の仕事の話に移った。


「だから、明日から君にはうちの財務担当従士の下で頭脳労働に就いてもらう。そこでちゃんと成果を出すなら君の今日の無礼も大目に見てあげるよ」


 一応は自分の今後の運命が説明されているということもあり、クリスティも渋々ノエインの説明に耳を傾けた。


「逆にまともに結果を出せないなら、別の仕事に配置換えもあり得るからね。非力な君が農作業や鉱山での採掘に耐えられるかな?」


 邪悪な顔で笑って見せるノエインに、


「……ふんっ。馬鹿にしないで。こんな田舎の事務仕事くらいできないわけないでしょ」


 とクリスティは憎しみの表情を浮かべながら答えた。

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