第43話 奴隷売買

 マイルズ商会から大豆を受け取ったノエインは、領都ノエイナに帰ると早速その栽培を開始した。


 場所はノエインの屋敷の裏に作られた実験用の畑。大豆に関しては書物で読んだ表面的な知識しか持っていないので、こうして試行錯誤しながら栽培するための実験畑をあらかじめ用意していたのだ。


「……今のところ、この地の土質でも問題なく育っているように見えますね」


「そっか。エドガーからもそう見えるならよかった」


 栽培を始めて2週間ほど。今は領内の農業担当エドガーに大豆の成長具合を見てもらっているところだった。


 農業に関しては、ノエインよりもエドガーの方が遥かに実践的な知識と経験を持ち合わせている。遠い地域が原産の見知らぬ作物とはいえ、その栽培実験にエドガーの知見は役立つだろう。


 そう考えていたノエインは、時々こうして実験畑の様子をエドガーに確認してもらっていた。


「収穫までは確か……3か月から4か月ほどでしたか?」


「そうだね。今からだとちょうど夏頃の収穫になるかな。育て方自体は他の豆と近いはずだし、これからも時々エドガーにも見てもらうと思う」


「私でよければお任せください」


「ありがとう。よろしく頼むよ」


 自領での油作りが叶えば色々と夢が広がるが、今はまず大豆の数を増やすために、地道に世話をするしかない。この試みに関しては、ノエインはひとまず頭の片隅に仕舞った。


 するとそこへペンスがやって来る。


「ノエイン様、話し合い中に失礼します」


「大丈夫だよ。ちょうど今終わったところだから……もしかして、奴隷商会の一行が到着したの?」


「はい、それで知らせに来ました。今は村の入り口で待たせてます」


「ありがとう。すぐに向かうよ」


 マイルズ商会に仲介を頼んだ奴隷商が、この2~3日中に領都ノエイナに来るという知らせはあらかじめ届いていた。それがついに到着したらしい。


 奴隷商会とはあらかじめ連絡を取って、どのような用途の奴隷が何人くらい必要かを伝えてある。奴隷の購入を希望していてもなかなか領都ノエイナを離れられない従士も多いため、一定人数以上の奴隷を買うことを条件に商会の方から来てもらったのだ。


 村の入り口に向かうと、そこには奴隷を積んでいると思われる大型の馬車が2台停まっている。その先頭では、レトヴィクで打ち合わせのために一度顔を合わせた商会長の男が待っていた。


「アールクヴィスト士爵閣下。本日はよろしくお願いいたします」


「わざわざご苦労様です。こんな田舎の村まで来ていただいて」


「いえいえ、必要とされている場所へ奴隷を届けるのが私どもの仕事でございますので……今後とも奴隷購入の際は、是非とも当商会をご贔屓にしていただければと思います」


 そう言って揉み手をしながら胡散臭い笑顔を浮かべる商会長。さすがは奴隷商会の長というべき表情だ。


「こちらの希望に適う奴隷は集まりましたか?」


「はい、それはもう。質のいい奴隷ばかり、数も余裕を持って連れて参りました。必要な数だけお選びいただければと思っております」


「それはありがとうございます。では早速、広場の方へお越しください」


 領主のノエインに直々に案内されて、奴隷商会の一行は領都ノエイナの広場へと足を運んだ。


・・・・・


 臨時の奴隷市場となった領都ノエイナの広場には、馬車から降ろされた奴隷たちが並んでいた。


 ロードベルク王国では、人口の2割ほどが奴隷身分である。税の未払いや借金によって自らを売ったり、逃亡民や犯罪者が罰として奴隷にされたり、口減らしのために家族から奴隷商に売られたりと、奴隷落ちの理由は様々だ。


 この国において奴隷はごく身近な存在であるため、人間が「商品」として並べられた様を見ても嫌悪感を示す領民はいない。むしろ領外の人間で広場がごった返す珍しい状況を前に、ちょっとしたお祭りのような雰囲気になっていた。


 今回奴隷を買うのは、主にノエインと従士たち。他にも大工のドミトリが肉体労働の奴隷を買うそうで、さらに家族が多く農地が広い一部の農民も、手伝いの農奴を買うらしい。


「これは王国西部の紛争地帯から逃亡した元農民でして、年もまだ20代ですし、体は頑丈で農作業にも慣れています」


「これは小作農の出身の娘です。畑仕事も家事もそれなりに仕込まれていますので、何かと役に立つでしょう」


 並べられた奴隷を見て回る従士や領民たちに、奴隷商会の従業員たちが商品の説明をしながら応対する。


 今回連れてこられた奴隷は数十人に及ぶ。ここから買い手たちが各々の用途に合った奴隷を選ぶのだ。


 一方で、奴隷を買う予定のない領民たちも、興味深げに広場を歩き回っている。


 なかには「おい、買ってもらえるように自分を売り込んだ方がいいぞ」「ここの領主様は奴隷にも優しいんだ。ここで買われる方が絶対に幸せだぞ」と奴隷に声をかけている者もいた。


 ここの領民たちは、一歩間違えば自分が奴隷落ちしていたような立場の者ばかりだ。実際に奴隷になった者たちを見て思うところがあるのだろう。


「……随分とまだ若くて健康な奴隷が多いようですが」


 商会長に直接応対してもらって奴隷を選びながら、ノエインはそう呟いた。


 長く奴隷を続けていれば大抵は痩せ気味になるものだし、年を取って仕事や税の支払いに耐え切れずに奴隷落ちする者も多い。


 そうした常識から考えると、この商会長が連れてきた奴隷は、まだ奴隷に落ちたての若者ばかりのように見える。


「昨今は西も東も紛争が続いております故、経済の悪化で若くして奴隷落ちする者が多く……本来ならば奴隷にならないような者まで落ちているものですから、悲しいことでございます」


「やはりそうでしたか。ですが、あなたにとっては好機なのでは?」


「確かに仰る通り、奴隷商としては良質な商品の仕入れに困りませんが……長い目で見ると、王国内の情勢が悪化することはやはり憂いてしまいます。私も一王国民ですので」


 思っていた以上に良識的な見解を話す商会長に、ノエインは内心で彼の評価を改める。


 胡散臭い表情や身振りをする商会長ではあるが、よく考えれば彼も王国の法に基づいて売買をし、商会の登録や納税といった義務も果たしている真っ当な商人だ。


 だからこそケーニッツ子爵領で最大の奴隷商会のトップを務めているのだろうし、ベネディクトも信頼できる奴隷商としてノエインに紹介したのだろう。


「奴隷商」という響きの悪さだけで人を判断してはいけないな、とノエインは密かに自省した。


「ところで閣下、お眼鏡に適う奴隷はおりますでしょうか?」


「ああ、そうですね……」


 商会長にそう聞かれて、ノエインも今日の本題である奴隷選びを進める。


 領主所有の農地は従士や領民たちの農地と比べても広いし、水車小屋や浴場など働き手が必要な施設も増えた。体力のある奴隷が何人も要るのだ。


 身体的にも性格的にも問題のなさそうな奴隷を選んでいき、商会長に聞く。


「これらの労働奴隷のまとめ役になるような者が欲しいんですが、丁度いい者はいますか?」


 ノエインの奴隷頭はマチルダで決まりだが、彼女は副官として常にノエインに付き従っている。労働奴隷たちの中にも仕事の指揮を務められるような人材がいた方が何かと便利だ。そう思っての質問だった。


「それなら一人、適任の者がいますが……獣人ですがよろしいでしょうか?」


 商会長はノエインの傍に控えるマチルダをちらりと見ながら聞いてくる。


「はい、問題ありません。私はこの通り獣人を傍に置くことに抵抗はありませんので」


「それはよろしゅうございました。こちらへどうぞ」


 商会長に連れられた先にいたのは、大柄な虎人の男だった。


「ほら、こちらはこの村の領主様だ。挨拶しなさい」


「ザドレクと申します、領主様」


 そう名乗った虎人は、両膝をつき、腹の前で手を合わせて頭を下げる奴隷の礼を示す。


 それを横目にしながら、商会長が彼について説明した。


「この奴隷は虎人の集落で族長の家系の生まれだった者です。奴隷のまとめ役には適役でしょう。力もあり、頭もそれなりに回りますので、役立つと保証いたします」


「では、彼もいただきましょう」


 こうして、ノエインは計15人以上の労働奴隷を購入することを決めた。農地や施設の管理、レスティオ山地での労働の人手に加えて、今後始まるであろう油作りまで見越しての買い物だ。


 出費は数十万レブロに及ぶが、彼らの働きで今後見込まれる利益を思えば安いものである。それに、ノエインのもとにこれだけ奴隷がいれば、領民たちも賦役の手間から解放されるだろう。


「最後に、知識労働のできる奴隷を紹介させてくださいませ」


「手に入ってたんですね。ぜひお願いします」


 アールクヴィスト領の規模拡大で、財務・事務担当のアンナは早くも多忙になっていた。なので読み書きや計算のできる人材を補充したかったが、そうした人材は簡単には見つからないので、ノエインは知識人の奴隷を用立てることにしたのだ。


 こうした奴隷は希少なので商会長も「必ず仕入れられるとは保証できない」と言っていたし、今日もなかなかこの件を切り出さないので入荷できなかったのかと思っていたが、最後に案内するとっておきにしていたらしい。


 ノエイン向けの特別な品ということで、広場ではなく馬車の中に控えさせているというその奴隷のもとに案内される。


「こちらになります」


 そこにいたのは、青い髪の少女だった。

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