第16話 慈悲の線引き

「――そういうわけで、僕とマチルダは明日になってから新しい領民たちと一緒に居住地に帰ることになった。今日誰も帰らないとユーリたちを心配させちゃうから、ペンスとマイは先に帰って事情を伝えておいてほしいんだ。向こうも受け入れの準備をしないといけないだろうし」


「それは構いませんが……さっきはケーニッツ子爵領の兵士がいたんで聞けませんでしたが、いきなり20人以上も難民を迎えて大丈夫なんですかね?」


「難民たちの中に、真面目に働かなかったり反抗的だったりする人が多かったら手に負えなくなるんじゃないですか?」


「そんなことにはならないと思うけど……」


 ペンスとマイの心配も分からないでもない。


 要するに怖いのだろう。せっかく農地まで与えられて新たな安住の地を得たのに、そこに得体の知れない者が一気に何十人も入り込んでくるのが。


 今日接した感触では難民たちは皆素直に見えたし、まとめ役であるエドガーも生真面目な男に見えたが、ペンスとマイは彼らと直接会ってはいない。だからこそ不安になるのだろう。


「まあ、そこは僕が責任をもって対処するよ。人数は多くても彼らはただの弱って痩せた難民さ。万が一手に負えないほど領地の平穏を乱すような人がいたら、ちゃんと処分するよ」


「処分する」と遠回しな表現を使ってはいるが、つまりはそういうことだ。


「し、処分ですか……」


 てっきり追放するとでも言うのかと思っていたペンスとマイは、やや引いたような表情になる。


「だってそうでしょ? 僕が愛するのは領民だけだからね。領民たちの平和な暮らしを脅かすならそれは領民じゃなくて、むしろ領を脅かす逆賊だよ。そんな逆賊になるような輩にまで与える慈悲は持ち合わせてないよ」


 あの難民たちならそんなことにはならないと思うけど、と言って笑顔を作るノエインだが、その表情はどこか冷たい。


「……俺たちは真面目に働いててよかったでさあ」


「そうだね。君たちは真面目で理想的な領民だね。だから僕は君たちが好きだよ?」


 優しいのは自分の領民に対してだけ。それ以外の人間には自身と自領の利益を最優先に考えて対応するし、敵対してくる人間には容赦しない。それがノエイン・アールクヴィストという貴族だ。


・・・・・


 居住地へと帰るペンスとマイを見送り、ノエインとマチルダはレトヴィクで宿を取る。


 開拓を始めるよりも前、準備のためにしばらくレトヴィクに滞在していたときと同じ宿に入ったので、ノエインの久々の宿泊を主人も従業員たちも喜んで迎えてくれた。


 2人部屋に入ってベッドに座ったノエインは、ふーっと息を吐いた。


「居住地を今朝出たときはこんなことになるとは思わなかったね。いきなりケーニッツ子爵と会って、難民に囲まれて……さすがに気疲れしたよ」


「お疲れさまでしたノエイン様。ケーニッツ子爵とのお話しぶりも難民たちへのお声がけもお見事でした」


 ノエインの正面、もうひとつのベッドに腰かけながらマチルダがそう称賛する。


「ありがとうマチルダ……僕が難民たちのことを『平穏を乱したら処分する』って言ったとき、マチルダも驚いた?」


「いえ。ノエイン様の慈悲深さを理解できないような領民がいたら、罰を受けるのは当然のことだと思います。そういう者はこの世から消えるべきです」


「そうか、よかった」


 マチルダは迷いなく、やや過激な表現でノエインを肯定した。


 彼女に限ってノエインの考えに異を唱えることなどないと分かっているが、それでもやっぱり彼女が全肯定の言葉をくれるとノエインは安心できる。


「難民たちはおとなしく領民として働くと思われますか?」


「そう思うよ。あのエドガーが演技であんな顔や声をしていたとは考えられないし。それに居住地に来れば、反抗しようなんて絶対に思わなくなるはずさ」


 そう言ってニヤリと笑うノエイン。


 彼が「絶対に思わなくなる」とまで言い切る理由はマチルダには分からなかったが、ノエインがそう言うのならそうなのだろうと彼女は考えた。


「ところでマチルダ、今夜はユーリたちもいない、久しぶりに2人きりの夜だね」


「はい、ノエイン様」


「声を気にしなくていいね」


「……はい、ノエイン様」


 いつもは表情を動かさないマチルダが、まるで初心な乙女のような顔になる。


「おいで、マチルダ」


「はいっ」


 2人部屋に泊まったが、結局ベッドは1つしか使わなかった。


・・・・・


 レトヴィクで一泊した翌日の朝、ノエインとマチルダは難民たちと合流して居住地へと出発した。


 難民たちの荷物は、教会から施しとして与えられたボロ布のような毛布と、こちらもボロ布同然のテントだけ。


 今は夏だからいいが、冬になる前には彼らの居住環境も整えなければいけない。そう思いながら、ノエインは24人の難民を率いてベゼル大森林までの平原地帯を進んだ。


「居住地までは徒歩で半日もかからないくらいだからね。まだテントと畑しかない村とも呼べない場所だけど」


「いえ、我々を受け入れてくださるだけで、感謝してもしきれないほどご恩を感じています。開拓の進展のためにも懸命に働きます」


 エドガーは昨日に続いて礼儀正しいし、他の難民たちをよくまとめている。やっぱり反抗されるような心配はなさそうだな、とノエインは考えた。


 ベゼル大森林に踏み入るときに難民の一部が怖気づいたのをエドガーが「ノエイン様に付き従わなければ私たちの未来はないんだぞ」と鼓舞するという一幕があったものの、それ以外はトラブルもなく昼過ぎには居住地に到着した。


「おお、ここが……」「すげえ広さの平地だ」「今日からここで暮らすのね」と、居住地を見た難民たちが口々に言葉を漏らす。


 ここへ初めて来たとき「何もねえな」と言ってのけたユーリとは違い、その反応は概ね好意的だ。


 その理由は、見渡す限りの平地にあるのだろう。森に入って3か月でノエインが切り開いた土地はかなりの広さになった。面積だけならちょっとした村ほどもある。


 土の肥えた森を切り開いて作った、十分な広さの平地。農民だった彼らにとってはまさに夢の新天地だ。


「ノエイン様、そいつらが新しい領民か?」


「そうだよ。出迎えありがとう、ユーリ」


 こちらへ寄ってきたユーリを見て、少し怯えた表情になる新領民たち。


 貴族の正規軍を斬り捨てた傭兵団の頭として一応はお尋ね者であるユーリは、容姿を変えるために頭髪を剃り上げ、髭を蓄えている。


 髪が長く髭も剃っていた以前の姿とは別人になったが、これはこれで山賊のような迫力を放っていた。皆が怖がるのも無理はない。


「エドガー、それに皆も、心配しないで。彼はこう見えてもまともな人物だから。いきなり取って食われたりはしないよ」


「おいおいそんな言い草はないだろ」


 ノエインとそんな気安い会話を交わすユーリを見て、新領民たちも一応は彼への警戒心を解いてくれたらしい。


「それじゃあ、とりあえず君たちの土地の割り振りを決めてしまおうか」


「私たちの、土地……ですか?」


「そう、君たちの土地だよ」

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