第2話 ここを最初の居住地にしよう
ノエインは性格がひねくれている。その理由はふたつ考えられる。
ひとつは、コミュニケーション経験の欠如。
親の愛を知らず、話し相手といえば伯爵家の使用人たちだけ。その使用人たちですら、表向きは丁寧な口調で接しつつも裏ではノエインを「妾の子」として蔑んでいた。ノエインもそれを早くから察していた。
9歳で離れに閉じ込められてからは、専属の世話係として与えられた奴隷のマチルダとしかろくに話していない。これでまともな人格に育つ方が難しいだろう。
もうひとつは、血。
ノエインはあの小物で神経質な父と、その父を利用して妾の座に収まり、贅沢を味わって死んでいった母の子だ。生まれつき人格がひねくれるようにできていたと言われても十分に納得できる。
だが、そんな育ちと生来の気質の一方で、ノエインはごく当たり前に人間的な愛情や優しさも持ち合わせていた。もっとも、それらの感情はこれまで唯一の理解者であるマチルダにしか向けられてこなかったが。
なので、彼は自分なりに真面目に領地を運営し、領民を慈しむつもりでいる。伯爵領で圧政を敷いていたあのクソ親父とは違って。
「と言っても、今のアールクヴィスト領はただの森だけど。慈しむ領民もいないし、僕たちの住む家すらない。まったく楽しいね、マチルダ」
「はい、ノエイン様」
足場の悪い森を進んで疲労困憊といった様子で座り込んだノエインは、水の入った革袋を口元まで運んでくれる献身的な奴隷にそう言った。
森に入ってまだ30分と経っていない。距離で言えば1kmも歩いていないだろうが、これまで伯爵家の離れからほとんど出ることなく成長期を過ごしたノエインにとっては過酷な道のりだった。
一方で、獣人であるマチルダには生まれ持った体力があるので、この程度の移動では大して疲れることはない。
「……ノエイン様、よろしければ私がノエイン様を背負いましょうか?」
「ありがとうマチルダ。だけど自分の足で歩くよ。ここは自分の領地なんだからね」
自領に踏み入った初日から奴隷に担いでもらって移動していては領主失格だろう。
別にマチルダ以外の誰が見ているわけでもないが、ノエインはそんな自己満足の意地を胸に再び自分の足で立ち上がる。
・・・・・
それからまたゴーレムに先行させて森を進み、そう経たないうちに――少なくともノエインが体力の限界を迎えて倒れ込むよりは早く、一行は川にたどり着いた。
森の中を北西から南東に向かって流れているこの川は決して大きくはないが、水源として利用できる程度には水量が豊富で、水も澄んでいる。
「ノエイン様、この川辺に拠点を置きますか?」
「あまり川に近すぎると雨のときに危険だからね。ここよりも北側に、開拓しやすそうな場所を探そう」
「なるほど、素晴らしいご判断です。さすがはノエイン様です」
何を言っても妄信的に肯定してくる奴隷の言葉を受けながら、ノエインはゴーレムを操って北へと進路を取った。
そして、川から少し距離をおいて足を止める。そこには他よりも少し開けた場所があった。
「ここがいいね。ここを我がアールクヴィスト領の最初の居住地にしよう」
領主自身とその奴隷、そしてもの言わぬゴーレムしかいない森の中で、ノエインはそう宣言する。
・・・・・
朝に森へと踏み込み、まだ昼も回っていないとはいえ、貧弱なノエインの足腰は既に悲鳴を上げている。
本当はここの周辺の様子を調べたいところだが、今日はこれ以上動くのは難しいだろう。
それならば、この場にいながらできることをするしかない。
「ノエイン様。お疲れになったでしょうから、お茶を淹れましょう」
「ああ、ありがとう。僕の体力がないせいですぐに休んでしまってごめんね、マチルダ」
「ノエイン様が謝られる必要などありません。私はあなた様のお傍に付き従うのみです」
従者の鑑のような言葉を伝え、頭から生えた兎耳を揺らしながら手際よくお茶を淹れる用意をするマチルダ。
鉄製のポットに革袋から水を移し、そこに青紫色の魔石がはめ込まれた棒状の道具を刺す。
魔石部分が青い光を放つと……今の今までぬるい水が入っていたポットから湯気が上がり、ボコボコと熱湯の沸き立つ音がする。
こうして「火魔法・沸騰」の魔道具でお湯を沸かしたマチルダは、そこに王国南部産の茶葉を沈め、香りと色が出たところで2つの木製のカップにお茶を注ぐ。
「どうぞ、ノエイン様」
「ありがとう。いい香りだ、マチルダが淹れるお茶はいつも美味しいよ」
「お褒めいただき光栄です」
他の人間には決して向けない優しい顔でノエインがそう微笑むと、マチルダもまた他の人間には決して見せない照れたような表情を見せた。
季節は3月。ここが王国の北側ということもあり、まだ空気は少し肌寒い。
香り高いお茶で体を温め、体力のない自分にとってはかなり過酷な移動で消耗した精神を癒しながら、ノエインは目の前の光景を見ていた。
その横に自分のカップを持ったマチルダも座り、主人と同じ光景を見ながらも、感度の高いその耳で周囲を警戒する。ここは魔物もいる森のど真ん中だ。
2体のゴーレムはノエインが居住地と定めた空き地に落ちている木の枝や石を取り除き、目立った草を抜き、地面の凹凸を足で踏み慣らして平らにする。
お茶を飲み終え、休憩を終える頃には、狭いながらも平らに整った土地が出来上がっていた。
「これならテントを広げて、多少の耕作地を作る程度の余裕はあるね」
次は当面の住処となるテントの設営だ。
本来なら数人がかりでやるような重労働だが、ゴーレムがいれば特に苦労はない。
支柱を立て、骨組みを組み立て、厚手の幕を張り、ノエインとマチルダが余裕を持って寝られる広さのテントが完成した。
・・・・・
「テント住まいの領主様か。面白いね」
「ノエイン様は素晴らしいお方です。これはほんの始まりに過ぎません。いずれここは街となり、ノエイン様は立派な屋敷に住まわれるようになるでしょう」
「そうだね。できる限り早くそうならないとな……君にも苦労をかけるね、マチルダ」
「滅相もありません。ノエイン様のお傍が私のいるべき場所です」
完成したテントの中に毛皮を敷き、荷馬車から衣類や日用品を移し、住処としての体裁を整えながら、そんな言葉を交わす。
荷物を運び終えた後は、周囲の木々に糸を張り、そこに鉄製の棒をいくつか垂らした。
こうしておけば魔物が接近しても音で気づける。耳が良く気配に敏いマチルダなら、まず聞き逃すことはないだろう。
「さて、明日からは何をしよう」
この領地にはあまりにも何もない。
畑を作る。平地を広げる。周囲の探索をする。やるべきことが多すぎる。
行動の選択肢が多すぎると、かえって手がつかないものだ。
「まあいいか。まずは今日の疲れを取ることが先決だ。ゆっくり休めば頭も冴えるだろう」
時刻はもうそろそろ夕方だ。今朝発ったケーニッツ子爵領の街で買い置きしたパンと干し肉を齧り、またマチルダに淹れてもらったお茶を飲み、ノエインは早々に眠りにつくためにテントに入った。
「おいで、マチルダ」
「はい、ノエイン様」
マチルダはノエインの身の回りの世話をする家事奴隷であり、その身体能力を活かしてノエインを守る護衛奴隷であり、ノエインの身と心を癒す愛玩奴隷でもある。
ノエインに優しい声で呼ばれたマチルダは、表情をほころばせて彼の横に寄り添う。
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