俺から貴女へ
ひとつ年下の恋人のチカは学校一の美少女だ。その美貌は老若男女を虜にし、校内にファンクラブが出来るほど。だから落としたハンカチを拾った俺に一目惚れしたと告白された時は驚いた。一体俺のどこを好きに?果たして平凡な俺が有名人である彼女と釣り合うだろうか?部活の練習ばかりであまり構ってやれない俺にチカは勿体無いのでは?そんな事を思う時期もあったけれど、チカの直向きな愛情を受けるようになってからはそんな悩みも消え失せた。頭のなかでごちゃごちゃと考えるのは俺らしくない。それよりも純粋で、健気で、素直な彼女と真摯に向き合う方が合理的で、誠実だ。不器用な俺にチカほどの深い愛情を返せるかは分からないけれど、自分なりに愛を注げば良いのだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「ほな、今日の練習はここまでや。片付けの前に、全員ストレッチしっかりしとけよ」
「ウィーッス!」
号令を掛けると、野太い声が体育館に響いた。円になって床に寝そべり部員達がクールダウンを始めるのを横目に、コートの脇に置いていたジャージを拾う。ポケットに入れていたスマホを取り出してGPS追跡アプリを起動した。現在地を示す赤い人型のマークは俺がいる体育館からそう離れておらず、目的の人物が校内にいることが分かった。位置的に見て、恐らくバスケ部の男子更衣室にいるのだろう。誰かに見つかるリスクも承知で俺の予定を知りたいが為にこっそり忍び込むとは、なんていじらしいのだろう。
「可愛ええなぁ」
「え?何がスか?」
「何でもないで」
隣でドリンクを飲んでいた後輩が俺のひとり言に首を傾げる。構わず、小型の受信機に繋いだイヤホンを耳に差し込んだ。しかしどれだけ耳を澄ましても何も聞こえない。もしかして身に付けていないのだろうか?真っ赤なハートのストラップ、を模した小型盗聴器。
「練習が忙しいからあんまり構ってやれへんし、チカには寂しい思いをさせると思うんや。せやから、代わりと言ってはなんやけど、俺の気持ちだと思って持っておいて」
と言ってプレゼントした時は咽び泣いて喜んでいたので、てっきり肌身離さず持ち歩いているものとばかり思っていたが。音量を最大限にまで上げると、雑音混じりだったが漸くチカの声を拾えた。
『久しぶりにお出掛けしたいなぁ………新しく出来たケーキのお店、一緒に行きたいわぁ………』
寂しげな呟きに心が痛む。新しく駅前に出来たケーキ屋にチカが興味を持っていたことは、以前友人との会話を小耳に挟んだ時から知っていた。最後にチカと一緒に出掛けたのは確か3ヶ月前だったか。これだけ放ったらかしにしていては、いつか愛想を尽かされても仕方ないだろう。けれど俺はチカの手を離す気はさらさら無いわけで。貴重な休日を彼女のために
「しゃーないな、好きなだけケーキ食べさせたろ」
「えっ何々?マコト先輩の奢りすか?」
「何言うとんねん、お前とちゃうわ。ええから早よストレッチしろ。体冷えるで」
発信履歴の一番上に表示された名前をタップする。液晶に映し出された【ハニー(はぁと)】の文字はチカが勝手に登録したものだ。俺の知らないうちにスマホを鞄から抜き取り、暗証番号を解除して、アドレス帳に登録された自分の名前を変えたのだ。手癖の悪い困った恋人。けれど手の掛かる子ほど可愛いってやつだ。
『もしもし、マコト先輩?』
「チカ」
『はぁい!あなたのチカですぅ!』
「なんやそれ」
チカはいつもワンコールで電話に出てくれる。千切れんばかりに尻尾を振るう子犬のようにスマホに飛びつくチカの姿が容易に想像できて、つい笑みが零れた。
『部活はどないしたんですか?』
「今日はもう終わった」
体育館を見渡して部員の数を数える。ひい、ふう、みい………よし、全員いるな。片付けの途中だからまだ誰も更衣室には向かってないようだ。うっかりチカと鉢合わせしては困る。
「これから着替えに更衣室行くとこやから、言うとこ思うて。チカ、まだ学校おるやろ?」
『あら、何で分かったん?』
「チカの事なら何でもわかる」
『いやんっ愛の力やね!』
言いながら受信機の電源をオフにしてポケットに仕舞う。あとはチカと擦れ違わないようにゆっくりと更衣室へ向かおう。GPS追跡アプリを隠しフォルダに入れて非表示にすれば任務完了だ。
「もう外暗いし家まで送る。下駄箱んとこで待っとき」
『はぁい!いつまでも待ってますぅ!』
手早く着替えを済ませ、チカの好きな香りの制汗剤を全身に振り掛ける。部員のなかには汗臭いのがなんぼのもんじゃい!と言うやつもいるが(チカも気にしないだろう。以前「マコト先輩の汗をコップに溜めて飲みたいわぁ」とぼやいていたのを
「チカ、お待たせ」
「マコト先輩!部活お疲れさまですぅ!」
「ほな帰ろか」
「はぁい!」
手を差し出すとがっちりと握り締められる。力いっぱい振り回しても解けそうにないくらい強固に繋がれている。そんなことはしないけれど。
「スマホ、部活に持ってってたんですねぇ」
「おん。何事も用心せなあかんしな」
「さすがマコト先輩、ええこと言うわぁ!用心するんは大切やからね!」
「そういえば、なぁチカ。来月の第一日曜日やけど、一緒に出掛けへんか?体育館の照明取り替えるとかで部活休みやねん。せっかくやし駅前に新しく出来たケーキ屋行こか」
「えっいいの?」
「行きたいんやろ?」
「めっちゃ行きたい!」
「じゃあ決まりやな。たまには彼氏らしいこともせんと。チカの優しさに甘えて、ずっとほったらかしにしてて愛想尽かされたら悲しいしなぁ」
「私がマコト先輩を嫌いになるなんて、地球が滅んでもあり得へんもん!」
「あはは、それはありがたいなぁ」
喜びのあまり飛び跳ねるチカの姿は見ていてとても微笑ましい。やはり盗聴器を仕込んでおいて良かった。そうすれば彼女の欲しい物を直ぐに差し出せる。忙しいからこそ、僅かな時間を全て彼女を喜ばせる為に有効に使いたい。事前に知っておけば先手を打てるし合理的だ。それに言葉にしなくても互いを知り尽くしている方が、ロマンチストな彼女の好みだろう。彼女が何を望み、何を求めているのか。言わなくたって大丈夫。
「チカの事なら何でもわかる」
「いやんっ愛の力やね!」
「そういえば前にあげたストラップ、ちゃんとスマホに付けとるか?」
「勿論!マコト先輩がくれてんもんっ!」
「ぼろぼろで外れそうなってへんかったか?」
「大丈夫!一昨日チェーン千切れそうになったから交換したばかりなんよ」
チカがポケットからスマホを取り出すとハートのストラップが勢いよく揺れた。先ほど音を拾いにくかったのが少し気になる。目立った傷は無いけれど、もしかすると落とした事があるのかもしれない。だったら中の基盤が傷付いたせいで電波を受信し辛かったのも納得だ。今度折を見て新しいものと取り替えるとしよう。
「それは良かった。これからも肌身離さず持っときや」
「勿論!どこ行く時も持ち歩いてんでっ」「知ってる」
自然と笑みが深くなる。
「チカの事なら何でもわかる」
「いやんっ愛の力やね!」
頬を染めてはにかむチカは愛らしい。自分なりの渾身の愛を注いでも同じ位の愛を返してくれる彼女と出逢えて俺は本当に幸せ者だ。仲睦まじく、純粋に相手を想い合う俺達はまさにベストカップル。
「私ら似た者同士のお似合いカップルやね!」
「せやな」
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