第六章

その1



        1 エイブラハム・フレイザー




 気がつくと、周囲には心地好い魔力が充満していた。これほどの魔力を浴びるのは俺もはじめてである。なんだ? 俺は魔界のどこにいるのだ? 身体を起こす俺の目に写ったのは、オーガスト様の背中と、それからシルヴィア殿。さらに、へたりこんだメアリー様とエリザベス様、そしてエイプリル、おまけに俺と決闘の約束をしたアーサーまでいるではないか! どういうことだ。立ち上がる俺に気づかぬオーガスト様が吼えるように声を上げた。


「たわけるのではないぞ! 貴様のような小娘が、魔王様の生まれ変わりだと!? 冗談を言うのも程度がすぎれば相手を怒らせるだけだということも知らぬのか!?」


「そうやって、さっきから怒ってばっかりの態度をとっていますけど、あなた、私には何も攻撃を仕掛けてきませんね」


 俺でさえ怯えるほどの魔力を放つオーガスト様を相手に、シルヴィア殿は相変わらずの笑顔で対応をしていた。


「それって、ひょっとして、心のどこかで気がついているんじゃないんですか? これは、やっちゃったらまずいって」


 なんだ? なんの話をしている? 訳がわからぬまま、俺はオーガスト様とシルヴィア殿を交互に見た。――ここで俺は気づいた。膝をついたメアリー様とエリザベス様をかばうように立っていたアーサーの表情は、恐怖にとり憑かれていたのである。


 それも、オーガスト様ではなく、シルヴィア殿を見ながら、だった。


「思いだしたぞ――」


 引きつったような顔をしながら、アーサーがシルヴィア殿を指さした。


「そうだ。あのころ、オーガスト様に意見できたのは魔王様だけだったんだ。その魔王様は、先代の魔将軍の倍近い魔力を発揮して、それで魔族の頂点に立っていたんだ。誰も魔王様には勝てなかったんだよ。かつての勇者たちが、数に物を言わせて襲いかかるまでは――」


「まあ、あのときは私も不覚をとりましたね。過去のことについて愚痴を並べても仕方がありませんが」


 普段と変わらぬ、美しい笑みを浮かべてシルヴィア殿がアーサーに返事をし、あらためてオーガスト様にむき直った。


「さて、どうします? いまから私が言うことは、天界の仕事とは関係のない、個人的な意見なんですけど。私はあなたのやったことを、かなり不満に思っています。魔王軍は人間の勇者たちと天界の使者たちに敗北し、休戦協定を結びました。あなたは魔族の宰相なんですから、その休戦協定をきちんと守り、ほかの魔族の指針とならなければいけないはずなのに」


「そんな馬鹿なことがあるはずはない――」


 オーガスト様が唸った。その身体から発する魔力が、どんどんと密度を上げていく。この俺でも暑いと感じるレベルだった。シルヴィア殿の背後で、メアリー様とエリザベス様が悲鳴を上げて身体を折る。これはまずいぞ。メアリー様たちを助けなければ。――そのために、俺はオーガスト様に襲いかからなければならないのか? エイプリルの見ている前で? 逡巡する俺に気づかぬオーガスト様が怒号を上げた。


「これより、この場をすべて破壊する! いや、この場だけではない。人間界の全てをだ!」


 オーガスト様の言葉と同時に、ドン!! という衝撃が走り、同時に俺の身体に凄まじい重圧がかかる。立っていられなくなり、俺は膝をついた。それは俺の目の前にいるメアリー様たちもだった。この場の重力が数倍も増し、俺たちの上から押さえつけている!


「貴様のような小娘が見たことのない、本当の魔族の力がどれほどのものか。魔王様の真の実力がどのようなものだったのか、とくと味わうのだな!!」


「あ、星落としの法をやる気ですか。なんだかヤケになっちゃったみたいですけど、これはさすがにまずいですね。――ちょっと、やっちゃいますか」


 オーガスト様の怒号にシルヴィア殿が返し、そのまま小走りにオーガスト様へ駆け寄った。この魔力の重圧を受けて、それでも自由に動けるだと!? 唖然として見る俺の前で、シルヴィア殿が右手を上げた。オーガスト様の手が届く距離でシルヴィア殿が立ち止まる。なぜか、オーガスト様は動かない。シルヴィア殿が右手を手刀の形にして、軽くジャンプした。

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