その8
「どういうことだ?」
少しして、ようやくお父様がシルヴィア様に詰問しました。シルヴィア様が、やれやれみたいな手の形をとります。
「ですから、言葉通りの意味です。エイブラハム様は、これからも魔将軍の血筋として生きてもらうのが一番なんですよ。ご本人もそれを望んでいらしゃいましたし」
「そうではない! 魔王様の魂が存在しないとはどういうことなのかと訊いたのだ!!」
「あ、そっちでしたか」
シルヴィア様が手を下ろしました。
「それも、言葉通りの意味です。というか、もうわかっているでしょう? 少なくとも、ここに魔王の魂は残っていません。ですので、エイブラハム様の身体を魔王の魂の寄り代にするという計画は頓挫しました」
シルヴィア様の言葉に、お父様の目が見開かれました。
「ふざけるな! 魔王様の魂が存在しないなど、そんなことがあるわけがない! 貴様ら天界のものが何かしたのだな!? 魔王様の魂をどこへやった!?」
「それは――言っちゃっていいのかな」
考えるように言って、シルヴィア様が小首をかしげます。私は驚きました。魔界の宰相であるお父様に恫喝されても、シルヴィア様は怯えた態度を見せません。女神の眷属とは、これほどの力を持っていたのでしょうか。
「えーと、確か、口止めはされてませんでしたね」
ひとり言で確認してから、シルヴィア様がお父様に目をむけました。
「じゃ、説明します。勇者たちに倒されたあと、魔王の魂は都の大聖堂まで運ばれたんですよ」
「ほう、それはなぜだ?」
「そりゃ、そのままにしておいたら復活するかもしれないって思ったからでしょうね。だから、魔王の魂はここには存在しないのです。ついでに言うと、魔王の魂を大聖堂まで運んだのは人間の勇者たちです。父の名に誓って言いますが、天界のものは何もしておりません」
「なるほど、そういうことだったのか。正直に言ってくれたことには感謝しておこう。痛み入る」
シルヴィア様の返事に、お父様がうなずきました。
「そうか。都の大聖堂だな」
言ってお父様がシルヴィア様から視線を逸らしました。背後で倒れているエイブラハム様のほうをむきます。
音もなく、エイブラハム様の身体が浮き上がりました。そのエイブラハム様がお父様のすぐそばまで近づいていきます。
「では儂は失礼する。わかると思うが、儂には急用ができた。そこをどいていただこう」
「あ、これも言っておきます。確かに魔王の魂は大聖堂にまで運ばれましたけど、そのあと、いろんなことがありまして。もう魔王の魂は大聖堂にも存在しませんから」
私たちのことを突き飛ばすような形相でお父様が歩きだし、シルヴィア様の言葉で足を止めました。お父様が不愉快そうにシルヴィア様へ目をむけます。
「なんだと?」
「なんだとも何も、これも言葉通りの意味ですよ。魔王の魂が大聖堂まで運ばれたのは間違いありません。ただ、そこから先は――」
ここまで言ってから、あらためてシルヴィア様が小首をかしげました。
「まあ、この話はいいでしょう。説明したって、もう取り返しは付きませんし。それよりも、あなたの行為は問題ですよ? さきほども申し上げたでしょう。これは休戦協定に抵触するかもしれません。ほかの魔族たちは魔王を倒され、人間たちと手を結ぶことに承知したのです。仕方なく、泣く泣く、だったかもしれませんけど。それなのに、その魔界の宰相のあなたが、こんな裏切り行為を働いては」
「黙れ小娘が!」
シルヴィア様の言葉をさえぎり、お父様が一喝されました。同時に、部屋のなかの魔力が一気に密度を上げます。次の瞬間、私の視界の隅で、メアリー様とエリザベス様、そしてアーサー様が黄金の光に包まれました。これはシルヴィア様の生みだした結界? その結界の外で、魔力がどんどんと圧力を上げていきます。
「宰相というお立場なのに、話し合いではなく、力に物を言わせますか」
あきれたようにシルヴィア様が言いました。あきれてはいましたが、切羽詰ってはいないようです。この余裕はどこからくるのでしょう。――私は魔族ですから、周囲の魔力が上昇すれば、返って気分がいいくらいなのですが、それでも、これはわかりました。
いま、結界の外に普通の人間がでれば、ひと呼吸もしないうちに衰弱死するでしょう。そういうレベルの魔力がこの空間には満ち満ちていたのです。
「憎らしい天界の使いが。貴様さえいなければ、その人間たちも口封じできるだろう」
「ひどいことを言いますねえ。私たちを殺す気ですか」
魔力を上げつづけるお父様を前にしながらも、のんびりとした調子でシルヴィア様が言いました。
「断っておきますけど、あなたが思っているほど、いまの人間は魔族を嫌ってはいません。黙っていれば、世のなかは平和になります。時代は変わったんですよ」
「たわけたことを」
「私は大真面目に言ってるんですけどね」
困ったように、シルヴィア様が自分の両手を腰にあてました。
「それに、これも聞いていただきたいのですが、魔王はべつに復活を望んではいませんし、もう人間を滅ぼそうとも思っていません。むしろ、喜んで休戦協定を受け入れています。あなたがやろうとしていることは余計なことなんですよ」
シルヴィア様がおかしなことを言いました。――これは本当におかしなことでした。まるで、魔王様と会って、話をしたことがあるような。一瞬置いてから、お父様の形相がさらに一転しました。
「ふざけるのも大概にするのだな。いくら天界の使いとはいえ、貴様のような小娘が魔王様の真意を知るはずもないだろう。これ以上魔王様を愚弄するのならば、貴様にも消えてもらうことになる」
「だって本当のことなんですよ。それに、私は魔王を愚弄なんてしてません。自分のことを悪く言ってどうするんですか」
相変わらず、なんでもないような調子で、またもやシルヴィア様がおかしなことを言いました。それから、自分の頭を軽く手のひらで叩きます。
「あ、ちょっとしゃべりすぎましたね。やっちゃったかな」
少しの間だけ、お父様が沈黙しました。シルヴィア様が何を言っているのか、理解できなかったのかもしれません。それは私も同じでした。
「――本当に、いい加減にするのだな」
お父様の声は、もうかすれてよく聞こえないほどでした。それほどに放出される魔力が上がっていたのです。結界内にいるメアリー様とエリザベス様でさえ膝をつくほどのレベルでした。かろうじて立っているアーサー様も、苦しそうにしています。
「貴様は天界の使いだろうが。その貴様が魔王様を名乗るなど――」
「そうですね」
お父様の言葉を聞いていないような感じで、シルヴィア様が少し考えました。
「じゃ、はっきり言いましょう。私は魔王を名乗ってなどはいません。前世が魔王だって言っているだけです」
シルヴィア様のお声は、お父様の魔力が充満したこの室内でも、ひどく響いて聞こえました。
「だから言ったんですよ。魔王の魂は、もうどこにも存在しないって。なぜかと言うと、とっくに生まれ変わって、違う仕事についているからです。天界の側で、女神の眷属っていう、高いのか低いのか、よくわからない立場なんですけどね」
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