第23話
夏彦の後継者発表は雪乃にとって寝耳に水の出来事であった。その時間に合わせて夫の専属弁護士から連絡を受け、自宅を訪ねた彼に離婚要請を受けている。
「分かりました」
雪乃は表情一つ変えず要請に応じ、用意された離婚届に署名捺印する。
「今月中にここを出てください。然るべき慰謝料は用立て致します、当面は問題無く生活できると思います」
「そうですか。朝陽はこのことを?」
「存じ上げないと思いますので私からお伝え致します」
「いえ、私から話しておきます」
雪乃は用が済んだ弁護士を軽くあしらって追い出すと、真っ先に旅行中の朝陽に連絡を入れた。
『母さん?』
「えぇ、今大丈夫かしら?」
『うん。今旅館でTチャンネル見てたところ』
それならば話が早いと思った雪乃は、たった今離婚届に署名捺印したことを伝える。
「夏彦さんの専属弁護士が家に来られてね」
『そう、用意周到でしたことなんだね』
「みたいね。何もこんな時にしなくても……」
雪乃は息子を慮ってため息を吐いた。
『後継のことなんてどうでもいいよ。【月島商事】に大した興味なんて無いから』
「えぇ、ただ私たちのことよりも……」
雪乃はいきなり後継者に挙げられてしまった日向を思う。
『日向がこのことを知ってると思えないんだけど』
「きっと知らないと思うわ」
『僕から話しておくよ。はぁ、観光どころじゃなくなっちゃった』
朝陽は事態が急変したので明日で戻ると言った。
「分かったわ。今月中にこの家出なきゃいけなくなったから当面は忙しくなるわね」
『そうだね、僕も部屋探し……美空と住む予定だった所まだ解約してないからそっちに移るってのは?』
「夏彦さんが介入してる可能性もあるから、念を入れて実家には連絡しておくわ」
『ホント厄介だよね、僕たちは僕たちで今のうちにできることをしよう。多分一番大変になるのは日向だから』
「そうね。その辺りは明日詰めて話しましょ」
雪乃は朝陽の返事を聞いてから通話を切ると、勤務中のお手伝いを呼んで事態の説明をする。
「きっと皆さんの処遇は変わらないと思うけど」
「しかし奥様……」
彼らは一様に驚きを隠しきれず、寂しそうに雪乃を見た。
「私たちは大丈夫、何とかなるわ」
雪乃はお手伝いを安心させるよう笑みを作る。実際彼女の実家はかなり裕福なので今後の悲観はしていなかったのだが、彼らと別れる寂しさは少なからずあった。
「こんなのあんまりです、奥様の方が一杯傷付いていらっしゃるのに」
お手伝いの一人が彼女の手を取って泣きそうな表情を見せている。雪乃は仮面夫婦の勝手に巻き込まれながらも、任務をきっちりこなして細部にまで気を配り続けている彼らに感謝していた。
「多少後手に回っても今は事を荒立ててはいけないわ、私たちだけの問題では済まなさそうだから」
彼女はお手伝いの手を握り返し、全員に諭すような視線を送る。彼らは月島夫人の言葉に頷き、共に過ごせる残り少ない日を大切に過ごそうと誓い合っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます