第22話

 同じ頃、【月島商事】社長室周辺は普段と打って変わってスーツ姿の社員が右往左往していた。社長秘書である男性二名が彼らに指示を飛ばし、カメラ機材などがセッティングされていく。

 夏彦はその様子を尻目に、ホチキスで留められている用紙の束をペラペラとめくっていた。明朝体で印字されている文章を黙読し、一人納得したように頷いている。

「社長」

 秘書の呼びかけに夏彦はうむとだけ言うと、撮影機材を入れたせいで狭くなっている社長室に入った。

「社長、何をなさるおつもりなんです?」

 この喧騒に気付いた役員たちが社長室を覗きにやって来る。

「まぁ持ち場にあるPCを見てくれたまえ」

「そういうことですので」

 秘書は怪訝な表情を見せている役員たちの前に立ち塞がった。

「何をするのかくらいの説明くらいはあっても宜しいかと……」

「見れば分かる」

 夏彦は社長の権限で彼らを一蹴するが、秘書相手であれば強気に出られるので、今度はそちらをターゲットに何をするつもりなのかと詰め寄り始める。

「君たちであれば知っているだろうが」

「いえ、実は私たちも内容までは……」

「これだけの準備をしておいてか?」

「あくまで社長の指示に従っただけですので」

 秘書たちは社長命令で動いているだけなので、何の目的で撮影機材を入れているのかの見当すら付けられていなかった。

「さっさと始めるぞ、ドアを閉めろ」

「はい。申し訳ございませんが……」

 秘書たちはどうにか役員を締め出して機材を稼働させる。

「準備ができたら言ってくれ」

 分からぬなりにも彼らは機敏な動きを見せており、普段触ることの無い機材を操っていた。

「準備できました、ただいま十一時五十八分十四秒です」

「あと二分弱か」

 夏彦は革製の豪勢な椅子に座り直し、カメラをまっすぐに捕らえる。

「一分前です」

 そこからカウントダウンが始まって、社長室内は否が応にも緊張感に包まれる。秘書の一人が十秒ごとにカウントし、10秒前まで来る。

「五、四、三……」

 二からは指での合図に代わり、零になったと同時に夏彦は営業用スマイルをカメラに向けた。

「皆様こんにちは、【月島商事】社長の月島夏彦です。本日はTチャンネルをご覧頂き誠にありがとうございます」

 一部上場企業社長なだけあり、取材慣れしている彼は臆すること無く堂々とした話し振りを見せている。秘書たちは時間を測ったりチャンネルサイトの反応を見たりと忙しなくしていた。

「今回このような場を設けさせて頂いたのは、弊社にとって重要な決断を致しましたことをご報告させて頂くためでございます。今後【月島商事】の進退に繋がる重要案件であり、数多くの取引先様にとっても決して余所事ではないと判断致しましたため、このような形を取らせて頂きました」

 夏彦は手元にある用紙の束を一切見ること無く、カメラを一点に見据えている。チャンネルサイトの動向を見ている秘書は満足げに頷き、時間を測っている秘書は指で時間の経過を知らせていく。

「弊社は今年で百周年を迎えます。その節目と致しまして、今この場にて次期社長の決定をご報告致します。その前に、恥を忍んでお伝えすることもございますので、多少話が長くなることをどうぞご了承頂ますよう宜しくお願い申し上げます」

 夏彦はそこで息を吐き、失礼しますと言ってから脇に置いてあるペットボトルに手を伸ばした。中に入っている水で喉を潤してから再びカメラに向け姿勢を正す。

「私にはかつて将来を約束した女性がおりました。ところが先代から結婚の了承を得られず、妻との結婚を強要されました。強制的に彼女と別れさせられましたが、それで私たちの愛が潰えることはありませんでした。今の世では不倫一つでキャリアが揺らぐ時代ですが、私たちはその場しのぎの火遊び的恋愛ではなく、外圧によって無理矢理壊された末そうならざるを得なかった結果に過ぎないのです」

 このひと言でサイトの反応が膠着する。秘書は夏彦にそれを目配せで知らせたが、越に浸りだした社長席の男には届かなかった。秘書の二人は渋い表情を浮かべて顔を見合わせ、仕方無く任務遂行に集中する。

「妻との夫婦関係は初めから冷めきっておりました。愛する女性と破局させられた私は、父の手で強引に結び付けられた妻を愛することは到底できませんでした。私にはこれまで愛してきた女性が全てでした、私は【月島商事】と縁を切る覚悟で再度彼女を愛することを決意しました」

 夏彦は一度手元の紙束を一枚めくった。

「しかし妻も若かったため、上手くいかない夫婦関係の鬱憤を秘書に求めていました。妻は妻で秘密裏の彼と関係を結び、不義の子を妊娠しました。そして同じ時期に私たちの間にも愛ある子を授かり、妻と離婚して彼女と再婚する道を模索しました」

 彼は同情を買う算用で平然と嘘を吐く。

「そんな事態になっても先代はそれを許さず、あろうことか妻にできた不義の子を四代目として育てるということを独断で決めてしまったのです。そこで何故何もしなかったのか? とお思いの方もいらっしゃるでしょう、しかし月島家では家長の意志が絶対というのが常識であり、親戚も含め父の独裁に虐げられてきたのです」

【社長、押してます】

 無駄に威風堂々としている社長の暴走を止めようと、秘書の一人が苦肉の策として筆談を試みた。夏彦は視線を動かして確認はしたがそれを無視し、更に言葉を紡いでいく。

「しかしそこで妻はあるからくりを仕掛けていたのです。私の目を盗み、愛する彼女を脅迫して産まれてきた子供を取り替えてしまっていたのです。私はその事実をつい最近まで存じ上げませんでした。妻は不義の子を彼女に押し付け、何食わぬ顔で愛ある子を不義の子として育てていたのです」

 悦に入った夏彦はひと筋の涙をこぼす。

「私はその事実を知らぬまま、失意の元実家に戻った愛する母子を案じ続けました。それから何十年も経ってようやく息子と再会しましたが、彼は産まれたばかりに見た特徴とはまるで違う風貌でした。彼女は既に他界していますので確認の仕様もなく、妻を問い質してようやく分かったことなんです」

【あと二分です】

「残り時間があと僅かとなりましたので、ここで四代目社長を発表させて頂きます。妻の謀略ですり替えられはしましたが、愛する彼女の遺志を継いだ影山日向に【月島商事】の継承を委ねたいと考えております」

 夏彦は満足げな表情で涙の筋をハンカチで拭い、口角を上げて微笑みを作った。

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