第14話

 取引先の担当者として出会っただけだったはずの男と戸籍を取り替えられ、本来自身が受け取るはずであった実母の愛情を全て搾取した日向に対し日に日に憎悪をつのらせていた。父が自身に見向きもしなかった原因もそこにあり、母の勝手な都合で自身の人生を引っ掻き回されていたのかと思うとそこにも腹が立つ。更には婚約者まで奪い取られ、何もかも失った気分に苛まれる朝陽はすっかり憔悴しきっていた。

 婚約パーティーを執り行ってからほんの僅かな期間でこれまでの基盤が揺らぎ、突発的に発症させた負の感情は彼一人では抱えきれないほどに膨れ上がっていた。それに耐え切れなくなった朝陽は、真冬の深夜帯に夜勤中のお手伝いやボディーガードの目を盗んで自宅を抜け出した。ふらふらとさまよい歩きながら立ち寄ったコンビニエンスストアで惣菜類、菓子、酒を買い込み、知っているような知らないような廃墟ビルに入る。恐怖心も何も無いまま真っ暗闇の中階段を登り、屋上に辿り着いて買ったばかりの惣菜を広げていた。

 暇潰しに眺めた夜空の上では、少し前にピークを迎えた流星群の残り火がぽつぽつと見え、儚くも美しく光って消えていく星たちに魅了される。空を見上げていると現実の中に潜む虚像の世界に引き込まれていくように感じられ、それが今の自身の気持ちとリンクしているように感じた。

 もう何が何だか分からない……朝陽は今ここにある現実でさえも虚像なのではないかとふと思う。であれば案外空なんかも飛べたりするかもとファンタジックな気分になり、試したい衝動に駆られて立ち上がった。

「これが現実なら多分即死だね」

 朝陽は屋上の際から下を覗いてそう呟く。この国の大都市は何処かで灯りが点いており、深夜帯でも真っ暗闇には程遠かった。高い場所が得意という訳ではないか、この時の彼に恐怖心は完全に欠落している状態であり、面白半分で頭や足をわざと突き出している。

 もうどうでもいいな……そうしていることが楽しくなってきた朝陽は、寒空の中上着を脱ぎ捨ててパンツのポケットにねじ込んでいた貴重品もポイと捨てた。最後に取り出したスマートフォンはすぐに捨てず、画面をタップして耳に当てる。

『はい』

「先に君を殺しておくべきだったかな?」

 朝陽は不機嫌な声で応対してきた男に物騒な言葉を掛けた。表情は薄っすらと笑みを浮かべており、楽しそうにふふっと笑う。

『誰やお前?』

「分からない?」

 名乗っていないから当然かと思いながらも、敢えて名乗らずにいると対話は途切れた。

『ひょっとして月島さんか?』

 相手の男の声は探りを入れるように言った。

「当ったりぃ、ハハハ」

『何がおかしいねんな』

「おかしいでしょ。だって最期の話し相手に君を選ぶなんて我ながら滑稽だと思うよ」

『最期ってどういう意味や?』

 と相手が言ったタイミングでサイレンが鳴り響く。まだ彼の話す声は聞こえていたが、内容までは聞き取れなかった。朝陽はそれをいいことに通話を切り、用は済んだとばかりにためらい無く投げ落とした。僅か二、三秒後にカシャンと下方から聞こえてきて、あぁ壊れたかと乾いた笑い声を立てる。

 ここの柵は自殺防止を施しておらず、約一メートル弱の錆びついた柵が備わっているだけであった。多少ぐらついているそれにもたれかかり、わざと振動をつけてギシギシと音を立てさせながら上体を反らす。

 コンビニエンスストアで買った酒をあおり、更に酔いが回った朝陽は天を仰いでケラケラと笑っていた。しかし精神状態と比例していた訳ではなく、無意識のうちに涙が溢れて止まらなくなる。

 宇宙から見たこの星もあの天体たちのようにキラキラと瞬いているのだろうか? 遠目から見れば青く美しい地球も、その上で生活している生命にとっては中々にカオスな世界だと思わずにはいられなかった。いくらお金があっても、両親が揃ってそれなりに地位があっても、心の栄養となるはずの愛情が慢性的に枯渇している朝陽にとってはきらびやかな地獄でしかない。

 もうどうにでもなれと柵に身を預けている状態で重心をかけ、いつでも落ちればいいと投げやりな気持ちになる。錆びついた柵はピシッと音を立てて僅かに傾き、記憶に焼き付けられなかった実母つばきに思いを馳せていた。

 朝陽は状態を反らしたまま目を閉じて力を抜くと、頭の重みで身体がずるりと滑る。重力に従って真っ逆さまに落ちてしまえばこの星ともおさらばだと思った瞬間、反発する大きな力に引き戻されてアスファルトに体を打ち付けた。何が起こったのか分からずに目を開けると、長袖Tシャツにデニムパンツ姿の日向が息を切らした状態で立っていた。

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