第12話

 『次の日曜日、空けておいてくれないか?』

 奈良の実家で対峙して依頼振りに月島夏彦から連絡を受けた影山日向は、待ち合わせ場所が世界シェアを誇るホテルレストランであったため、平服という出で立ちでその場に到着していた。長居するつもりなど無かったのでコーヒーだけ飲んでさっさと帰ろうと考えていたが、ランチフルコースの予約済みと知らされてげんなりとする。

 何であのおっさんと飯食わなあかんねん……そう思いながら予約席に着席したまま待っていると、夏彦は秘書の一人も連れること無く一人で入店してきた。

「しばらく見ない間に更に似てきたな」

 彼は一方的にそう言ってから、ウェイターに下げてもらった椅子に座る。日向にとっては言っていることがさっぱり分からず、不快な表情を浮かべて目の前にいる男性を見た。

「まぁそう構え過ぎないでくれたまえ」

 夏彦がそういったところで日向の構える姿勢は崩さない。

「君の実父は私の秘書だった、寒川と言ってね」

「今更それを知ってどないせぇいうんですか?」

「そして実母は私の妻だ。寒川とは不倫関係にあったようだ」

「……」

 夏彦はそれが自身の企みによるものであったことは伏せた。日向はこれまで自身を育ててくれたつばきと血が繋がっていないという事実に対しては有る程度覚悟していたが、見ず知らずの男女が本当の両親だと言われても思考が追い付かない。

「私は君と朝陽が取り替えられていたという事実を最近まで知らなかった。だからずっと君を息子だと思っていたんだ」

 夏彦は日向をじっと見つめ、先日のように怯えた表情をしない。二十八年間息子だと思い続けていた彼にとって、いくら真実を知ってもそう簡単に切り替えられずにいた。日向にとってもそれは同じことで、彼にとっての母親は影山つばきであって見知らぬ夏彦の妻ではない。

「朝陽さんはどうなるんです? 彼にとってはあなたが父親なんですよ」

「しかしあいつは妻の心を受け継いだ、どう頑張っても愛せない」

「いくら何でも身勝手すぎるでしょ。朝陽さんには何の罪も無いですし、結婚の選択をしたのはあなたご自身じゃないですか」

「好きでそうした訳じゃない」

「不本意であっても承諾はしてるんです、そこに対する思いなんか重要やありません」

 日向は人のせいにばかりする態度を見せる夏彦に冷たく言い返した。子供を取り替える選択をさせた一因はあんたにもある……そんな思いを乗せて目の前の男を睨む。

「君は本当の寒川に似ている、憎らしいほどにな」

 夏彦はスーツの内ポケットから古い写真を取り出し、日向にも見える位置に置いた。その枠内には四人の男性が写っており、若かりし頃の夏彦の隣に日向によく似た男性は無表情で立っている。

「寒川はクールな男だったよ、冷徹と言えるくらいに。仕事上では頼もしかったんだが、年下なのに怖いと感じたこともあるくらいだった」

「そうですか」

 日向もつられるように写真に視線を移す。こいつが俺の父親……しかし心の中でそう呟いてみても全く実感が沸かなかった。

「やはり年月の積み重ねは大きいのかも知れない、君は実子でなくてもつばきを彷彿とさせる雰囲気を持っている」

 そんな話をしとぃたところで、夏彦が手配していたランチフルコースのスープとパンがテーブルに並べられる。これ食わなあかんの? テーブルマナーの必要な食事を摂ることなどほとんど無い日向にとってはちょっとした苦痛の時間であった。一方の夏彦は妙に嬉しそうで、慣れた感じで音を立てること無くスープを飲んでいる。

 食事の間、二人は一切の言葉を交わさなかった。時折食器の当たる音が小さく響くだけで、楽しそうに会話をする周囲の音がやたらと鮮明に聞こえてくる。普段からこんな感じで飯食うてるんやろか? そんなことを考えながら食べる高級料理の味は、品質と評判と比例しない冷たさがあった。

 重苦しい空気の中で進む食事を苦痛に感じた日向は、料理を無理矢理口に押し込んでいく。星が付くほどの評価の高いレストランのフルコースランチだが、味覚が全く機能せず胃が料理を受け付けなくなっていた。それでもどうにか腹に収め、締めのコーヒーで消化を促しどうにか食事を乗り切った。

「日向」

 夏彦もコーヒーを飲み切ってカップを置く。日向は目だけを動かして相手を見た。

「たとえ真実を知ったとしても、そう易易と切り替えられるものではないんだ。君にだってそれは分かるだろう?」

「あなたの場合は切り替えなあかんでしょう」

「心情というものはそうはいかないものらしい。君が妻と寒川との間にできた子だとしても、つばきの愛情を受けて成長しているんだからな」

 夏彦は居直ったような視線を日向に向ける。

「【月島商事】の四代目社長を継いでほしい」

「はぁ?」

 日向は眉をひそめて夏彦を見直した。

「私はずっとそうするつもりでいたんだ。つばきの血を継いでいるのは朝陽なのかも知れないが、心を受け継いでいるのはやはり君の方なんだよ」

「何勝手に話進めてるんですか?」

「後継を決めるのは私だから当然だろう。その気になれば一存で……」

「お断りします。これ以上お話することはありませんので失礼します」

 日向はきっぱりと拒絶の意を示して店を出る。むしゃくしゃした感情を抱えて大都会の大通りを早歩きしていると、ポケットの中のスマートフォンが震え出した。画面上相手は不明だが、敢えて登録していなかった夏彦の携帯番号と分かり、出たくはなかったが何度も掛けてこられるよりはと通話ボタンを押す。

「まだ何か?」

『先程の件、じっくり時間を掛けて考え直してほしい』

「じっくりも何もお断りしたでしょう? 何度訊ねられても答えは変わりません」

 日向はそれだけ言って通話を切ると、拒否設定にその番号を登録してポケットに入れ直した。

「日向君っ!」

 と懐かしく愛しい女性の声が耳に入る。まさかこんな所で? そう思って振り返ると元カノだった女性が目の前まで走ってきていた。

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