第11話

 影山つばきは高校時代まで故郷である奈良で過ごし、大学進学と同時に上京した。そこで保育を学び、資格を取って【月島商事】内にある託児施設の職員として入社する。そこで夏彦と出会い、程なくして交際が始まった。当時の彼は実家の名声と財力で数多くの女性を取っ替え引っ替えしていたが、この交際がきっかけで放埒な関係はほぼ清算していた。

 しばらくは順調に愛を育んで互いに結婚も意識していたが、先代社長はそれを良しとせず、水面下で身の丈に合った財界人の息女を結婚相手として見繕っていた。そうとは知らない夏彦はつばきにプロポーズし、婚約したことで双方の家族に報告した。先代は当然のように反対し、代わりに突き付けたのは年頃の上流階級出身の娘たちの見合い写真であった。

「私もその候補の一人だったの」

 夏彦は父の企みを拒絶して徹底抗戦の姿勢を見せていたが、先代は先回りしてつばきの実家に手切れ金を渡していた。夏彦の過去の悪評をかいつまんで聞いていた彼女の両親は、口にこそ出さなかったが良い印象を持っていなかったようで、手切れ金を受け取ることで娘を守る選択に踏み切った。

「お義父様もご自身の意のままに事を動かしたい方だったから」

 結婚そのものは破局せざるを得ない状況に追い込まれたが、それがかえって二人の関係が盛り上がらせる結果となる。夏彦は表面上だけ父の言うことに従い、見合い相手の中で最も若い雪乃を選んで結婚した。

「私たち、結婚してただの一度も夜を共に過ごしたことが無いの。つばきさんがこっちにいらした時は余程のことが無い限り家に帰ってこなかったから」

 それから二人は不倫という形で関係を続け、同時に雪乃との離婚を企てていた。それで白羽の矢が立ったのは寒川という名の男で、当時役員に昇格したばかりの夏彦の秘書をしていた。

「寒川……?」

 聞き覚えの無い男の名に朝陽は眉をひそめる。

「えぇ、私との不義密通がばれる形で子会社に出向して、最終的に退職したって聞いてるわ」

 雪乃寂しそうに視線を落としてふっと笑った。朝陽の中で両親揃って何してるの? と蔑む感情と同時に、孤独を垣間見せる母がこれまでに無く小さく見えた。それから約二年後、雪乃は寒川との子を宿していた。同時期につばきもまた子を身ごもり、夏彦はこれを好機と捉えて雪乃に離婚を迫った。

「こんな生活を続けるのにも限界が来ててね。正直に言えば離婚に応じるつもりだったのよ」

 ところがつばきの懐妊を知っていた先代は夏彦の企てを握り潰し、体裁を構って雪乃の懐妊を公表した。そして嫁である彼女に子を取り替えよという提案を持ち掛け、それがきっかけで初めてつばきと対峙した。離婚が叶わない上に不義の子を跡取りにはできない……そう考えた雪乃は先代の言葉に従い、子供を取り替える約束を交わしたのだった。

「彼女には今でも感謝しているわ。私たちの身勝手な要求に応じてくださったこと、その上で実子も大切に育ててくださったことにも」

 その年の冬至にあたる十二月二十一日午前零時ちょうど、二人の男の子は全く同じ時間に産声を上げた。つばきの子は朝陽、雪乃の子は日向と名付けられ、退院までの数日のうちに人知れず子供を取り替えた。つばきは退院と同時に日向を連れて故郷に戻り、夏彦との交流を断って十八年彼を育ててきた。日向が高校を卒業した直後に彼女は亡くなり、それ以降息子の成長は分からぬままであった。

「あなたの婚約パーティーに参列していた都市った時は心臓が止まりそうだったわ」

 運命のいたずらって本当にあるものなのね……二十八歳に成長した実子日向は、十年前よりも寒川の面影が色濃く出ていた。ところがそれに対する恐怖心は消え去っており、今更ながら愛しさすら感じている。抱きしめたい衝動にかられると同時に、自身の身勝手でつばきから朝陽を取り上げたことを後悔するようになる。

「私なりにできることはしてきたつもり。ただつばきさんが日向に向けてきた分だけの愛情を、あなたに注げていなかったんじゃないかって感じることもあるの」

 雪乃はそう言って寂しさの混じった笑顔を朝陽に向けた。

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