第10話
同じ頃、朝陽もまた久し振りのデートを心待ちにしていた。彼もまた美空が好みそうなファッションを身に着け、履いている靴もぴかぴかに磨かれている。昨年の誕生日プレゼントで美空がくれた香水を少し振っており、逸る気持ちを抑えきれず待ち合わせ時間よりも早く到着した。
美空……自身と同じように時間よりも早くやって来ていた婚約者に朝陽の胸は高まり、ちょっとしたサプライズをと思い来た道を戻って花屋に入る。そこで真っ赤な薔薇を一輪だけ購入し、それを嬉しそうに手にして再び待ち合わせ場所に着くと、そこにいたはずの婚約者の姿が無くなっていた。
「美空?」
予期せぬ出来事に焦りを感じた朝陽は、美空が立っていた場所から周囲を見回す。歩行者信号が青の状態になっているのも手伝って、横断歩道を渡る多くの人たちが壁になって視界を遮っていた。それから約一分前後で信号が赤に変わり、壁となっていた人だかりも徐々にほぐれていく。
そんな馬鹿な……朝陽の視線はある一点に集中されていた。霧が晴れるかのように見えなかったものが見えてくる代わりに、見えなくてもいいものが見えてくる。つい先程まで自身の到着を待っていたはずの婚約者が別の男と抱き合っており、その相手が影山日向であることが更に彼の心をかき乱した。
その場で崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、見たくないのに二人の姿から視線を逸らせずにいる。立っているだけでやっとな状態であるため手にまで力が込められず、買ったばかりの薔薇をポトリと落としてしまった。
「お久し振りです、月島さん」
そんな朝陽の元に氷上蒼が近付いて声を掛ける。彼女は視界を遮るように立ち塞がり、美しくはあるが意地の悪い笑みを浮かべていた。
「私、忠告したでしょう? 有明美空はああいう女だってね」
蒼は足元に落ちている一輪の薔薇を拾い上げ、ぴとと身体に寄り添って彼を誘惑する。
「忘れましょうあんな女。あなたとは釣り合わない」
呆然としている朝陽の頬に手を伸ばした蒼は、周囲に見せつけるように体に腕を巻き付けた。放心状態のまま女の誘惑に乗った彼もまた約束を反古にし、繁華街裏手のラブホテルに入って関係を持った。
そのまま帰宅して以降自宅と会社の往復しかしなくなった朝陽は、別れを切り出す可能性のあった美空からの連絡を一切無視している状態だ。職場でも課が違うのをいいことにひたすら彼女を避け続け、実母、実父、そして婚約者の愛情を尽く奪い取っていく日向に憎悪を募らせていくうちに心を蝕み始めていた。
これまでほぼ挫折無く成長した息子に両親共が戸惑いを隠せず、特に夏彦は今になって実子と分かった朝陽を無駄に構うようになる。ところがこれまでの積み重ねが逆説的効果となり、心を閉ざした彼にとっては何を今更と煩わしく感じるようになっていた。
そんな朝陽の心を知ってか知らずか、雪乃は十八年続けていたつばきとの交流によって生まれた実子への未練が、息子を苦しめていたのではないかと責任を感じるようになる。自ら子供を取り替えることを持ち掛け、つばきの子を大切に思いながらもよそよそしさが抜けきれなかったことへの贖罪めいたものが、朝陽の感受性を逆撫でし続けてきたのではないかと考えていた。
今更ではあるが真実を話しておいた方がいいのかも知れない……雪乃は意を決し、十八年分の日向の写真を収めているアルバムと手紙を手に朝陽の部屋の前に立つ。
「朝陽、話しておきたいことがあるの」
心を閉ざす朝陽からの反応は無く、ドアノブをひねっても鍵が架けられて中に入ることができなかった。
「あなたが産まれた時のこと、これまでずっと話さなかったこと」
これでレスポンスが無ければ諦めよう……そう思っていたところでドアが開き、短期間でやつれてしまった朝陽が生気を失った顔を出す。
「疲れてるのなら無理強いは……」
息子の顔色の悪さに絶句した雪乃は、余所余所しさを再現させそうになって後退ってしまう。
「大事なこと、なんでしょ? 僕にとって」
朝陽は母を部屋に招き入れ、以前ダイニングで拾った写真を日向の写真を見せた。
「そう……もう引けないのね」
雪乃は覚悟を決めたようにアルバムを広げて朝陽に見せる決断をした。
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